折り紙について

前のブログからもう1か月以上ブログをかいていないなんて思わなかった。

IoBという、ネットで身体を操作できる技術があるんだけど

IoB(Internet of Behavior/Bodies)とは?活用事例と実用化のリスクについて

このページで説明があるんだけど、こういう操作を受けている経験を前回のブログのつづきで書きたかったんだけど、あまり詳しく書くと、被害が悪化しそうだったので、それ以上書かないでいたんだけど。

そういうわけで、IoBについては、書けるときになるまで書かないでおこうと思っています。

日本文化や伝統について、きびしく言われた覚えと、伝統文化について縁がなかった人生を、折り紙を通して自分の人生に綴られているなと思って、その話をしようとしていて

自分では気づかなかったコンプレックスがそこにあったんだと気が付いて

折り紙についての記憶は、いちばん最初のが、幼稚園に行くか行かないかの、そのぐらいの幼少期で、

たぶん、小学校も幼稚園も行ってなかったころだと思う、自分は幼稚園に入る前、単身者用の住宅地で両親とともに住んでいたから、近くに同じ年ぐらいの友達になれる子がいなくて、めずらしく母の友達の家に遊びに行くことができて、久しぶりに同年代の子がいるので、喜んでいたことを覚えているから(小学校に入ってからも、友達はできていなかったから、小学校に入ってからの可能性もなくはないので、たぶん小学校に入る前といういい方にしておきます)

折り鶴を折りましょう、って、そこの家のお母さんに折り紙を出されて

母のママ友の子が何人かいて、4~5人、自分と同じ年の子が男女混じっていた。

男の子も女の子も、楽しそうに折り鶴を折り始めて

自分は、折り鶴を折ったことがなかったから、折り方がわからなくて、その場に居たほかの子に聞くんだけど、幼児だから、パラパラ折って、わかるように教えてくれてなくて、

っていうか、自分の印象では、わからないように教えて、マウントとってるみたいな感じだったのを記憶していて

それに、今思えば、そこの家のお母さんとか、他の大人もいたと思うので、わからない私に、それなりのフォローあってもよかったんちゃうん?があって

他の子が、楽しそうに折り鶴を折っている間、とても長く感じたし、複雑そうに見えるその折り紙が、強く心に刻まれたと思う。

帰って、母に折り鶴の折り方を聞いても、

「うち、そういうの、知らんねん。」(大阪弁だったか記憶がないけど、知らないと言われ、笑いながら「残念やねえ」みたいな感じで軽く流されたことだけは覚えていて。)

こういうのは、あやとりでも、ゴム飛びでも、当時はやった伝統的な遊びとか、古くて懐かしい、みたいなものに、母親から聞いていない、ということで、ほとんど参加できなかったことを、記憶している。

日本文化とか、伝統にかかわる話や遊びなどのときは、つねに参加できない傍観者であったように覚えている。

たぶん、それは父がまだ植民地時代の沖縄から来た人間だったことから由来しているんじゃないかと思っているけど。

折り紙については、それから長く記憶がない、小学校の図書館で見た、とても高い技能で折られた折り紙の本を見て、こういうのを折ってみたい、と、思ったけどできなかった、そんな記憶があるけど、それが大阪に引っ越してきてからの話だったかもしれない、という、あいまいな記憶で、どちらも、実際に折ってみる挑戦をしたことがない。

折り紙の話が、また人生に関わってきたのは、自分の子が生まれて、小学校受験のときだった。

ブログに何回か書いているけど、Noneは小学校受験をしている。

これも何度か書いているけど、Noneの受ける年だけ小中高一貫校になって、中学も高校も受験がなく、授業も指導要領と関係なしに、本人と保護者の相談で何を学ぶか決められると聞いて、受験1年前だったけど、受験しようと押し切った。

Noneには、1年でお受験塾で合格できるレベルのことを身に着けてもらわなければいけなかったので、けっこうキツかったと思う。

でも、受験日には、受験に出るような運動とか面接の対応などは、ある程度できていたので、合格が全然ない話じゃないなと思って会場に向かった。

会場で、となりに、とても利発そうな女の子をつれた家族がやってきて、Noneに話しかけて、いっしょに折り紙で遊びましょう、と、Noneと折り紙を折ることになった。

Noneも、ある程度幼稚園で(お受験をするような子はほとんどいない庶民の私立幼稚園)折り紙で遊ぶことはあったけど、私が折り紙を使ってNoneと遊んだことはたぶんなかった。(紙工作のようなことはしたかもしれなかったけど、折り紙は遊んでなかったと思う)

そのお子さんは、とても上手に折り紙を折って、Noneはうまく折り鶴を折れなくて、キレた。

横にいた私は、なんとかなだめようとしたんだけど、Noneはブチ切れていた。

IoBの話を上に書いたけど、そして、今、私もブチ切れることの多い日々を送っているけど、あのときのNoneも、そんなキレる子じゃないのに、っていうぐらいキレていました。

今、私がキレやすいのは、何かで操作されているせいではなく、そりゃキレるやろ、っていうぐらい、ヒドい嫌がらせを受けているからだけど。

まあ、私は、いくらNoneにお受験勉強で、ハードルが高いことをしてもらうようにしていても、Noneの幼児でも持っている自尊心みたいなのは崩さないようにしていたから、あの時の、隣の子が上手に折り鶴を折って、Noneにも折るようにせかしたのは、Noneにとっては生まれて初めて大きく自尊心を傷つけられたのかもしれない、は、思う。

受験会場で、面接官がNoneに何を質問したかは覚えていない、過去問題集にあったような、今日の朝ご飯は何ですか?みたいな、誰でも答えられる質問だったことは覚えている。

それに対してNoneは、

「わたし、できないもん、できないもん!」

って、泣いてキレて叫んで答えた、

それで、すこしなだめて、あと2、3問は、ある程度普通に応対したと思う。

当然、落ちてたし、その時のNoneの答えとか、すでに書いてるからここでは繰り返さない。話を折り紙とか、日本的なものに集中しようと思う。

そこからも、そんな折り紙に関係するようなことはない。

あえて言えば、Noneが小学校のとき、PTAで新聞係になって、PTA新聞をパソコンに入力する係になったとき、遅くなって一人、学校で、他のPTA員さんが書いた手書きの原稿を入力するときに、「襷」が打てるか問われたような気がする。思い出せば、「襷」という国字を読めるか、入力できるかと試されたかもしれない。(読めないけど、IMEの手書き入力で入れた。そこに読みも表示された。やはり、私から見れば、日本人は襷という字は教えてくれないけど、読めないだろう、書けないだろうと言ってくる、でも、Microsoftという会社が作ったパソコンは、読めなくても打てる、読み方も教えてくれる、そういうものだった。日本人同士で友達を作ろうとするより、パソコンのスキルを上げて知識を増やそう、人生を向上しようとしたのは、こういうところにその差が見えるからだと思う。)

で、次に折り紙の話が出るのも、随分先で、日本語教師養成講座にいたときの話になって、

授業のほうで、授業で折り紙やると、喜ぶけど、日本人みたいに器用じゃない人が多いので、あんまり複雑な折り紙を折るように言うと傷つく生徒が出るから、そういう生徒が出ないように授業することは言われていて

で、自分が模擬授業をするとき、そういう傷つかないで折り紙を授業に取り入れるようにしようとして、

自分は模擬授業も実際に授業したときも、けっこう簡単なものを選んで、

「て形」ってのがあって、〇〇してください、みたいに、ものを頼むときによく使うので、動詞の語尾が変化するときに、最初に習ったりすることが多いんだけど

記憶では、本当にクリスマスが近い時期にやった模擬授業だったと思う、サンタ折るやつで、

けっこう気を使って作ったスライドで、いっこ折っては写真撮って、次折っては写真撮って、を繰り返し、これは出来上がりをクリスマスツリーと合わせて撮ったもので。(一応好感度上げるつもりで書けば、後ろにあるクリスマスツリーは、Noneがまだ1歳か2歳ぐらいのころ、市販の普通のクリスマスツリーでは、口にいれたりけがをするような触り方をしてはいけないと、クリスマス柄の生地でクッション風にツリーの形を作って、乗っかろうがなにしようがケガしないように作ったもので)

で、実際の授業では、

三角に折ってください、とか言いながら教えましたが。(このときの模擬授業の先生は、「みんにち」を使っていても、語彙は教科書でまだ習ってないやつも使っていい先生だったので、14課で「三角」は習ってない(っていうか、小学校の英語の授業のように、ものの形について習う課が「みんにち」のこの時期までになかった気がします。で、三角「に」の「に」も、外国語でこの「に」に相当する単語や概念がある言語って少なそうに思います)まあ、「~てください」を折るたびに聞くことが目的で、習ってない部分を写真を使って説明できているので、その他の部分は気にしないでもらおうとしたのですが。

で、実際に日本語学校の授業で折り紙を使うことにして、これも時節に合わせて、ハロウィンのときに、もらう、あげる、を教えるときに、折り紙を渡して

「私は先生に折り紙をもらいました。」

みたいな例文から始まって、お菓子など食べ物を授業で配ることが確か不可だったので、カボチャにしてもおかしくない色の折り紙と、カボチャの折り方を配って、

って、上の模擬のやつと同じようにここに写真上げようと思ったら、いくつかファイルが消えてる。(って言ってもう一度確かめたら、今度は戻ってた。一応今ここに、何人かの目撃者がいるような気がする)

同じ動画を検索できないけど、作り方の動画をユーチューブからとってきて生徒に見せられるようにしていて

このときは、学校では、外国人は手先が器用じゃないから、授業が混乱するから、折り紙をするのは止められたのを、ちゃんとできるように教えますからって、押し切った記憶です。(たぶん、当時のブログが、いじられてなければ、そのまま残っているはずだけど。)

で、押し切って授業で折り紙、上のパンプキン折れるように、折り方の紙で、ひらがな表記のものを選んだりしたら、ほぼほぼ全員、ちゃんとパンプキン折れて、

で、予備で渡していた折り紙で、「折り鶴」折れた生徒もいて、(折り方とか、何も渡してないのに。って、前に自分の人生トゥルーマン・ショーのようだと書いたけど、折り鶴折れた生徒は、私の授業に合わせて折り鶴の折り方覚えてくるように言われてた可能性もあるけど)

で、生徒の折ったパンプキンや折り鶴を教室の壁にしばらく画鋲で貼って飾られていたけど。

で、あと、去年の4月から学校行ってたって話書いてたけど(今、できるだけドロップできるほうで考えてる。オンライン留学とか、ホンモンの留学とか、めっちゃドロップしてるけど、前に留学時のときの恐怖体験とか書いてるから、それ、ちょっとその状態続けられなかったよね、は、理解していただけるとありがたい。)

ホンマ怖い

留学している時のこと

留学しているときの恐怖って、この辺に書いてる。

で、まあ、留学する前の日本の学校で怖かったこととかも書いてるんだけど

まあ、どこかは、ブログでは書いてなかったけど、教育関係の学校に行っていて、そこで英語の授業の模擬授業をする授業をしていたんです。

まあ、プライベートを勝手にネットに流されていたことがわかっていて、そちらでは学校の名前も言ってしまっていると思うのですが、

それも、もう、自分の就職先潰されるとか、すごいひどい目にあったぐらいから名前出していると思うんだけど、

で、まあ、それがかなり拡散されてて、みんなもう知ってるっぽいんだけど、ここではまだ名前を出していないテイで(し、拡散しているほうでは、かなり私についての誹謗中傷とか、おそらく元カレが付き合っていたときの、自分がイヤだったこととか、女性として言われたくなかったこととかが拡散されたみたいなんだけど)

で、英語の授業で、誕生日をテーマに、グループで授業することになって、

前に、別の模擬授業で、図書館で見た英語の授業の潮流に、いままで日本語学校でやってきた授業を掛け合わせて、新しい授業を提案していたし、そんな感じの授業を一緒にやりたかったんだけど、普通に生きてきた人には(思ったより普通の人、英語の勉強に興味がないことが、この年でわかって)、あの人さえいなければ、そんな面倒なことしなくて済むのに、ぐらいの同調圧力感じて、グループでの相談でも、ハブなってて、なんも言えんくなってて、

で、カリキュラムから考えたら、誕生日をテーマに授業をするとしたら、知ってる単語も、既習の文法事項もあんまりないから、授業でできる表現が少なくて、盛り上がった授業を作るのが難しいから、もっといろいろ習った時期の授業をやりたいとは言ったんだけど、たぶん、英語が苦手な他のメンバーが、難しいことやると思って、却下されて

で、誕生日がテーマなのに、ゲームをやるとか、習ってる語彙と文法事項だけでどうやるねん?って思ったけど、もうそれで押し切られるので、自分はできた教案のなかで、英語読み上げる役だけ引き受けて、あともう逃げるつもりやってんけど、

模擬授業の2日前とか、急に呼び出されて、ウチに教案書き直せ、と、

で、自分の誕生日はどの有名人と同じか?みたいなネタで授業作ったと思うんだけど、

で、例文も、自分、日本語教師の時は、この文法事項でウケる例文とか、ヘタしたら、前の授業終わってからすぐ考え出して次の授業の数日前にやっと思いつく、ぐらいやったのに、今ここですぐ作れ、みたいに言われて(1時間ぐらい話し合う、言われて、ある程度教案のことで話し合って、そこから例文、言われて、たぶん自分が次その学校での授業があるとか、相手の人も授業があるか何かで、10分か20分ぐらいで例文仕上げろ、言われて、めっちゃ即席では作ったんやけど

で、アレで盛り上がった授業にできた気はしなかったから、家帰って、折り紙の本、図書館で借りたりkindle unlimitedで探したりして(って、これもね、電子書籍について、学校で避難受けたのとか思い出すんだけど)

で、これも写真撮っとくんやったな、立体に折るケーキの折り紙いくつか作って行って、オチに、その月が誕生日やった人に、”Happy birthday!”言うて、その折り紙ショートケーキ渡すことにしたんやけど、

授業では、みんな、自分の誕生日、有名人の誰と一緒とか知らない、言うことで、まあ、そのときは、じゃあ、テキトーな人と誕生日一緒ってテイで授業続けて、言うて、

例文も、もっと英語の学習に役に立つような例文にしたらよかった、言われて、

折り紙があって、なんとか救われた、言われて、

最初っから参加させてもらわれへんかった模擬授業で、スベったん、ウチのせいにされた形になって、

この学校でのグループでの授業、参加させてもらえない、とか、意見聞いてもらえない、とか、無茶ぶりされるとか、さんざんやったのに、自分の方が、協調性ないとか、グループ活動できない、とか言われて、めっちゃ日本人であることが問われるような学校やねんけど、めっちゃ自分に合ってないと思ってて

まあ、去年、同じように模擬授業やって、自分が日本で孤立して育って、自分が自力で親や学校に頼らず集めてきた知識や経験、技術を、提供する代わりにこの社会に参加させてくれというつもりで作った授業を、めちゃくちゃにされて、それで怒って「私は日本人じゃない」ってブログで書いたら、ひどい目にあったらしいんだけど、

うまくできるかわからないけど

なんか、自分は、Can you keep a secret?なみに、秘密守れるか?って問われてたみたいなんやけど、この時点でも学校名出してないし、このブログで、勤務先の不満とか、他のブログの批判とか、いろいろ書いてるけど、訴訟とかできる形にならないように、全部計算して書いてきたつもりなんだけど、

ああ、そういえば、上のブログ、いま振り返って、

自分の世代で自分が活躍しようとするのではなしに、次の世代のための時代を作れる場所に移動したつもりだったんだけど

人を、悪く言う言葉は、極力使いたくなくて、若い人が「老害」とか言うのも、自分がそこに片足突っ込んでいるので、使いたくなかったんだけど

本気で、この国の「老害」は、次の世代が生きていける社会を、自分たちの権威とか生活を守るために、潰しても平気らしい、って、超実感したように思った。

うまくできるかわからないけど

本当に、折り紙についてかかわった人生で、すでに自分の幼児のときから、娘の受験、そして海外から来た人から見た日本の文化、次の世代に伝えるという意味での文化、という視点で伝統とか文化とかを、見てきて、伝統とか文化とかを伝えるということと、変わるべきものを変えるのを妨害するような「老害」的なものとの区別について考えさせられるのと、外部の者、内輪の者に対して、このような伝統や文化がどういう意味を持っているのか、ということを考えさせられる。

幼児の時、娘の受験の時、日本の伝統や文化は、私たちを部外者として排除するもので、ときに「場違い」と言われ撥ね退けられた覚えすらあって

日本語学校で養成学校で折り紙を教えたのは、やはり、複雑な折り鶴が、数限られた、他の子と遊べるチャンスの時に、それを他の子が折っているのを傍観するだけで何も参加できなかったトラウマに近い記憶、自分の子の受験で、自分の子がキレるぐらい自信を失った状態で受験の面接を受けることになった原因として、あの複雑な紙工作が、その技能を先人から伝承しているかどうかで人を判別しているものだと考え、そうではない、よい文化として、他と融合していこう、伝達していこう、というものにして、サンタであったり、かぼちゃ(パンプキン)だったりしたこと、次の世代に伝えるものとしても、ケーキであったり、しかもそれを英語の授業で使ったり、立体にしていたり、排除された思い出から、自分で調べて技術を身に着けて、さらに他者や外国の人、次の世代に伝わるものに変化させたと思いたい、というのがあって、

実は、このブログを書いているときに、見せられた光景で、日本の文化や伝統を、今の技術(デジタル的なものを含む)で、大勢で若い人がチームになって完成させていて、私のような幼児の時から孤立していた部外者は、利用されることがあっても、参加できることはないこと、(私も、もう仲直りできるとは思ってないけど、私をこの状況から助けてくれようとした人と、残りの人生をできるだけ取り返すように生きたいというのを、お前はもういらないんだと念押しされるような、おまえはここで監視され、生活にかかわるお金は手に入るのかもしれない、でも、お前はずっと孤独なんだと、リモートなのだと、念押しされたように思って)

干支がちゃんと言えるかとか、竹とんぼだとか、伝統文化にどれだけ親しんで生きてい来たかを問われる日々を、学校に入ってから問われることが多くて、自分は、海外ルーツの者として(うちのオカンが、父が沖縄由来であることを海外の者であるかのように、まあ、当時は確かに米植民地だったのだけど、を、笑っていたから、沖縄由来であることを、海外ルーツと見做されるかどうかもあるんだけど)、部外者として見てきたから、むしろ日本の伝統文化は、むしろクールジャパンとか呼ばれるような視点から、自分も部外者として振り返るぐらいのことしかできないのに、日本出自でないことを、随分と責め立てられた人生で、とくにこの学校に入ってからが特にきつかったと思っていて、

同じように、海外ルーツの人(だと思われる人)と、つながりたかったのだけど

元カレも、実際にそうは聞いていないけど、状況から考えて、っていうか、今YouTubeなどで、フェイク動画などで、明らかにあの人の声だと思われるもので、自分への嫌がらせを言っているのが聞こえて、そこで海外ルーツであることを言い切っているんだけど、彼は、日本文化に擦り寄ることで生きてきた人だと思っていて、付き合っている時から京都の和三盆のお菓子とか、五色あられとかを、ものすごく好んでいて、確かお母さんが(おばあちゃんだったかもしれない)が、お花やお茶の先生で、ものすごく日本文化に倣った家だったように聞いていて、

今、五色あられが、五色ぶぶとか書いてあるのをネットショッピングで見て、じぶんは「ぶぶ漬け」を差し出されていたのだろうかと思ったり、

遠回しに悪口を言い続けた人は、仲直りをもししようとしていたとしても、何を言っても遠回しに嫌がらせを言われているようにしか思えませんね。っていうか、また、遠回しに、いいひとだったように見せかける何かを言おうとしているようにしか思えないし、今ままでの態度や言葉から考えて、世間体を取り返そうとしているだけだというのもわかるし。

まあ、さっき見た光景のもとになるようなことを、雛祭りにやっていて

いままで孤独だった状態から、救い出そうとしてくれた人と、また会えると思って、ここにいるみたいに演じてしていたことだけど、

まず、その準備のために、お菓子の作り方とかを、図書館で記録したのを、ファイルにしていたのを消去されたり、元カレは、ネットに強い人なんだけど、そのへんから嫌がらせがあって(たぶん、会いたい人に、手作りパンを作ろうとしていたのに対し、元カレが、そんな手間暇をかけたものをつくるなんて、と、文句を言っていたのはわかっていた。だから、手間のかからないパン作りについてもファイルにしていたのを消された、もっと言えば、ベトナムに行ったときに、普通のベトナム料理だったら、大阪にも本格的なお店があるからと、せっかく行ったのだから、植民地時代の名残がある、フレンチの混ざったベトナム料理を食べたのだけど、それも、パクったような本があったので、ファイルにしていたら、それも消された。その横に載っていた、生春巻きの作り方も、なんかパクって、自分のところのスタッフの仕事みたいに紹介しているのが見えた)

で、家の中も(言うてめっちゃちらかってるけど)雛祭りらしい飾りを、自分にできる範囲でしようと思って、切り紙とか折り紙とかで雛飾りをするつもりで、

(雛飾りについても、幼稚園の時はいいご家庭の人が本格的なひな壇を持つのが普通だったところから、自分が高校ぐらいのときにミニチュアで出ていたのを見て、どの家庭でも飾れるものにしようと私は動いたつもりだったし、で、今回は、折り紙の因縁と、雛飾りの因縁がつながった形になったのだけど)

嫌がらせが今も続いていて、ダウンロードしているハズの雛祭りの画像が、アップロードからの画像の選択の中に出てこない。onedriveのファイルに入れているのに、パソコン本体でも画像ファイルが確認できているのに、アップロードから選ぶ画像のなかに、その画像が現れない、ドラッグドロップして画像を上げようとしても、画像が上がらない、グーグルフォトから画像を送ろうとしても、「不明なエラーが発生しました。後ほどもう一度お試しください。」って出て、グーグルフォトともつながらない。

グーグルドライブに挙げているのを、リンクを知っている全員、に設定しているので、画像がこのブログで見れるようにはできなかったんだけど、リンクには上げておきます。もちろん、元カレがリンク切れにする可能性は高いと思いますが。

ひな人形を、折り紙で折って、せどりにしようと購入したけど、本体が大きすぎて売り出さなかったピンクの外付けキーボード付きスマホケースをひな壇にして、スマホに雛祭りの壁紙を使い、キーボードの上に和柄の千代紙で雛祭りを折って載せたもの、

ひな人形onスマホケース

あ、めっちゃ奮闘して、画像出す方法考えたら、インスタに上げてたやつのリンクやったらつながった。そういえば、今、自分家にWifiつなげずに、5GもいけるWifiルーター使ってるんやけど、ちょっと買い物行くのに、ルーター持たずに出たら、家帰ったとき、ルーターなくなってて、電波通ってるから、取られたんじゃなくて、ウチのわからんとこ隠されたんやって思って家の中必死で探したんだけど、見つからなくて、で、家の中盗聴とか盗撮とかされてるのわかってたから、これ以上騒がれたくなかったらWifiわかるとこ戻しとけよ、言うて、作った苺大福、Noneに渡しに行ったら、戻ったとき、家にいたとき絶対確認していたラックに戻して「くれて」いたんだけど。まあ、実家にいたときに、実家のWifiで、上げられなかった写真、インスタには上げてたんだけど。(写真撮ったのが、スマホじゃなくて、白ロム抜いてるiPadで、で、スマホはテザリングとかできないようにされてる。っていうか、ブルートゥースイヤホンもスマートウォッチもつながらない。って、いろいろ嫌がらせされてるから、スマートウォッチで、正確な時間とか教えてくれへんのわかってるけど)

(今画像、インスタ経由で上げれるのわかったから後で記事書いたけど、ここから写真上げられない状態で書いてた記事です)で、図書館で手に入れた、苺大福を作って、ベトナムで買った扇形のバッチャン焼きの陶器のお皿の上に、外国語サークルで使い損ねた(桜の折り紙を折るように渡されていたけど、折りたいときに、なぜか家の中から消えていて、あとから見つかったもの)ピンクの千代紙を下敷きにして乗せて、(色画用紙など、あとで切り紙にしようと100均に行ったら、色付きの粉砂糖が売っていたので、色付きの苺大福にしたのだけど、思ってより色がカラフルすぎて、和風というより、ドラマでよく見るアメリカの手作りケーキみたいな色彩になってしまったのだけど。赤色3号とか言ってたら、それもまたネタにされたようなの見たし)で、パーマかけたの、すぐ取れて、髪型すこしでもよく見えるように買ってた100均の髪飾りも、ちょっとこの飾りに合うなって思って付け加えて、(これも、エンブレムがどうとか、っていうの見て、イラってきてたんだけど、っていうか、絶対そんな偉人いないっていう話聞かされて、かなり腹がたってたんだけど、なんか、すごい金かけたフェイクドキュメンタリー見せられた感じで、怒髪冠を衝く(四字熟語「怒髪衝天」で言ったら、アイツこれ絶対下ネタにするっていうのがわかってて)状態で)

googleフォトのリンクはこちら

本当は、もっと穏やかに、ひなまつりをあの人と一緒に過ごしているような雰囲気で過ごしたかった。(その人の動画に、元カレが音声をかぶせてしまって、姿を見ることはできるけど、声は元カレの嫌がらせしか聞こえない状態になっていて、それが数か月続いていて、完全にノイローゼ状態になっていて、正直、IoB的な嫌がらせも受けているので、夜中に命の危険も感じる状態になったり、応募したいけど、出てくる求人情報がフェイクニュースばかりだという状態も続いていて、この先、生きていけるのかという不安で、泣いたり叫んだりする日がもう長いこと続いている)

ああ、そういえば、「うれしいひなまつり」も、Vtuberで上げていたんだった。

これもね、Vtuberのキャラが、初期に作ったものでは顔が悲しそうに見えるので、ちょっとかわいらしく作り直そうとしたら、編集ソフトで扱えるファイル形式のが、パソコンにちゃんとあるのを確認して、他のパソコンで編集しようとUSBに居れたら、ファイルがなくなってて、で、最初から作り直そうとしたら、その髪型が作れなくなってて(これは、自分が前髪とか横髪とかを組み合わせたのが自分でわからなくなっていたのか、その髪型が消されていたのかがわからないのだけど)で、必死で探したら、パソコンには2台ともないのに、検索したら、USBから出てくる(その日のファイル移動までは、Vtuber関係のファイルは全然入れてなかった)から出てきて、絶対パソコンからファイルを消去してたんだってわかる状態になってて、雛祭りの前日にはアップロードしてたかったのに、編集し終わったら歌歌えるような時間帯でもなかったし、ファイルを人に嫌がらせで消されて、それやっと見つけた、みたいな状態で「今日はうれしいひなまつり」とか歌えなくて、その後寝たんだけど

翌朝、起きて、すぐ歌って

上の雛祭りの飾り画像の、中心のひな壇をとって、その後ろの扇をすこし小さくして、ちょうどいいと思った位置に移動したものを雛飾りの後ろのスマホに表示したのですが。

そう、このVtuberの編集できるかどうかでかなりの時間を失って、苺大福の材料にする白玉粉とかが前日に買いにいけなくて、この動画撮ったあとに買いに行って、で、ひな飾りとか飾って、苺大福とか作って、さあ、撮った写真インスタに上げるぞ、ってなったときにWifiルーターないってわかって、イヤ、Echo showにYoutube映ってて、好きな人の画像見れるけど、元カレのイヤな声聞こえる、いう状態で、ホンマぶち切れてて

なんか、折り紙からの伝統文化の話から、ひなかざりの話までになってしまったけど

嫌がらせばっかり、IoBぐらい進化してるのに、って、日本の伝統文化と新しい技術は結びつけるアイデアだけは取るのに、私をここで孤立させて、自分の育った環境から救い出そうとしてくれた人とは、話をすることも、声をきくこともできないようにしようとする、本当に、単身者用住宅に住んでいて、珍しく他の同年代の子と遊べるというチャンスですらも、知らない者には難しい折り鶴という壁を立てるのに、それをネットという壁にして、自分の心の傷を理解できる人との直接的な会話とか交流を妨げる、私にとって日本人であること、伝統文化を強調しすぎる人というのは、私の人生を、純粋な日本人でないという理由で潰すことを正当化する人たちだと思っていて

折り鶴でなく、サンタやパンプキンや立体で折るケーキ

伝統的な折り方での雛人形の折り紙は、和紙の千代紙でなく、100均の印刷されたもの、そして、せどり用に購入したけど、売れそうにないから売らなかった在庫(自分が自分のもう使わないスマホを携帯ワープロのように使おうとしたもの。ベトナム語のチュノムの入力が、パソコンより便利だと気が付いたから)を使って、動画を作るのに作った壁紙を編集して作った画像をスマホに映したもの)

もう一度書くけど、広くていいご家庭でしか飾れなかったひな人形を、高校の時はミニチュアで、自宅の机の上などに飾れるようにと宣伝して、今回、新旧融合で、和洋折衷で、それでも「和」であることが間違いないものを表現したと思っています。

私の元カレは、この作業を、ハッキングなど、いろいろな嫌がらせをして、とても無駄な時間をたくさん使わせて、私の精神をとても疲弊させて、本当にとても「今日はたのしいひなまつり」などとは言えない状態にして、その元カレのせいで、自分の若い時代の他の人との交流ができないようにして、新しい恋人を作るとか、友達を作るとか、仕事を見つけるとか、職場で評価されるとかができないようにする、誹謗中傷を言い続けてきたのだというのがわかっていて、それで今なお、そこから助けようとして、人間らしい人生を送れるようにアドバイスしようとしている人と繋がらないように嫌がらせを続けている。

あの女には価値がないとかずっと言い続けていて、このように、ちょっといいねといってもらえそうな状況になったとき、もう、そのまま死んでもいいから、みたいな、命にかかわる嫌がらせを続けて、あの人と私が話をしたりできないようにしている、おそらく元カレが私にいままでしてきた嫌がらせを、あの人は知っているから、壁を作ることで知られまいとしている、あの人がいろんな知り合いがいるので、私の不満がそちらに拡散するのを恐れているだろう、と、思えるところもあります。(って、不満とか、自分ができそうだと思う範囲で、ここや他で言っているのはあるんだけど)

まあ、本当に、自分がこれから挑戦しようとする新しい技術を、全然理解できないで、あの女は昔こうだった、とか、自分が貧乏で孤独で、なにも知らなかった時代に受けていた悪口を繰り返し、そのころ受けていた嫌がらせを続ける、

私のパソコンの中の、クラウドに保存しているファイルとかを見て、私がやってきたこと、やろうとしてきいたことを、パクろうとしていたことはわかる。けど、元カレには、私のファイルを見て、何がしたくてこのファイルを作ったのか、理解できなくて、めちゃくちゃな解釈で類似した情報を流しているのが見える。

この邪魔者がいなければ、私はもっと今の時代に沿った活動ができていると思っていて、

でも、私は、この国の伝統文化を、そのままの形で継承したり、ましてや日本人の血統の良さなどを感じることはできなくて、っていうか、沖縄の流れがあるということで、さんざんに苛め抜かれた半生があって、残りの人生を、それでもこの国に生まれたことを否定しない立場で、それでも、自分の由来を外に、それも、もう史跡に近いところに自分をつなげたいとすら思っていて(生きている人間に同郷であることを認めてもらうことは難しいし、もう、いまからなら口先だけ話を合わされているような気しかしないから、歴史的な記述に、それを感じ取るだけで、もうそれを否定できるような人は、生きて残っていないほうが、傷つかないですむとすら思っていて)旧約聖書をヘブライ語で読んでみようと(これも、前からブログに書いているけど、沖縄の由来だけど、名前に外という字があるし、そのことを人に話すと、自分が「場違い」と言われた記憶があって、後で謝ってもらったような様子はあるけど、自分が感じる望郷が、もっと遠いところにいってしまったことは、もうどうしようもなくて。そこにある郷土料理を食べる人の映像を見せられたけど、それは、自分が幼児期に隣の人たちが折る折り鶴を折る姿を何もできず傍観してたことと何一つ変わるところがなくて)

ああ、あの人と直接話せたりすること、あと、自分は本当ならちゃんとしたお給料をもらえないといけないようなことを、家族や元カレにやらされていたのに、自分は何ももらえずに、家族や元カレなどが散財していたらしいのも聞くようになったけど、

私が助けてほしいばかりに、お金のことを言うのをやめようとしたら、あの人は、もらえるものはもらえるようにしなければいけない、と、アドバイスしてくれたので、何がどれだけの価値があるかわからないから、その話はあの人を通してしようと思っているので、どのぐらいほしいとか、そういう話が、今の私には言えないのだけど

正直、留学している時だけめっちゃドル高、とか、すごいレベルでお金が動いているのは感じていて、もう、私が推測できない範囲の金額なんじゃないかと思っているけど

あと、自宅にあった漫画が、古本である状態がそのままなのに、中身が書き換わっていたり、なにかの工作ができる人がかかわっているのはわかっていて

って、もうずっと前に、うちには忍者が来る、とか、冗談では言っていて、留守の時にシャンプーに縮毛矯正材付け足しに来ている、とか、留守中に台所でみかん食ってるとか、星占いでラッキーアイテムがボンレスハムだったとき、誰も買ってないのに冷蔵庫にボンレスハム入ってるとかは、言ってたんだけど、そんな冗談ですまない規模の話になってて(自分が若い時にブランドの服欲しかったけど、サイズないから買えなかったことをブログで書いたら、なぜかNoneのワードローブにブランド物のTシャツかかっていて、None着てて、忍者のみなさんに、Noneも小柄だけど、サイズがあってるからありがとう、とか、そんなことを書いてた時期もありましたね)

まあ、本当に、今、心も体もボロボロだから、もう、あの人とまた会話できたりすることができるのかどうかしか考えられない状態で、で、あの人の姿を見ようとしたら、元カレの嫌がらせしか聞こえなくて、で、ネトウヨっぽい話題とか、お茶とかお花の先生に育てられたらしいヤツの、伝統とかそういうのに沿わない自分を卑下されているような話ばかりで、(あと、ウチは母さんが貧乏なクセに金持ちのグループの仲間入りしたような話題されるのもキライやってんけど、そのへんも元カレは母さんのグループに似ていて。っていうか、トゥルーマン・ショーみたいに、母方の親戚から付き合うように言われてやってきた人なんじゃないかとすら思っていて。本人の気持ちとかより、世間体とか見栄えを気にするところがキライで、他人と上だとか下だとかを争うのもキライで、精神的な満足よりも、金銭だとかマテリアルなもので満足しようとするところも、下劣なぐらいに思えるところがあってキライで)そこから本当に逃げ出したくて。

自分がもう、本当にこの状態から抜け出るには、自分が死ぬかどうかぐらいまで悩んでて

で、そんな精神的に壊れたやつを、自分の思っているあの人も、もう怖くて何も話せなくなってるから、とか言われるから、頑張って無理をして、ひなまつりをあのひとと一緒にいる、っていうことで、帰ってきてもらっても大丈夫なアピールをしたかったのに

お菓子の作り方でもファイルが消える、歌の動画でもキャラを手直ししようとしたら、そのファイルも消えてる、なんとかそれでもあの人に会えることを考えて、やっぱり無理して歌の動画作って、苺大福作って、ひな壇を作って、その写真そのものがヤツの言う伝統とかとは違う、自分の生き方を証明するようなものにしたのに、動画が上げられないようにWifiルーターとかなくなってるし、

それで、じゃあ、日本では受け入れられないんだと、英語の雑誌記事とか、図書館でコピーしたものをOCRかけて、読み上げソフトにかけて、読みやすくしようとしたのだって、読み上げ機能を使えなくしたり、本来無料で使えるサービスが使えなくされていたり

自分では、ネトウヨとか伝統文化にこだわりすぎる人たちって、知識とか技術とかを、部外者が得ることを妨害する人たちだと思っていて、自分が小学校の時、大阪に来た図書館で(これも何度も書いているけど)知識とは平等に分け合えるものだときいて、貧しくても知識や技能を得てよりよい仕事を得ようとすることができると考えて、私はそちらに傾いたのだけど(知的所有権とか、技能の価値とか、簡単に平等とはいえないものはあるのはわかるけど、幼くて貧しい時の私には、それはとても魅力的に思えた。で、大人になってからも、ルターが聖書を編纂したことで、庶民の識字率が上がったこととか、その流れが今もプロジェクト・グーテンベルクなどにつながっていると思っていて、どちらかというとその流れに沿った生き方をしたくて。で、やっぱりこの数日に、元カレとその仲間っぽいのが、聖書やそういう無料の文献をネット上で改竄していて、私がそういった知識にすらたどりつけなくしたことに関して、壊れかけていた心を、さらに粉々にしたと私は考えていて)

あの人と話したい。今一番求めているのは、自分の生い立ちを知ったうえで、「たいへんだったね」と、直で、なんの遠回しや気取った言い回しでなく言ってくれる人が、ネットなど、ほかに傍聴されるとかの心配もなく、本音をどう言ってもかまわない状態で話せること

自分が、自分でも家族などにそこまで追い詰められていることを知らないときに、助けてくれようとしたあの人

話したいという最優先が、その人であることを、どうやっても変えることはできなくて

今まで、いろんなことを、いろんなふうに、遠回しで言われて、そこの本音が何なのか、なぜそんなふうに遠回しに言わなくてはならないのかもわからなくて

元カレが使っていた、京都風の遠回しは、基本9割「いけず」

いうて、残りの1割が親切やったり、思いやりだったりした記憶もないけど

血統がどうの、いう人は、自分が正当な血統とかやなかったら、なにをどうやっても人間関係を改善することはできへんし、そこで努力する必要とかあるわけない

伝統が長い、とか言う理由で、ブラックに働かされてまでその伝統を延長するのは、自分たちが安くあしらわれる理由を、差別されながら増強しているにすぎない

人々に愛されるとか、好まれるとかの理由で、長く残っているから伝統とか文化として長く続いていることに価値が認められるべきであって

私が幼児の時見た、お金持ちの持つ雛壇、どの時点で完成したものと見做されるようになったかわからない、どこかの時点で、どこかの誰かにとって守られる文化や伝統だと区切られて、そこからの変化を拒まれるようになったように思う。

私の元カレのやっていることは、WindowsがXPのときに完成していて、もうサポートが終わっているサービスもたくさんあるのに、ワード2021とか、365とかでイマーシブリーダーとかを使って外国語学習するのとかを妨害していて、それが伝統とか文化とかを偉そうに言うので、もしくは、伝統とか文化をそういうふうに扱うのを、まるで自分が思いついたことのように触れ回っているのを見て、

技術とか知識とか、伝統とか文化とかの継承のありかた、それを他の文化や伝統を持つ人たちにどう伝えるか、

ちょっとね、海外のお金のある人に、ワンダホーとか言ってもらって、高額で売るとか、ビジネスとしてはいいと思うんだけど、この国に来た、普通の旅行者や労働者、それに、低賃金で働くようになった海外ルーツの人々など、私としては、そちら側なので、それを理由に部外者だと、排除される存在だと言われ続けたように思うので、日本の文化や伝統性の「純粋さ」とか「正統さ」みたいなものを直視することができない。

それならば、はじめからそこの国に居なかった外国の古い伝統文化のほうが、「こっちの方が古いし」「こっちのほうが正当だし」「こっちのほうが豪華だし」みたいに文句をつけたくなって

それは、今思い出せば、ブログの過去ログにあるように、テストで95点をとっていた私に、「俺の友達98点」とか言うのと、理屈としては似ていると思うけど、まあ、私、95点だったことを威張ったわけでもないのに、そんなことを言われたのであって

自分の持っている伝統などないのに、「歴史が長い」とか、自分のルーツでもない人から威張られるのであったら、「いや、こっちのほうが長いで」みたいに、言いたくなるよね。どっちも自分にとって「他所よそもん」であって、その中に入れないのであれば、印象の悪い人から「長い」とか「豪華」とか言われるのであれば、自分が褒めたら喜んでもらえそうな、もっと歴史的に長いものとか、豪華なものを賞賛したいと思うのは、人間の自然な心理だと思います。

そこに、庶民の識字を上げようと聖書を編纂した人、今もネット上で情報弱者を減らそうと貢献している人たち、小学生の時から知識の平等を求めて生きてきて、おそらく一貫してブレることなく生きていた私にとって、そこに土地はなくても、自分のルーツやアイデンティティはそこにある、と、信じています。

って、午前からずっと書いてて、めっちゃ長くなったね。

図書館でコピーしてきた、ウクライナの記事とか、OCRにかけたの読むとか、今作りかけてるサイトとかもっと手をいれるとか、やるべきことはたくさんあるけど、その元カレのせいで、ネットとか健康状態とか、精神的に傷つく言葉を聞き続けないといけない状態で、私が健全な生活を続けることは考えにくい。

元カレが持っている、嫌がらせをしている技術が、元カレの、私が知っていたころのスキルから考えて、で、自分が今、持っているパソコンやネットの知識から考えて、で、私がパソコンでしている操作などを、元カレが理解していないとか、知らなかったことから考えて、嫌がらせのスキルや知識が、彼自信が編み出したものでも、考え出したものでもないだろう、というのが推測される。だから、彼にそれを提供している、その高い技術を持っている団体が、彼からそれを取り下げるべきだと考えている。

今までの私の生活に起こった出来事の経由から考えて、元カレとあの人は、業界とか立場的に敵対しているのではないかと考えています。私が持っている知識とか経験を、いままで甚振ってきたくせに、敵対している相手に渡さないでおこうとしているのではないかと思います。

母が、伝統的で正当なものを尊重する家だった。父が、革新的な外来ものを好む人だった。

私は、どちらの親からもそんなに大切にはされていなかったけど、革新的なものを好み、外来のものをどんどん取り入れる、父の生き方の方が好きだった。

これも、何度も言っている。母は、たぶん望んで産んだ子ではない私をひどく嫌っていたけど、父は、格好つけようとしてうまくいかなかったから逆ギレしてたんだと、私は認識している。

若干、元カレも、格好つけようとしてうまくいかなくて逆ギレっぽい感じはするけど、だからって、格好つけようと努力するわけでもなく、ただ、私を格下にしておけるように人生を妨害するだけのようなので、で、その妨害と戦う気力も体力も残っていないし、なくしたものの大きさに、これ以上嘆き悲しむ日々を送らないようにするためには、それを思い出すばかりの昔話を、聞き飽きたあのウザい声で聞かされ続ける生活は終わらせてもらいたい。

父が、やり方は間違ってたけど、自分が見られたい姿で子どもたちに見られようとしていた努力は覚えている。自分が務めていた会社の社長が別に経営しているレストランに自分を連れて行ったり、親戚を倣って保険会社を経営しようとしたり、刺繍ミシンの宣伝係とか、父が自分で思っていたような、殿様のような仕事ではなくなっていても、同級生に刺繍してやるから、好きなキャラクターを聞いてこい、とか(そりゃ、そっからウチの同級生の親に刺繍ミシン売ったろ、っていう下心が、あったかどうかわからないけど、父のそのときの雰囲気から、どちらかというと、娘だった私に、学校でいいかっこさせて、自分の株を上げよう、みたいな感じに見えたのだけど、同級生の親の連絡先とか、気にしてる感じなかったし)母がいい格好をしようとしたときは、他の人が見て、私より優れている、ことがあきらかにできるようにしていたと覚えているのに対し、父は私によく見られようとしていたように記憶している。

上の、インスタの写真にあるように、本当にアナログな時代から、今、ちょっとした若い人は知らないようなネットやパソコン、タブレットの知識がある私が試みれるようなこと、そういうことを、あの人なら支援してくれるのではないかと思っている。

それは、アナログな知識とか、デジタルの知識とかだけではなく、上に書いたような、私の人生の闘いのようなものを、理解してもらえそうだということ、おそらくは似たような闘い?をしたのだろうと私が推測していること(ネット上の話で、上に書いたような、重い話は聞いてないし、そうだろうという推測しかしてない。有名な人なので、彼をモデルにして書いただろう漫画を、たぶんその通りだろうと思い込んでいるといえばそういうところあるし)

ここで、母方の言う伝統文化のようなものの闘いは、もう長いし、私は、人生で人間関係を他の人と築くのに、妨害された被害者だと思っている。ここから自分が信頼できるひとと人間関係を築いて生活するのが、たとえ対立する相手であっても、私が信頼できる人がもう伝統文化とかを言うひとではないので、そういう人への恐怖心とか、不信感とかがもう限界まできているので、で、とくに日本の伝統文化や正当性を否定するつもりもないので、今自分がようやく見つけた信頼できる人と、私としておだやかに暮らしたいので、今いる元カレを(おそらく伝統とか言う人がおしつけて改革的なことをいうあの人とつながらないように蓋をしていると思っていて)私に関わらないところに連れて行ってほしい。

正直、私はいつも本当のことばかり言うように生きてきたから、違法な薬物など、誘われたこともないし、関わったこともないのに(だって、本当のことしか言わないから、すぐ捕まるし、入手経由とかもすぐバレると、誰もが思うから)違法薬物を使っていると、しつこくしつこく言い続けている。それを言う元カレのほうが、残酷なことを笑いながら言うとか、人が泣いたり落ち込んだりしているのに、さらに傷つけるような言葉をかける、(今日のような内容のことで泣いているような日に、父親の背中を見て育った人が人間として評価できるような話をしたり)ことができるので、この人のほうが本当は、感情が異様に高揚するような違法薬物をしているのではないかと思わせられる。違法薬物の話をしているときに、秘密が守れない、とか、嘘がつけない、みたいなことで、私を非難してきたこともあるので、この元カレが私が疎外者になるようにしていたのは、そういう秘密があったからではないかと思わせられたりします。

まあ、自分の親戚で、メンタルクリニックから、痴呆症のようになるように処方されている人がいるのを知っているから、精神的に疲れている私に、楽になるよ、とか、気持ちよくなるよ、とか言って、違法薬物をさせて、いままでしてきた虐めなどの主張を、薬物依存状態で発言した、事実でない話のようにしようとしてきたのではないかと、思ったりします。

父がアルコールやギャンブルの依存症になっていたので、で、やめるように押さえつけるより、父を認めること、父が幼い頃期待されたような成功は父はしなかったけど、受けた差別とか、育った環境を差し引いたら、よく出来たのだと、認めてあげることができたら、格好をつけようとしてうまくいかないでやっている逆ギレを、止められたんじゃないかと、すべてが終わった今思っていて)

だから、依存症だと思える人を、今目の前にして、その場でぶった切るようなことができなかったのだけど

私が母に逃げるように言ったとき、もう父は終わってると思った。もう父が、母をどれだけ自分のために稼がせられるかだけが、父のプライドを保つ手段になっていて、その母をより多く稼がせようとすることしか、そしてその金で飲み屋で見栄をはることしかできなくなっていて、飲み屋の人も、働かずに嫁に稼がせているだけの男を、ちゃんと評価するつもりなどはないけど、お金がでるから父に飲ませていて、働かされている母が潰れるのは、もう時期だと思った。

母は、父はどこに逃げても追いかけてきてお金を取りに来るから、逃げても無駄だと言って私をたしなめたのに、それから1週間程度で、母は起きたらいなくなっていたけど

今の自分のプチ状態だったかもしれない、ぜんぜん真似したとか、そんなつもりはなかったけど、後で母のほうで暮らしたとき、母は狂ったように泣いたり叫んだりして、おかしくなったと思った父が、母の実家か、それとも病院かに連絡して、母は実家にもどったのだと聞いた。母の話では、母はキレたふりをしていただけだったと聞いたけど、たぶん、わたしのは、マジでキレているのが、見ている人にはわかると思う。

こんなとこで、母子くらべとか、全然したくないけど。

もう、でも、もう自分が限界にきていて、一番に解決したいのが孤独で、この状況を救おうとしてくれたんだと信じている、あの人以外は、どの言葉も「表向き」なのかもしれないと、浮かぶ疑惑を払拭することはできなくて。

っていうか、いつも誰に何を言われても、「表向き」である可能性をゼロで聞いていたことはなかったんだけど

ただ、もうけ話とかの話の時に、お金をとるためにだまされる可能性とかを考えるけど、小学校の時にふつうに話してた友達だと思っていた人が、実はトゥルーマンショーのように、人から言われて仕方なく来ていて、実は友達だともなんとも思ってなかった、みたいなところまでは疑ったことがなかった。

こんな悪いことしなくてもいいのに、ってところで、そんな悪いことをする可能性はないだろう、みたいなことが、今日常的にいつでも起こっている。

元カレのように、特に権力があるわけでもないと思われる人が、それなりに権限とかありそうな人の批判を受けてもまだ悪いことを続けている、もう、誰を信じていいのかわからない。

わたしが信用しようとしている人ですら、若干、元カレを動画から外すことができるのに、もう、狂乱状態の私と話すのが怖くて、蓋をし続けているのかもしれない、と、不安になってしまう。

でも、それでも、一番信頼できるひとは、あの人で、ほかの人は、この悲惨な状況を維持するために嘘をつきにきているかもしれない、という疑惑を振り払うことができない。

これも、もう、ずいぶん長く言っている、あの人が善人であるという私の判断が間違っていたとしたら、私はもうこの世の中の何をも正しく判断できないだろうので、そんな状況で生きていくことに価値があるとは思えない。

私がいいと思うものがいいものであるか、悪いと思うものが悪いものであるか、その判断が、自分が今唯一信じられる事に対しても通用しないのであれば、生きていくことは苦痛でしかないであろう

あの人につながることだけを希望に、ここまで頑張ってきたけど、元カレがあのひとを釣りに、会えることを期待させておけば、いつまでも孤立した状態で利用できると思っているというのがわかる。

その状態に限界がきている。利用するもなにも、利用できる活動すら妨害する馬鹿にとりつかれていて、機嫌良く過ごせるつもりのひな祭りですら、惨事になってしまって。

まあ、もうシャレとか言いたくないけど、三月三日の惨事、いうことで。

私は、新しい途を、自分が信じられる人と、これから歩みたい。

幼児のときにママ友の家で、ママ友の子が折り鶴を折っているのを、仲間に入れずに傍観していたのを、自分の思う形で、異文化とか、日本のものも取り入れて、いい形にしたいな、とか、今自分が知らないことで、あの人が、こういうことやってみたら?が、あるかもしれない、とかあって

とりあえず、元カレは、自分にとって足かせでしかなく、これ以上耐えられない。

そういう今、IoBを疑わせるような、心臓の動悸を感じた。

助けてほしいし、元カレから自分を隔離してほしい、そして、自分が信頼できる人間関係を気づくために、あの人と話せるようにしてほしい。

そこから、自分が失った、本来人間が楽しいと思えるような人生を歩めるようにしたい。

とりあえずこんな感じです。

ああ、一応、自分がブログ書いてる途中で書くつもりで、書かずに一旦投稿したんだけど、ちゃんと書き足そうと思って

That’s イズミコっていう漫画があって、自分を重ねて思ってて

3歳の時、イズミコは自分をもう一つ作った。コピーとかクローンではない、もう一人のわたし、イズミコの爪はカガミコのツメ、みたいな説明のもので、自分は3歳ぐらいの時まで父方の沖縄の姓なのだけど、母方の祖父が、養子に出ていた子だったのだけど、本家の名字の跡取りがいない、という話になったとき、父は、みんなが嫌がっているのに、沖縄の姓だと私が差別を受けるからと、本家の名字を無理やり相続した、と、聞いている。おそらく、戸籍はそうなっているはずだと思う。(確かめたことないけど)

で、3歳の時に二つに分かれたイズミコとカガミコの話が、中学から高校の時までは意識しないで読んでいたけど、結婚したあたりから、私にそっくりな双子がいるのを見た、とか、人に言われることが多くて、それも当分、生き別れの双子がいると信じていたんだけど、双子の話が、どちらも自分の話のように思われるエピソードで聞くことが多くて、それが、日本人の流れを言う母方の親戚から見た私、で、自分が生きてきた、外国語学習とか、海外文化を好む私の、視点の違いなんじゃないかと、思う時がやってきて、極楽院家の和泉子と、和泉子が作ったといわれる影見子(小さいと聞から異世界で暮らしている)に、ちょうど重なる気がして。で、どちらも自分が二人いるなんて許せない、ということで、両方が殺し合いをする、というエピソードがあるんだけど(私自身は、日本人として生きるか、とか、海外ルーツとして生きるか、と、戦った覚えはないんだけど、時期的に合うのかどうかはわからないけど、人生で似たようなエピソードって、家庭裁判所で両親の離婚の裁判で、父との暮らしについて、もうあんな暮らしはできないという作文を書いたことしか覚えていない。母方の家では、孤立して育っていたから、和風に生きるとか、海外文化を尊重するとかで葛藤した覚えはない。大阪弁が話せん人はキモチ悪くて話せない、と言われ、でも大阪弁が習えるところがないので、「基礎英語」聞いてた、という、そういう状態だった。あと、中2でできた友達が、当時はカミングアウトしてなかったけど、日本共産党支持者の家の子で、そのときの記憶から推測するに、彼女も海外ルーツの家の子だったのではないかと思っている。

で、長なったけど、カガミコとイズミコが喧嘩してるときに、装着しているパワードスーツがクラッシュして、両方とも幼児状態になるんだけど(ちょっと、今私も、別に演じているわけではなく、幼児みたいな状態になる、っていうか、昔から、考えるのしんどいときこうなる)カガミコが鏡を見たとき、鏡を割って

「わたしはカガミコだ、イズミコではないぞ!」

って、宣言するところがあって、正直、漫画の連載中から、私はカガミコの方が好きだったんだけど(高校のとき、尊敬していた女の先輩は「カガミコはちょっと・・」って言ってて、それがなんでなのか今でもわからない。ただ、あの高校からいい企業に就職されたのから考えたら、イズミコ側のほうが日本の社会に受け入れられるのだろうと思う。)まあ、連載の最後、って打ち切りに近い終わりで、イズミコとカガミコを無理やり一つにすることで終わるんだけど(って、ソレ、二重国籍状態なのかとも思うけど)で、上の雛飾りだって、決してカガミコだけのものではないんだけど、元カレにつながるものやことをなくしたいと切に思う今、上のように叫びたくなる自分がいる。って、たぶんあの人も、二重国籍状態のような人なんだろうと推測してるけど

追記の追記 イズミコの話で思い出したけど、書き直しのあった漫画の一つにイズミコがあって、イズミコの弟の嵯峨のお母さんが「まれに」っていう名前だったんだけど、「まれに」に、直されてて、コレに切れる理由は、あんまりネットでは詳しく書けないんだけど、まあ、極楽院家の人間って、「和泉子」とか「影見子」とか、「嵯峨」とか、普通の日本人とは違う名前がついていて、だから「まれに」という、一般ではない、まさに「まれ」な名前で、普通の人と違うことに意味がある、というか、それが極楽院家なんだと思っていて、それが、今普通に学校に行けば普通に出会える「希」という字で「まれに」にされていることに非常に腹を立てていて、実際、私が中学の時や高校の時に購入していた古本を、そのままの見た目で、そのような改竄がされていた。アマゾンでKindle Unlimitedで読める電子書籍ですら「まれに」に書き換えられていて。これは絶対に元に戻してほしいと訴えていたら、書き直されるのではなく、テレビをつけたら、「稀」の字がつく関取とか、タレントが、やたら目につくようになった。私は、「極楽院稀」を、「極楽院稀」に戻してほしいだけで、そんな、知らん稀の字がついたタレントなどをテレビで見たかったわけではない。

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