本借りて、本読み込んで

昨日ブログ書いたあと、図書館行って、自分のやりたい勉強に関する書籍借りて、

その日の晩ご飯頼まれてたから、ベトナム食材の店久しぶりに行って、揚げ春巻き買おうとするんだけど、商品がガラリと変わっていて、前に買っていたのがない。

なんか、日本でなかなか買えないようなお肉の冷凍ばかりになってしまったみたいに見えたけど、黙って帰るのもなんだなと思ったから、店員さんに「春巻きないですか?」って聞いたけど、通じなくて、スマホの翻訳使って聞いたら(日本語教師してたときは、ベトナム語で発音できるようにしてたんだけど、もう忘れてた)店員さんが、何種類かあるのを見せてくれた。

一番たくさん量が入ってるのを買うことにして、そしたら、前買っていたのより安くなっていました。

お味は、前と同じような感じでおいしかったです。

なんかもう、いろいろ考えすぎてわからなくて。

もう、今回は申し込みの締め切りが終わってたけど、図書館にチラシあって(またチラシかよ)ひょっとしたら、自分のやりたいようなことを、できるかもしれないと思って。

って、仲間5人ぐらい集めないといけないから、そこめっちゃ壁なんだけど。

まあ、前に教祖が、無料の英語サービスとかやるの、ボロクソに言っていたことがあったな、とか思い出して。

実際、私はNoneが赤ん坊の頃、土曜の昼、主人にNoneを任せて、主婦が集まってやる英語サークルみたいなのに参加してたんだけど、

料金的には、部屋借りる料金だけ払う、だったと思う、ネイティブをお金分けて払って呼ぼうかとかいう話も出て、一度だけ来てもらってたような気もする。そのとき以外はほぼ数百円で参加していたと思う。ネイティブがいないときは、英語で仕事をしていた、そこそこ話せる方が一人いた以外は、私とどんぐりの背比べぐらいの人たちばかりで、日本語で話していた時間の方が長かったように覚えているけど。

教祖が、お金を取らないとか、無料に近いサークルとか、すぐ潰れるとか書いてて、その理由が、いろいろ面倒なことが多いから、お金をもらわずに続けられるはずない、みたいな趣旨で書かれていたように記憶してるけど。

そのときも書いたかもしれないけど、それって教祖が信者たちに、おまえらの世話なんか金でも貰わないと面倒くさくてできるか!みたいな内容になってるのに、それでも信者がついてくるなんてすごいな、とかは思った。

まあね、見てると、同様のサービスをする他の団体よりは安いのかもしれないと思っているけど。

でも、他で有料でされているところとか、高いとか安いとかあまり調べてないけど、無料のところとか貶しているのを見たことはなくて(そんな注視してないから、見てない日に書いてたこととかあるのかもしれないけど、基本、他のところのカラーから考えて、他のところけなして、自分のところ良く見せよう、みたいなところは、教祖のところの他は見た覚えがなくて)

あ、英語じゃないけど、日本語教師の人で、引退した人が無料か低額で仕事するのを、現職への営業妨害とか書いてるのは見たけど

まあ、これは、微妙なところだけど。

無料でやるとか、破格でやるとかは、基本、職業として生きていかないといけない教師の人たちとかの営業エリアには入らないようにするべきだと思っているけど、英語にしても、日本語にしても、生活費で有料のサービスをそもそも受講できないけど、生活基準が低くて、誰かからの援助をもらってそれを向上できたほうがいい、みたいな場合に、余裕のあるひととか、公的な補助をもらっている人からの、無料や低額のサービスが受けられたほうがいい、は、とても思っています。

たぶん、教祖が潰れて当たり前だと言っていたような人たちの中に、教育サービスを受ける経済的余裕がない人のために頑張っていたのに、その人そのものが生活に余裕がなかったり、生徒さんが家庭環境とかいろいろで続けられなかったりとかで崩壊したケースとかもあるんだろうと思うのに、無料でやるのが面倒くさくてやめた、みたいに、全部一括りで言っていたのを思い出す。

まあ、そんな、面倒くさいことを、無料か低額でやれたらなあ、みたいなプランを考えていたりするんだけど。

チラシみたら、次の募集とか掴んで、人数揃えたらできるんじゃないかしらとか思ったんだけど、また、日本語教師のチラシの話みたいに潰されるのかしら、

っていうか、このことは、中国語教室にいたときも考えたことがあって、学校に行くから中国語教室に行きつづけられるかわからないんだけど、そういう企画をやってみたいので、アドバイスもらえませんか?って、中国語教室の主催者さんに聞いたんだけど

キッパリ、「あなたには私のようなリーダーシップがないです」みたいな旨のお返事をいただいて、文全体を読んで、そのリーダーシップとやらを、私に伝授するつもりもないようなのもわかったので、教室通いながら学校行けるようなら教室続けるつもりだったんだけど、その返事を見て、あ、コレ、辞めるヤツや、って思いました。

まあ、チラシに書かれている内容だけでは(期限の切れているチラシだけど、持って帰りはしたので、該当の施設に、詳細聞くことはできるんじゃないかと思って、協力してくれる人に、どのぐらいの謝礼とか出せるのかとかで、話変わってくるよな、とか思っているんだけど)

って、この企画、学校のこと頑張った方が泊つきそうだなあと思ったんだけど、やっぱりそれも潰されるかしら。

って、昨日も結局遅くまで起きてて、で7時ぐらい起きて、風呂入って中国語の本音読してて、掴んだ感あって、

もう、これを誰かに伝えたくて仕方がないんだけど。

言うて、日本語の漢字と、中国語の汉字は微妙に違うから、国語の成績落としたくないとかで、いらないって言われるかも、とかも思うんだけど。

って、TOCFLの申し込み期限、もう少しだ。

しばらく仕事が休みになる期間があって、その間に授業はいるのかと思ってたけどないみたいなので、ここ、コレ、英検とTOCFL両立してやれるところなんかな、とか思ったり。(って、先日の謎のメールの結果まだ来てないけど。って、たぶん、これからもっと学校の授業も増やすだろうし、決まったら決まった出キツくて、どうしようってことになるかもしれない。って、若干自分外れるのかもしれないも思ってるけど。そっち決まったら、そっち方面の学校に移動するっていう道もあるのかもしれないとか思ったり。まあでも、資格はとれたほうがいいのかなとかも思ったり。気持ち揺れ動きまくり、なんだけど。)

TOCFLのリスニング、なんであんなに点数低かったんだろうと、スクリプト見たら、HSK向けの教材とかで単語覚えた人は知らない単語とか多かったっていうのがわかった。

って、ちょっと、ここで話急に変わるけど、ドイツの洪水とか、うちの母もNoneも知らなくて、ときどき母のテレビ見てるの横切るけど、放送してるの見たことなくて、一昨日ぐらいから某新聞のデジタル版購入してるけど、購入する前に記事になっていたのかしらないけど、そこにも書いてなくて

今、日本人、どのぐらいドイツの洪水とか、インドの地滑りとか知ってるんだろう。

BBCだけじゃなくて、中国の中央テレビでも見れるので、今の日本の報道のレベルってどうなってるんだろうとか、そこちょっと疑問に思ったりする。

って、今日の朝も中国語で本読んでて、そのあと中国の中央テレビ見て、で、昨日図書館で借りた本をCZURで読もうとしたら、Windowsで使えなくなってしまって。

ここですごい時間ロスなんだけど。

バタバタして、結局Macbookにソフトインストールして、作業できるようになって。

スペックから考えたら当たり前なんだけど、読み込みが格段に早くなって、歪んだページを直すのも要領を得てきて。

で、OCRとか書けたから、Androidタブレットで読み上げアプリとかで読めば、たぶん目で読むより負担が少ないと思うんだけど。

台湾の一年生の生活の教科書(上)も、PDF化して。(低学年向けの絵が多かったり、字が曲線状態に楽しく書かれていたりするページがある本は、歪んでスキャンされるんだけど、それも直し方、若干コツおぼえた)

って、Macbook、マウスないから、トラックパッド使ってたんだけど、自分がアゴとか歪んだの、マウス使いすぎとかも原因だっただろう、っていうのがあって、思いついて、トラックパッド、左手で操作すると、顎とか首の歪みとか、めっちゃ”痛”感する。

マウスも、左手で使ったらよかったんじゃないかと気付いて、左利き用マウス探すんだけど、ゲーム用とかしか見つけられなくて、

で、

そもそもワイヤレスだから、右クリックと左クリックの指が人差し指か中指かが変わるだけだから、別に左手でマウス使ってもいいじゃん、っていうのに気がついて。

ワイヤでつないでたときは、USBの関係で右につけないと使いにくくてしょうが無かったんだけど、右手で人差し指でしてた操作を、左手の中指でするだけじゃん、っていうのに気がついた。

軽くマウス移動するだけで、左側の首筋と肩が激痛。

っていうか、軽いダンベル持ってるから、家で事務作業するとき、30分おきぐらいに、数回持ち上げるぐらいしたほうがいいかもしれない。

っていうか、安い子ども向けのバドミントンラケットでも買ってきて、左腕で素振りとかしててもいいかも。

もとが左利きなんですけどね。小さいとき、習字だけ連れて行かれて、右で字をかくように直されたの。でも、ご飯は毎日左手で食べるから、箸は左なんですけどね。

変な両利きになってしまって、自分でもどの操作でどっちの手使うかわかってなくて、ソレが理由で、右左の区別がつかない。

人の欠点で人を判断する人と、人の得意なところで人を判断する人と、全体的に見るひとがいると思うんだけど、

欠点で人を判断するひとに、めっちゃ低めに位置づけられた経験が多くて、右とか左とか言われて混乱してたりしたら、幼児ぐらいの判断能力しか無いと決めつける人とかいて、他、大人並みに判断してるやん、みたいなところあっても、「この人は右も左も言われてわからない人だから」みたいに、よかったところ全部スルーされるんですね。

できるところとできないところの差が激しいタイプなので、低いほうで判断する人には、確かに幼児級のところでつまづいたりするので、他、いいところがあっても評価されなかったことが多くて。

教育機関でもね、算数の採点するのに、国語の解答書出して、あれ?答えどこや?みたいにしばらく悩んでて、気付くの、人よりちょっと遅くて、まあでも、気付いて算数の解答書出して、そこから採点しても、採点そのものは、解答書間違えてロスした時間フォローできるぐらいだったと思っているんだけど。

まあ、たぶん、すげえバカだと思われてたんだろうなと思います。

そういう経験から、人のミス見つけることが、自分の能力を示すことだと思っているだろうなってタイプとか、そこで優越感を感じるタイプとかが、とても怖いんだけど。

すごい暴言とか、普通人に言わないだろう、みたいな侮蔑を、たぶんアタマ悪いからわかんないんだろうな、感覚ないんだろうな、みたいな感じで、言われることも多かったので。

って、ちょっと知識持ってた方がいいかもしれないと思って、スクラッチのこと紹介する本も借りてきた。中央図書館にけっこう何種類かあった。自分、そのなかで一番わかりやすそうなの借りてきちゃってるけど。

どうやら、大阪市が配った、一人一台のパソコン、スクラッチ入ってるみたい。

まあ、プログラミングとか必修になるみたいだから、たぶんスクラッチなんだろうけど。

スクラッチ以外のプログラミングについての子ども用の本、たくさんあったけど、アルファベットを知らない子どもでも大丈夫なように、アルファベットについて一切触れてない本が多くて、そこからなのかな、とか思った。

って、プログラミングの勉強とか、MSXぶりですな。(オバハン、ブランク長すぎだよ)

ボリスジョンソンのボサボサだった髪型が、パラパラになってて、髪が抜けるような悩みが多いんだろうなと思った。このあとどう変わって行くのか観察を続けようと思う。

まあ、自分を肯定できたほうがいいんだけど、基本、ほとんどの他人のことも肯定する方向でいるんだけど、他人の欠点を探したり、人のできないところを支点に人を判断するタイプの人とか、どうしていいかわからなくなるんですね。

その人を肯定することで、その人が否定した人を、自分も(賛成する形で)否定することになりそうで、それができない。

その人が否定した人を、責めることなく、その人の抱えた困難を取り除くことができるんじゃないかと、(実際にできるかどうかは別として、その可能性に賭けたい思いがあったり)思うときは特に

今日ね、(ってもう日付超えたから昨日なんだけど)あっちゃんの動画見てて、人を肯定することが大事みたいに聞いたから、そうしたい、っていうか、基本、自分、かなりの人肯定しているタイプだと思うんだけど、そんなに悪くないひとを非難したり、能力が低い人をバカにしたり、勝てる相手に、その人はなにもしてないのに攻撃したり、みたいなのが、とてもとてもダメで、たぶん生い立ちからだと思うんだけど、そういう攻撃性の強い人を、もう、子どもの時から叩きつけられてきた経験から、反射的に出る批判的な空気がきっとあって、それを感じ取ったそういう攻撃性のあるタイプの人の攻撃を、またまともにくらいつづけるんだろうなと思ったりします。

うまくまとめられないけど、

自分が受けた社会からの攻撃に対して、くやしいからやり返せることがあるとしたら、

その攻撃してきた人を殴り返すのではなく、

また、関係ない他の人より有利になって、攻撃した人よりも偉くなって見返すことでもなく、

みんなが、あんなやつ、助けられないよね、いなければいいのにね、と言われてたような、あのときの私のような人間を、

そんな大きな犠牲も負担もなく、少し安全なところに、移動できる手伝いをすることなんじゃないかと、できることがあるじゃないかと、言えるようにすることなんじゃないかと思っていて

だから、なんか人を非難したりバカにしたり攻撃したりすることに嗜好性を感じるような人を見つけたとき、

その人を肯定することが、できるような気がしないんです。

社会不適応者ですね。最終的に行く先はひきこもりかもしれないけど。

勇気を持たないといけないんだろうけど、他人をもっと肯定しないといけないんだろうけど、

で、生きてて、人の失敗探して優越感持ったりするタイプが、なんかの店長だったり役員だったりしたのも、たくさん見てきて、みんなごっつ媚び売ってて、それが仕事もらうコツなんだろうな、っていうのも、アタマではわかっていたんだけど、できなくて。

そのうち食い潰れるかもしれないけど、優しく生きる、っていうのは、ひとつの贅沢なんじゃないかと思って。(聞く人によっては、現実逃避的な思想にしか聞こえないんだろうけど)

人を踏みつけることでいくばくかのお金を手に入れることができるのなら、人を踏みつけないでいることは、そのいくばくかの金額と同等の贅沢なのではないかと。

アタマ、おかしいですかね。

って、遅くなりましたから、寝ますね。

とりあえずこんな感じです。

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