親の愛情があるとかないとか

ちょっと最近SNSとかチェックできてなくて。

昨日ちょっと見たら、親から愛されていた方がポジティブだとかなんだとか、またあの教祖が言ってて・・・

まあ、その「ポジティブ」っつーのがイイコトなのかどうなのかとかあるんだけど、

(ガラ空きの電車で、すでに座っている人の真横に家族で座って、その人がキレてわめいたときとか、自分ちょっとおかしかったんちゃう?とか、振り返ることもなく自分のこと「ポジティブ」に考えて、まるっきり相手のことワルモンみたいに人に話す、とか、また、人の家の教育を、あんまりその人の意見をよく聞いてないのに、「虐待」みたいに言うことが多いから、それちょっとおかしくないですか?みたいな発言して、自分のこと振り返って欲しいなと思って指摘しつづけてたんだけど、まるっきり反省とかないなーって思ってて数年したときに、「自分のサークルが妬まれてる」ってずっと「ポジティブ」に受け止めてはったことに気付く発言があったり、それええヤツなん?なんだけど。)

まあ、私は、良い意味でも悪い意味でも、ポジティブではないと思う、親だけじゃなくて、世間の方々からも、普通期待できるような、温かい対応って、してもらえなかったたことが多いので。

まあ、大分前に書いたけど、クラス全体に追い詰められて、ちょっと自殺騒ぎみたいにしてしまったときに、家に帰ったら、母ぐらいには「死なないで」とか言ってもらえると期待してたのに、「アンタが死んだら、私のピアノの生徒が減るやろ。」って、マジで言われたとか、もう、小4の時点で、自尊心とか粉々なんだけど、

今までに書いてないことで、それまでにすでに、母から言われた、愛情を感じられない言葉で、

「アンタを生んだら、お父さんが更生すると思ったのにな。」(たぶん、母は「更生」なんてムズカシイ言葉言ってないんだけど、そういう意味の発言を繰り返ししていて)

小学校低学年でしたけど、「自分は、自分そのものの存在を期待されて生まれてきたのではないのだ、父を更生させるための道具として生まれてきたんだ、そして、私は母にとって、その失敗作なんだ。」って、強く何度も認識していて、

これね、当時も、そして今までも、なんどもこの発言を撤回してほしいと母に言うのだけど、

「正直なこと言ってるのになにが悪いのん、アンタはもう難しいこと言うから、キライやわ。」

って、いつも逆ギレされてるんですね。(まあ、もう、諦めてますけど、たぶん母は、私が求めていた愛情を、理解することは、生涯ないんじゃないかと思います。)

じゃあ、その、ネガティブな人間と、ポジティブな人間と、どちらがいいんだろう、みたいに考えた時、

ぶっちゃけ、ポジティブな人間の方が、楽しかったり、友達多かったりするよね、っていうのは正直認めるんだけど、

自分、いっつも何か発言するとき、このひとつの発言が、誰かを傷つけないか、立場を悪くさせてないか、みたいなことに常に気を遣っているつもりだけど、それでも傷つけている可能性はあるだろう、みたいに、自分を100%みたいには思わないようにしています。で、実質、それでもやっちゃった失言とか、注意してもらえたりしていると思っていて、

「ポジティブ」な人なんかは、もう、しょっちゅう、そんなに悪くない人をけなしたりとかしているのに、たぶん周りの人とか、「すごい~。」「わかりやすい~。」「考えさせられる~。」とか言って、教祖のプライド傷つけないように崇めていそうだな、みたいなのは推測できて。

自分の人生、幼児期からやりなおせるよ、愛情のある親か、ない親か、選べるよ、みたいなこと言う神が降臨したとして、

たぶん、私は、今の親を、もう一度選ぶと思う。

まあ、衣食住は、与えてくれましたから(って、それも、私に対する愛情なのか、他人様から、あそこのお母さんすごいね、と、世間から認められるためにやっていたのかわからないところがあるのですが)全然愛情がないわけではないけど、上のようなことが言える親で、人生を音楽にかけちゃったので、お勉強の方は、それこそ小中学生レベルから怪しい人で、いろんな知識を誤って持っている人なんだけど、

飢えはしない、電気とかガスとかは止まらない、野宿とかはしなくていい、みたいな基盤はあるからできたのかもしれないけど、

人生で、学んだことのほとんどは、自分で調べたもの、家族とかのつながりとかは関係なしに、自分でつくった知り合いから教えてもらったものである、ということを、すごい自分を肯定する材料にすることができていて、

リアルの知り合いとか、テレビで売れているタレントさんとかで、家族の愛情イマイチやな~みたいな生い立ちの人で、ええ人になってる人って、親が多少優しかった、みたいな人より、突き抜けたような人情持っている人多いよね。

たぶんね、親の愛情とか、あってもなくても、自分の人生とか性格とか、変えられると思うねん。

ドイツの哲学とかやってたとき、授業ではその分野教えるひとがいなかったから、自分で勉強していたことだけど、

論理的に言って、こうなれば、こうなる、みたいな、計算するように出る理屈のことを形而上学と言って、

その結論のところに、それを考えている人間が自分で創造したアイデアを付加できるかどうか、を、討論している人たちがいて、形而上学の人たちは、「付加できる、創造できる」っていう人たちのことを、「神秘論者」って読んでて、

まあ、それが神秘論者になるんだったら、わたしは神秘論者なんだろう、みたいな結論で、一度私はキリスト教徒になるんだけど、

親とか周囲から、残酷な対応しか受けてなくても、残酷になったり、反逆的にならないで、善良な方向に、発想をもっていける、って信じたくて、

まあ、今、それ、信仰より、人間はもともと良心を生得的に持っている、みたいなことを、科学的に証明されていないか確かめるほうがいいんじゃないか、って今は考えているんだけど、

もうね、子どもの時からね、あそこの家はあんなんだから、こういう子どもに決まってるねん、みたいな世間の扱いとか、(で、大抵ソレ、自分と全然違う人間像で私のこと判断していることが多かったし)飽き飽きしていて、

実際に、ちゃんと統計とかとれる大人数で調査して、親のこういう対応は、子どものこういう反応を起こさせやすい、みたいなものとかは、学ぶつもりはあるんだけど、(それも、そういう傾向である、ぐらいの認識で、絶対そうなる、みたいには判断するつもりはなくて)

まあ、教祖、ある程度の人数はいる団体を組織してはるんだろうけど、「やっぱり、こういう家の人って、こんなんだよね~。」みたいな話を、身内でしようとしているみたいだけど、昭和の時とか、そんな井戸端会議するオバチャン多かったわ~、みたいな、

平成の途中ぐらいで、ある程度良識のある人たちとか、そういう話題しないようになってきたな~、って思っていたんだけど。

私は、このブログの読者の人が、どんな人なのか、あんまりわかって書いてない。

味方が多いのか、批判者が多いのか、わかってない、自分の意見が正しいとレクチャーしたいわけでもない、

ただ、たぶん、私が書いているのは、めずらしいほうの少数意見だろうと思うので、誰かに見てもらえて、何かの参考になればいい、ぐらいの認識で書いている。(できるだけ、情報が正確かどうかとか、確認したものでありたいとか、読者にとって有益な情報を多くしたい、とかはあるけど、で、あと、めっちゃ偽善語ってる場所サイトがあるけど、それちょっとおかしくない?みたいな批判もするときあるけどね)

ここに来ている人で、親の生育方法に問題があった、もしくは、現在も問題があって進行中だって言うひとが来てくれているとしたら、

親の愛情とか教養とかないけど、それ求めていた人間が、まだ、外から知識や考え方を得たいと言うとき、図書館とか立ち読みとかしかなかった時代を生きた人間がここに一人いて、たぶん、自分で人生をかなりの部分変えたと思って生きていて、

親の性格より、日本の漫画とかアニメのキャラクターで、「このキャラええわ~」みたいなのから多分に影響されて生きていて、

今、ネットやらユーチューブやら、安価ではいる情報がたくさんあって、って、確かに有料コンテンツのほうが内容がいいものが多いのは否定できないけど、それだって、そんなに高くないものがけっこうあって、

親の愛情とか、十分になくても、あなたは、なろうと思えばいい人になれるよ。っていうことを、強く言いたい。

優しい親に育てられた人が持つ「自信」とか「ポジティブ」さが、正しいのかどうかも、私は考えさせられるものが時々あると思っている。

私は、自分が持っている「良心」とか、方向性みたいなのには自信は持っている、でも、現時点での「知識」とか「能力」とかが十分である自信はない。そういう意味での「自信」なんかは、一生持ってはいけないと思っているぐらいだ。

私はキリスト教はやめたけど、人間は完璧にはならないと思っている、常に知識や能力は足りないものがあるし、情報だって間違うことがある。

それを、常に補おうとすることは大切だけど、やっぱりある程度以上は疲れる。

大阪人だから、そのへんはどっかから

「でけへんっちゅ~ねん。」「わからんっちゅ~ねん。」「無理やっちゅ~ねん。」

って、ある程度開き直ってもええんやろうな、って思う。そんな、「最強」だとか、「自画自賛」するだとか、誰かより何かより優れたものであるように、自分を認識しようとすること自体が「そんなんせなアカン?」みたいな認識なんだけど。

まあね、人より優れているほうが、競争社会では勝てますからね。

実際、自分も、現在の受験制度で、自分の子が、学びたいことをそれなりの教育機関で受けさせるためには、この制度のなかで戦わないといけないのだ、ってわかっていて、予算内の進学ができるよう必死だった時期があるのですが。

けっこう、あの教祖、その受験制度とか、そういうのは否定するけど、なんか、やたら人より勝りたがるよね。

ちょっと頭のなかの理論構造どうなってるのかよくわかんないんだけど、どっちかっていうと動物園の猿山のボスサルの本能的なアレ、みたいに認識していて。

まあ、ああいう家で育った人間って、たいていこうだよね、みたいに、決めつける人が、この世から少しでも少なくなればいいなと思っています。

とりあえずこんな感じです。

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