精神的に得られるものとか

まあ今週、なんやかんや言って印刷物ばっかり作ってて、しかも午前中の技能実習の仕事も増えたから、けっこう忙しかったんだけど。

昨日、ベトナム人技能実習生に、日本語の発音教える仕事をしていて、まあ、聞いてわかる日本語ではあったんだけど、ベトナム人独特のイントネーションで、国際的な理解とかない、教養のない日本人が聞いたら、彼らが頭が悪いと勘違いしそうな発音だったので、特に動詞と形容詞を中心に、日本語らしい発音を教えていて。

彼らには、「発音がきれいです。会社の人、仕事ダイジョウブ、思います。発音が悪いです。会社の人、仕事ダイジョウブ、思いません。」とか説明したら、ちょっと頑張って練習してくれて。

まあ、午後の仕事は、ふつうに仕事をして。

で、N3の試験問題、問題集解いてもらう仕事だけど、「あー、わかるように答え合わせの解説できるようにしとかなアカンやつや。」って思って、まあ、全部用意して。

前半の授業の語彙と漢字も、後半の授業でしていたことと同準備をしたけど、彼らあんまり真面目じゃないから、後半の生徒みたいに、ちゃんと参加してくれるかしらとか不安だったんだけど。

カード、三カ国語にしたの、この状態。差し出すとか、適訳らしいのが見つけられなかったのはイラスト入れた。

まあ、ミニホワイトボード配って、漢字の練習するのとか、あとで、前のホワイトボードに書いた漢字の読みを各自のミニホワイトボードに書かせてクイズみたいに出してもらうのとか、けっこう喜んでくれたんだけど。(但し彼らは若干コレしばらくつづいたら飽きそう)

私のすぐそばの生徒が、なにか一生懸命ミニホワイトボードに書いているから見たら。

私への、感謝状みたいなものでした。

まあ、先生ありがとうございます、と、で、授業が一番わかりやすくて、先生の授業で、みんなが日本語が話せるようになりました、的なことを、結構一生懸命書いてくれて

他の生徒に知られないほうがいいだろうから、ありがとう、とだけ言って、で、結構漢字交じりの文を正しく書いてたので、漢字があってますよ、と、言って。(文法的にも正しかったから、それも褒めてあげるべきでしたね。)

若干、教案真っ赤に直されて、訂正することになったこととか、それを踏まえて注意されない程度の内容にしたこととかが、アレもっと自分流にできたら、どう生徒に思ってもらえただろう、は、少し思いました。

もちろんね、他の先生にも「先生が一番わかりやすい」って言っている可能性もあるんだけど、すごく真面目な生徒だから、お世辞ではなく言ってもらえたんじゃないかと思いたいです。

上司に評価されるより、わたしはこういう風に授業を受ける側の人から認められることを選んだんだと思おう、と、思いました。

後半の授業でも、授業終わって帰るとき、生徒に何度も「先生ありがとう。」って言ってもらえてるしね。

ってね、言うて、今、自分の意見言うより、本読んだり、他の人の言うこと聞いてみたり、情報集めるほうに集中したいから、ブログこのへんにします。

もちろんね、教育をなりわいにして、それで生活しないといけない人って、時間の制限とか、予算の制限とか、体力の限界とかあるから、生徒の要求するレベルに、常に追いついていることって、難しくて、まあ、老舗英語サークルとか、自分が余裕があるからできていることを、ほかができていないとかけなすとか、しょっちゅうなんだけど。

私自身も、ある時期までは、日本語教師のSNSなどで、非常勤が、常勤のようにそれで生活しないといけない人ができないことをやって、生徒は区別ができないので、同じ事を常勤に期待するようになるから、日本語教師という仕事が、それで生計を立てられないものにしてはいけない、みたいな意見を、ある時期までは意識して仕事をしてたんだけど、

例文をたくさん用意しましょう、というので、限られた文型と語彙で、生徒がおもしろいと思う例文を考えるのは、とても時間がかかるし、例文に関連付いた資料とかも用意したりして、まあ、数時間かけて用意したものなら、ある程度汲んで、訂正とかやりなおしとか、多少の手直しで済むものを言ってくれると思っていたのを、めちゃめちゃ赤入れられる、とか多くて。まあ、あと、普通ソレ見つけるの時間かかるし、みたいなイラスト簡単に請求されるとかもあって、

イヤ、そこまで時間外労働への考慮、してもらえないんだったら、今までしていた、常勤さんへの時間などへの配慮、一旦はずして、ホンマにあったらいいなと思うモノ作る時間にさせてもらうし、みたいなのがあって。

あと、生徒には、文化的なものが理解できないので、その例文の冗談は外しましょう、みたいなのも、何度か言われたんだけど、

「ばかりしている」のときだったかな、「歌の下手な山田さんはカラオケでご飯ばかり食べています。」の例文に、そのクラスの、けっこう優等生型の生徒がウケて、

それ以降、優等生君、一生懸命授業中に、日本語でウケるギャグ言おうと頑張ってたんだけど、文法とか語彙とか間違ってるとか、単に面白くないとかでスベり続けていて

今日ね、提出しないといけない宿題を、貯めている生徒のことを、

「私の趣味は、宿題を集めることです。」

って、外国語学習例文でよくコレクションが趣味の話で使う例文でソレ言って、けっこうツボついてきたよな、みたいに思った。(ちょっと吹いた)

クラス担当するようになってすぐ、その優等生君、授業が始まるずいぶん前に教室に来ているし、真面目すぎて冗談わからないタイプなんじゃないかと思いました。確かに彼は実際真面目なんだけど、ユーモアも文化も、理解できているし、それを発揮するようにもなったよね。

そして、彼は例外ではなく、他の生徒のほとんども文化的なことを十分理解できている。

まあ、誰かね、幸せに育ってないと、人に優しくなれないとか言う人がいるけど、ほかの人が簡単に見捨ててしまう人に、そんな、身代わりになるような助けとかはしないけど、自分の知っている情報を少し分ければいい、大して出費にならないものを差し出せばいい、それだけのことが、相手の人生を、大幅に好転させることがあるということを、不幸だった記憶がある人が、ある程度、そういう経験があるからできることって、あると思う。クリスマスに、貧乏な人のことを考えましょうとか子どもに言いながら、なにもしないで、我が子へのプレゼント代を節約しようとしているだけの人には思いつけないような「やさしさ」って、あると思う。

逆に、そういう立場の弱い人を、「あんな人ダメだよね。」ってタゲって、一握りの絶大な信頼(信仰?)を得ている人なんかに対しては、(って、虐待虐待言われてたことが一番の理由だけど)ガッツリパンチ入れさせてもらうとかあるけど。

教祖の言うことを、「それは弱者を標的にしているだけだ」と判断する力がない人、もしくは、わかっていても、ここは強いものについているほうが自分が得する、と考えた人、が、集まっているのだろうと思っています。

まあ、リアルで私を知っている人なら、普通の人、そこまででけへんで、思うぐらい、自分は優しいほうだと思っているし、それは、偽善とかではなく、むしろ、私なりの「リベンジ」なんじゃないかと思う。

日本語が持つ、「復讐」の語感を避けたかったからこの語を選んだんだけど、

こんな社会的立場が低い人間は、将来犯罪者になるんだ、みたいに言って、排除しようとした人たち、それに、なにか、仕返しをしたら、「ほら、やっぱり犯罪者になった。」とか、まあ、犯罪じゃなくて、なんか社長になるとかしてエラくなって、その差別した人たちとか見下すとかするとかしても、準犯罪者扱いの敵対者から、気ィ悪いヤツの敵対者になるだけで。

って、まあ、もうその人たち、見直してもらおうとか、やり返すんだ、とか、どうでもいいよ、食べれるぐらいに生活向上して、あのときの人たちが見捨てたような人たちを、決して、自分が大きな不利益を被らなくても、その人たちの立場を好転することができるのだということを、目の前で見せることができたら、それでいい。

私の価値観では、社会的な成功をして、高級料理を食べたり、ブランドを着たり、お金でなんとかなるものを手に入れられるより、そちらのほうが精神的に満たされるもので、ある種の贅沢だと思っている。

父とか、子どもの頃、大阪の現地の人に差別されたからって、就職してから、普通の大阪人に仕返ししようとしていて、

確かにその人、子どもの時にその場に居たら、一緒に差別していたかもしれへんけど、そもそも居てないし、どんな人かわからんへんし、実際なにもされてないし、なんでその人に、子どものころの仕返しみたいなことをしようとするかなあ、があって

って、そんなんして、自分が大卒や、言うて、その人馬鹿にしようとするから、「その名字沖縄やろ。」とか、言い返されるようになってしまっているんやろ、があって

言うて、自分も子どもの時、貧乏すぎて、将来泥棒かなにかになるんだろう的な、準犯罪者扱いもけっこうあったし、友達作り下手すぎて、漫画ばっかり読んでたら、宮崎勤とか捕まったときとか、アニメ漫画とか好きなだけで準犯罪者とか、いろいろあったけど。

で、実際、あの人避けようね、みたいなことをボスが言った集団とか、そのあとで私が、そんな悪いヤツじゃない、って、わかってもらえる状態になっても、それ認めると、最初にそれ言いふらしたボスの沽券とかに関わるとかあって、そのグループには、もう、だからといって認められるものでもない、も、けっこうあって。

まあ、あの教祖とか、人のこと、虐待虐待とか言ったの、悪かったと認めるつもりはないし、自分に絶大な信頼(信仰)を寄せてくれる人がいるので、自分がやったことが正しかったかどうかとか、考える必用がないし、自分を常に自画自賛することしか考えていない。

有名な英語サークルのボスが、虐待と言っているので、あの時期に私たちに声をかけるのをためらった人が多かっただろう、と、私が思っているのは、教祖にしたら、「人のせい」なのだろう。

「人のせいにした。」って、人を非難するタイプの人は、自分が理不尽な行動で人を困らせていても、その場に味方がいない状態にしても、それを解決しようと弱い立場に立った側が他に助けを求めることができないようにするために言う人が多いと思う。

まあ、今、自分副教材とか作って生徒に配ってるけど、けっこう頑張って作ってきてても、生徒とか、別に遠慮しないで、「ここはもっとこうして欲しい。」って、言ってくれるのね。いいときは、そのまま良いって言ってくれるけど。

で、逆に、生徒から他の人の不満を(聞いてもないのに)聞くことも多いけど、それって大抵、その人が不満とか要望を聞き入れないタイプだとか、すごい自分への尊敬的な態度とか求めていて、不満とか言えるタイプじゃない、とか、そんな場合が多くて

「人のせい」をどう定義するかにもよるけど、なにか他人によって不利益をえたとか、失敗をした、期待していたことができなかったとか、それはまず聞いてみて、言い分が通っているか、まずそこを考えて、その人の認識が間違っているなら、その人ができたこととか、被害を受けたと思っている人側の事情を説明するとか、その人の認識を改めるべきで、そういう事を発言してはいけないようにするのは、立場の弱い側、人の不利益を被り続けている人を、そのまま弱い、不利益な状態に押し込めようとする人なのだと思う。

前も言ったけど、「いじめられるやつが悪い」と、ほぼ同じ効果のある言葉で。

実際、日本人の多くが英語を話せないのは、学校の英語教育がそのようにできてなかったからで、それは決して人のせいではないと思う。

同じような状況が、他のことにもあって、それを自由に言えるようにしたほうが、もっとよい労働環境、家族関係、教育制度、政府の政治、その他いろいろなものを変えていけるのだと思う。

大事なのは、不満を言わないで「いい人」であることより、その場の改善できる点を言えるかどうか、聞けるかどうかだと思う。

そしてやはり、他人からなにがしかの不利益をえているのに、何もないかのように全て被る必用はないと思う。社会的上層にいるひとは、そうした方が自分の上位を守りやすいし、味方の少ない下位の者をいつでも攻撃できるものに留めることができる。

って言うて、長なったわ。チョイ、本読んだり勉強します。

とりあえずこんな感じです。

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