ちょっと補足

ちょっと、「頑張ってても、本人が思ってるレベルになかなかならない人」っていう言葉に、傷ついた人がいるんじゃないかと思って説明補足するんだけど、

まあ、ぶっちゃけ言ったら、何でも思った通りのレベルにすぐたどり着けるギフテッドみたいな人のほうが珍しくて、たいがいの人が上に言ったようなタイプに当たると思っているんだけど。(でなければ、そもそも頑張ってないから、人が言うようなレベルにならなくても気にしないっていうタイプである可能性もあるけど)

他の人が余裕で困難を克服しているとか思わないほうがいいし、そこを目標にしないほうがいいとも思う。

まあ、確かにね、ある国の人は、特定の競技でオリンピック金メダリストたくさん排出している、とかあるから、遺伝的に有利な人って、存在しているかもしれないんだけど。

自分の能力を更新し続ける自分、っていうのに対して自信を持つとかできないかなあ?みたいな。

それを、他人と比べるとかではなくて。

まあ、Noneのときに絶対評価が中学で採用され始めたんだけど、今大阪、小学校も中学校も絶対評価らしいし。

他の人の成績とか関係なしに、自分の出した成績で評価されるし、上が何人いても、それを押しのけなければならないわけではないし。

まあ、大阪の中学、チャレンジテストとか、大阪の地域ごとの教育格差を大きくするしくみ、まだ続けているみたいだけど。(まあ、この部分を言えば、成績がいいひとが他にも自分の学校にたくさんいるほうが、受験に有利になるんだけど)

まあ、私自身、ペラペラに話せる外国語なんかひとっつもないのに、外国語学習にかなりの時間今でも費やしてますし。

まあ、早くなにかを習得することについて考えたら、やっぱり、追い詰められた気持ちになっている人の方が、身につけるの早いのかな、は、思う。

私自身、高校生のときマクドでバイトしたとき、ランチ時とかめっちゃ混み合うのに、レジのお金との授受とか(今みたいにレジがお釣りをトレーに出したりしない)1円も間違えちゃいけないし、小学校の野球チームの保護者さんとか、何バーガーは何個で、何バーガーは何個で、ポテトは何個で、ドリンクは・・・みたいな混乱するヤツ、混雑時に来てても、当然数間違えちゃいけないし、みたいな経験して

学校の数学だったら、平均点のちょっと上ぐらいが取れたらOKみたいな扱いうけるのに、100点満点の80点でもいいのに、ここでは一切間違えてはいけない、みたいな。

親が、高校の時にはほとんど物を買ってくれなくなったので、下着レベルの物から自分で買うようになっていたので、ある程度まともな服を着て、他の同級生が遊んでいることと同じ事がやれるお金を稼げる仕事がしたくて必死で頑張ってたんだけど。

まあ、モノ間違えることって、すごく減って、訓練されたと思っている。それを、学校の教室みたいなところでは、自分は身につけられなかっただろう、は、思っている。

正直、これは、搾取される人生を送るための訓練だったな、と、今は思っているけど。

でも、そういう搾取される側の仕事につくのがイヤだから、教室で頑張って、緊張感とか持って勉強しているな、みたいな人のほうが、学習でも、自分のミス減らすの、早いなあ、みたいなタイプが多いように思います。

そういうのではなくても、自分のミス、自分で探すの好きなタイプとかも、学習早いよね。

なんでも苦労せずに身につけるギフテッドは、目指しても仕方がないけど、自分のミスを自分で探すタイプになること、(最初はある程度人の力を借りることがあっても)は、たいていの人ができるんじゃないかと。

ミスした自分を責めるとか、落ち込むとか、そうなってしまう気持ちは理解できるけど、たぶんそうしてしまうことは、事態を改善するのを遅らせてしまうんだろうと思う。

実際、確かに受験では、点数の高かった順に合格が決まってしまうのだけど、学習している時点では、他人と比べるより、自分をどう更新していくかに集中していたほうがいいように思います。

まあね、実際にはテストの点数だけで決まってたりしないんだろうと思うけど、テストで100点取れたのが3人で、90点だったのが8人、100点の3人は安定した企業に勤められるけど、90点だった8人は下請けでブラックまがいの仕事に就かなくてはならない、みたいになっている、今の社会に問題があるんだと思っているけど。

まあ、90点だった側も、90点取れる知識とか技能とかあったら、起業するとか、いろんな人出てきてますからね。

自分、血が沖縄だから、確かにもともと声量とかあったのかもしれないけど、Noneが幼児の時に、Noneが幼稚園に行ってる間、人と繋がりたくてボイストレーニング教室に行って、

ボイトレの先生に、「そんな声が余裕で出せるなんて」みたいに、ちょっと妬まれたような対応を受けたことがあるんだけど。

まあ、先生は、裕福な家庭で、小さいときから音楽教室でトレーニングを受けてらっしゃったみたいなんだけど、

私、子どもの時、母が実家に帰った後、自宅で父親に殴られて、助けてもらおうと必死で外に向かって「助けて~!」って叫んで、数時間それを続けてるのに誰も助けに来ないとかいう、ある意味必死なボイトレを、けっこう頻繁にしていたのですが、

「余裕で」出している声ではないと思います。一応母からも幼児期声楽の訓練を受けていましたが、一番真剣に感情を込めて声を出していたのは、たぶんソレだと思います。

まあ、そういうヘヴィーなやつとは違いますが、中国語教室で中国語を教えていた日本人の先生、司法通訳のお仕事もしていて、仕事がたいがい中国語関係で、でも家で中国語と関係ないことをしているのは、本当に掃除洗濯とか、生活のためにしなければならない基本的なことばかりで、そのほかは、自由な時間はほぼほぼ中国語の学習に使っているって聞いてて、すごいなと思いました。

そんなに頑張ってないのに、私、余裕でできるの、みたいな、聞き手の学習意欲を下げるだけの話なんか、あってもそんなに聞く必要なくて、(って、単純に、真似できるような負担の少ない学習法とかなら聞いたらいいけど)その代わり、やれる人は、それなりにやってるんだ、みたいな方に目を向けていた方がいいんじゃないかな、と、思います。

って、今日は、朝睡眠導入剤もらいに行って、帰って今週の授業の教材作って、そのあと養成講座、オンライン授業受けてて、そのあと家のこと少しして、ブログ書いて、で、今からまた英語とか勉強します。

とりあえずこんな感じです。

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