ちょい、勉強できる環境揃って

まあ、昨日の授業、最初めっちゃ空気凍ってて、どうしようかと思ったけど、彼らのために用意していた資料がウケて、2コマ目からめっちゃウエルカムになって、彼らが現在抱えている問題もわかった気がして。

漢字の授業も、語彙の授業も、語彙の授業なんか、料理の作り方で使う語彙だったから、野菜とか調味料とか、レアリア持って行って授業したから、生徒めっちゃノリノリで。

って、家帰って、すごい、読みたかった本あったから、それ自炊してて。

共生経済学(上)―世界経済を持続的発展させる新秩序

共生経済学(下)―世界経済を持続的発展させる新秩序

この、上の方をバラして、ベトナム語講座のYouTube、テレビで見ながらパラパラ剥がして、OCRかけて。

ABBYYすごいな。書籍のOCRかけたら、他のOCRとか、ページの上のタイトル小さく書いてあるやつとか、下のページ数とか、普通にテキストの上下に混じるんだけど、ABBYYは、それがヘッダとフッタにちゃんと振られていて、テキスト読み上げるときに、文章の途中でタイトル混じったり、ページ数読まれたりしない。

って、上の本、紙の本より安く、Kindleあるから、ふつうにKindleで日本語読み上げすればいいのに、アプリとか、タブレットとか買って、とか言われそうだけど。

いや、こないだブックオフ行ったとき、それなりに学術的価値がある本が、たぶん学生が大学とかの授業で無理矢理買わされて、単位取った後普通に売ったんだろうけど、もう破格になってるのが山ほどあって、

それ、軽くいただけるようにしたかったのね。

今、冒頭読んでて、ちょっと共産主義とか社会主義の主張とか混じるけど、引用するなら

「共生経済学」とは、東西文明を拠り所にしており、調和のとれたウィン・ ウィンの関係を最高の準則としている。また、先進国の金融資源と発展途 上国の産業資源とを合理的に相互作用させ、経済発展と社会の進歩が調和 的に共生し、価値融合と文明創造が両立する、世界発展の新たな道を探求し発展させようとするものである。

共生経済学 上 日本語版へのはじめに より

まあ、ちょっと、今日中国語教室行った帰りに、『ホモデウス 下』聞きながら帰って、内容似てたからちょっとごっちゃになってるかもしれないけど、両方とも、西側の先進諸国の、利己的な自由主義への批判で、まあ、まだ読んでないから予測でしかないけど、これからの政界経済はどうあるべきか、みたいな話をしているみたいで。

『共生経済学』のほうは、発展途上国が、西側の先進諸国に安い労働力として使いつづけられることを危惧していることが、いま読んでいるところでは目立っています。

作者と役者のプロフィールが、けっこう実力あるひとのように見えたのだけど、どうなのかしら。

著者について
徐 傑(ジョ ケツ)
共生資源管理機構有限公司総経理。1963年中国湖北省生まれ。武漢大学英語学部卒業。同経済学院研究科修了。経済学博士。湖北省黄石市計画委員会、深セン南油集団旅游公司、深セン賽格集団米州部を経て、京空超頴電子、深セン万徳莱通信設備を創設。買収・再建事業にも従事。1997年香港に移住し、買収・再建事業に参画。その後、米国に移住し、ハーバード大学での講義、ウォール・ストリートでの研究活動を続けるとともに、投資会社の創設、中国企業のニューヨーク市場上場の協力など、米国と中国の企業の資本運営に携わっている。
朱 炎(シュ エン)
1957年中国上海生まれ。1982年中国復旦大学経済学部卒業。1989年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。1990年同大学大学院博士課程中退。富士総合研究所主事研究員、富士通総研経済研究所主席研究員を経て、現在、拓殖大学政治経済学部教授。著書に『華人ネットワークの秘密』(東洋経済新報社)、『華人経済師のみた中国の実力』(日本経済新聞出版社、共著)などがある。

アマゾン 商品の説明 著者について より

翻訳が日本人じゃないのがショックで。読んでいて、教養のある日本母語話者が書いた文章に見えます。

って、今日朝、できた電子書籍を、自然に読み上げる方法とか探しながらYouTube見てたら、またあっちゃんがすごい動画上げてて

と、今、この続き今聞きながらブログ書いてて

で、朝見た昨日の動画の話をすれば、環境にいい行動をした人とか、世の中のためになるようなことをしている人、ITに強い人、人脈や経験がある人とかのほうが、よりよい生活を送れるチャンスが増える、みたいな話で。

いや、ベーシックインカムの話を前に私がしたとき、似たような基準でいい生活できるようにするべきだよな、とか思って書いてたけど、ここでは、そんなベーシックインカムの話は出てないけど、環境にいいとか、そんなことがクレジットにならないといけないは思ってた。

いやー、カシコイ人らは、それもうそういう風に社会動かしてるんだな、的な。

まあ、その、環境にいいかどうかが生活をよくするポイントになるっていうしくみが今できあがりかけているのが中国だって言ってたような気がするから、上で紹介した、「共生経済学」とか、そういう考え方の人たちがいるんだろうけど。

まあ、前に読み上げソフトでmp3とか作るつもりだったんだけど、テキスト読み取るときに、実際にないところにスペース入って、「起床」が「起 床」とかなると、「おきる、とこ」みたいに読まれてしまうし、ちょっとイヤだなあ、でも、一個一個読取りミス直すのもやだなあと思ってたんだけど、上のアプリだと、それ、無視して読んでくれるので、ほぼほぼ普通のオーディオブックのようになります。

読む速度、めっちゃ速くなりますね。

上の動画の本とかも、できたら動画で要約知るだけじゃなくて、ちゃんと読みたいなとか思ったりするんだけど。

サステナベーション sustainability × innovation ――多様性時代における企業の羅針盤

って、今見てたらGrabの話とか(アジアのUberみたいなの)の話してる。Grabのドライブレコーダーはビクターとケンウッドの技術らしいな。

って、今日、ハラリの本聞いてて、共同主観性(だったかな、文字見れてないから、聞いた物のうろ覚えを書いているんだけど)を一度疑ってみる話で、それはつまり、宗教とか国家とか通貨とか権力へ疑問を持つことなんだけど、

今日、ちょっと聞きながら帰っていたときに、「あ、これだ」みたいなところがあって

引用できないんだけど、自分にあったエピソードに関係が深いので、その話をするけど。

新しい方の牧師さんの奥さんが、(奥さんも牧師の資格持ってるけど)、いくつかの協会の女性が集まって話をするところで、メインでお話されていたとき、日本の、キリスト教の中高一貫校で、在日の方であることで、ひどい差別を受けた、と、それを、主題に教会で話されていて、まあ、その学校の先生が若き日の牧師さんの奥さんをひどく苦しめたそうなんですが、

私は、そのあと、私のした苦労とか、親に恵まれなかったことで困っていたことなども、聞いてもらえると思っていたのですが、来る日も来る日もそんなことにはならず。

どうも、もしかしたら、牧師さんの奥さんは、自分が一番辛い目に遭った、みたいに思われているのかな、と、思う節があって、他の人がもつ、私じゃなくても、辛さとか行きづらさに、その人なりの辛さや悲しみがあると、寄り添ってくれているだろうか、とか思うところが多くて。

新しい牧師夫妻が来てから、私はずっと奥さんの隣の席に座るようにしていたのだけど、(って、もともと私が毎週座っていた席の隣に、先に座っているので、なにかの縁と思って私は隣に座っていたのだけど)

私の話を聞くことはあまりなくて、他の人の話をすることが多くて、でもそれは、誰かが体調が悪そうだとか、いつもは来ている時間なのに来ていないとか、信者さんの、生きている喜びとか悲しみとか希望とか落胆とか、心に関する話を聞いた覚えがなくて、

それは、牧師さんの奥さんが、私に他の信者さんの心の問題を話しても仕方がないと思われたのかもしれませんが、はじめて来られたとき、教会のしおりが、とても無味乾燥なものに変わってしまっていて、私が、「どうしたんですか?」って聞くと、前のしおりと、今度のしおりと、どこが違いますか?とか、逆に聞かれ、「いや、前のしおりには、信者さんの心を和ませるような、キリスト教関係のイラストがたくさん入ってたのに、今度のはただの予定表になっているじゃないですか。」みたいに言って、はじめてその違いに気付くような人だったんですが。

まあ、今考えると、しおりにイラストを入れるのは、偶像崇拝にあたりますか?

って、最初に言いたかったことに戻るけど、牧師さんの奥さんの言うには、

「私が生徒の時には、「人権」という言葉がなかった。」とおっしゃって、ひどく、被害を受けたようにおっしゃっていたのですが、

その割に、今、他の方の心を親身に考える人になってないですよね、みたいなのがあって、今、その言葉に言い返す言葉を、ハラリの本から得た発想を持って言うとすれば、

「それは、聖書に、「人権」という言葉がなかったからではないですか?」

と、答えるだろう。

そもそも「人権」という発想は、宗教を含め、いろんな迫害を受けた人たちが、それを乗り越えて作り出した、「人間が作った」発想ですよね。

たぶん、私がNoneの受験で悩んでいたとき、今までの生い立ちで悩んでいたことを聞いて欲しかったとき、単純に語学や学問の話をしたかったとき、もっと寄り添っていただけていれば、たぶん私はこんなひどいことを言うタイプではないのですが。

すくなくとも、センターの時に、「もう決まっているところあるんでしょ?」みたいに言って、たとえ可能性がどんなに低くてもこれから発表を待っている受験生の親に、そんなことを言って、「それでもその大学に行きたいですよ。」って、怒ったのに、謝ることもなく、今の教会学校の生徒の話題に移られたりしていなければ。

私としては、受かる可能性が低くても、応援はしてもらえて、予想できたとおり合格できなくても、励ましていただけるような、そんな場所にいたかったですね。

では、すこし英検のアプリをして寝ます。(英検、あんまりできる気しない。)

とりあえずこんな感じです。

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