ずっと子どもの時から教えてもらいたかった

まあ、自分が親から大事なことを教えてもらってないのではないかと書いた後、周りの対応とか見てて、

自分はなにか、不可触民的な家の人間で、社会的にすごく低い立場なんだけど、父か、他の誰かから幼いときに何か教わっていることを覚えているかどうかを気にされていて、知っていたら価値があったのだろうけど、「教えてもらってないんだコイツ、意味ねえや、じゃあ拒絶しなきゃ」みたいな対応を受けたのではないかと思っている。

本当に、子どもの時から、何も教わらなかった。

ごくごく幼児の頃、けっこう熱心にひらがなは教えられたようだし、学研のひみつシリーズはなぜかかなりの冊数購入されていたけど、本当に他はなにもなかったので、娯楽はそれだけだったので、かなり読んだ。

小学校の時は、親父が「この子は勉強しなくてもできる子だ」って、なんの根拠もなく他人に言いふらして(他の子と比べたことなんかなかっただろうに)で、ふつう家では勉強させて学力はつけていて、外で勉強してないフリをするとかが常識だろうに、外でも勉強させないけど、家でも勉強してたら子どもをしばき倒すおかしな父で。

なんとなくそれ、最近なんでかわかったの。

まあ、受験を成功させた父親が、自分が教えただけでなく、子どもの勉強ぶりとか努力とかを褒めていたのを見て、

ああ、父は、これをしたくなかったのかもしれない。

みたいに思って。

全部父の遺伝だけで「できる子」であることにしたかったのではないかと思った。

まあ、私の方からしたら、とんでもないプレッシャーだったんだけど。

中学になって母と住むようになっても、見栄張りなのに威張る物が何もない母にとって、私が学校でいい成績をとってそれを自慢の種にしたい姿勢は続いたし、なにより現実的な問題として、なにか学力とか技術を身につけて、貧困状態から抜け出したかった。(まあ、同時に、母から「おまえはどこに就職しても、父親がたかりにきて、働けないようにされるよ。」と、呪いの言葉もかけられていたのだけど)

で、実際私は小学校と中学校の時、かなり精神的に病んだ子どもだったと思う(今もだよ、ってツッコまれそうだけど)まあ、他人とほとんど会話したことなかったけど他人と会話したい願望はあったので、架空の人物とアタマの中でいつも会話してて、少しそれが現実か自分の空想か区別できなくなっていた時期があったのは確かで。

まあ、中学になって、共産党の家の子が話しかけてきたこと、高校になって漫研にはいって、彼氏もできたところから、人間と話すことを覚えるんだけど。

小学校の時もある程度友達はいたけど、十分にコミュニケーションはとれてなかったと思う。

英語のテキストの上で見る、会話の見本とかも、当時の私には魅力的で、語学好きはそこから来ていると思うけど。

本当に、自分の人生のなかで、会話するような間柄になった人ってそんなにいないし。

前に書いた「告発」の映画を見せた人のときになって、話題になる番組とかを一緒に見て、どういう話題を選べば世間話ができるかがわかって、大阪弁が話せるようになって、(二十歳から二十五歳ぐらいの間の話で)

まあ、毎週「すんげ~ベスト10」見てたんだけど、千原兄弟のジュニアさんとか見てて、話すのうまいと思って、(ネタ的には、ジャリズムの渡辺さんのほうが面白いと思ったんだけど、話術の意味では、やっぱジュニアさんだったと思う。)いろいろトラブルあったからそのまま消えてしまうかと思ったけど、今のジュニアさんの活躍とか見てて、やっぱあの話術はすごいよ、と思う。

まあ、私の年齢から言ったら、もっとベテランのお笑い芸人の影響を受けているのが普通なんだろうけど。

なんか、そうやって、他の人が話すの聞けるようになってから、他の人が常識的に知っている何かを、自分は教わらなかったのかもしれない、を思うようになって、でもだれもそれを教えてくれなくて、たぶんそれを聞こうとしたら、その人は離れていくんだということがわかって。

Noneを育てるときどうしようと思って、生まれた後めっちゃ悩んだんだけど、少しでも早く幼稚園に入れて他の子とかと話せるようにしたらなんとかなるんじゃないかと思って年少から幼稚園に入れるんだけど(それも前書いたけど主人が金出したがらないもんだから、株に預かったお金をつぎ込んで、育児と家事の時間の空いたときは全部パソコンの画面に張り付いて学費稼いだんだけど。村上ファンドとか問題になるぐらいの前の時期ね。)

園バスの待ち合わせ時間に同じ場所でバスを待っていたヤンママが、私のことは避けていたけど、Noneは預かってその家の子と遊ばせてくれていたりしたから、あと、None自身も、少ないけどクラスに友達作ったりしたし、年少さんの時の担任はいい人だったから、(年中さんと年長さんはどうだかな、だったんだけど)Noneは、私の知らないそのことを知っているんじゃないかと思うけど。

まあ、あと、大阪に戻されてから、教会行って、最初の牧師さんの、牧師さんには敵視されてたみたいだけど、そのときの牧師さんの奥さんは親切な人で、そこで教会学校の子たちと毎週時間を持てたのはよかったんだろうと思う。

なんか、自分の周りで、これ偶然じゃない、みたいなできすぎな話がたくさん起こるんだけど、それがなんでなのかは掘り起こしたらアカンのだろう、みたいなことしかわかってなくて

子どもの時から、いつも知りたいことを教えてもらえなかった。いつだって怖くてしかたがなくて、教えて欲しかったのに。

子どもの本来の力とか言って、子どもが奇想天外なことをしたことを賞賛するのを見るのは、あまり好きじゃない。っていうか、正直言って自分から見ると、とても残虐な行為に見える。

いくつかの模範を見せて、その中で選ぶとか、それを参考に新しい物をつくる、とか、そうあるべきではないのか、みたいな思いがあって。

うまく言えないけど、野球のルールも知らないのに、メジャーリーグの試合でホームラン打って来いぐらいの無茶ぶりされるようなこともある人生だったと思ってる。(なんで過去形?)

まあ、今は、いろんなこと忘れて、中国語とベトナム語(あと、英検のアプリ使えるからしばらく英語)していたい。

昨日は授業していて面白かったですよ。新出語彙に外来語が多くて、「バスツアー」とか、生徒の方が英語のtourに近い発音ができるのに、「それでは日本のお年寄りがわかりません、ちゃんとカタカナで”ツアー”と言いましょう。」とか言って、カタカナ読みの和製英語の練習を、みんなクスクス笑いながらしていて、あと、「カーシェアリング」って、ベトナム人やネパール人、バングラデシュ人にとってはヘンな意味らしいんですね。みんなニヤニヤして、教えてくれなかったんですが、これって英語としてどうなんでしょうかね。

まあねー、今日の内容、普通の人見たら、「いかれてんなー」としか思ってもらえない内容だってのはわかってるんだけど。

子どもの本来の力とか言って、水も肥料もやらないのに、実だけとろうとした人間がこうなってるっていう話で。

自分が思っていた、「こういう風に教えてもらいたい」を、ある程度教育学とか心理学とかを踏まえて、その中で教え方として有効だと思われるものを、実践できたらなあ、みたいには思っています。

タオバオで買おうとしている中国語でベトナム語教えるテキストが代理店に届いていて、あとは送料振り込んだら発送してくれるんだけど。

ベトナム語の需要を感じている人が増えたからか、自分がベトナム語関係の検索が多いから関連動画みたいに出るようになっただけかわからないけど、ベトナム語の学習動画が多く見つかるようになりました。

市販の音声教材が増えるまで中国語に手をだせなかったのと同様に、ベトナム語も学習教材が少なすぎると思って手が出なかったんだけど、今手に入るぐらいの教材があれば、サバイバルレベルならできるようになるかもしれない、は、思っています。

では、午後の中国語教室の準備をします。

とりあえずこんな感じです。

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