軽くブログ書くつもりが、めっちゃ長なった

昨日の晩遅くまでiPadで中国語学習アプリしてて。

今は夜の方が涼しいし、静かだし、12時超えてからのほうが落ち着いて勉強しやすい(というか、布団敷いて寝転がってiPadで勉強していると、テレビとかネットとかの誘惑が少なくなるので、どうしてもそちらの方が集中しやすくなる。

朝も、夜遅かった割に早く眼が覚めたから、同じようにiPadで中国語してて。

でも、7時になって、あ、これ、二度寝しないと昼からダウンするやつや、と思って、9時ぐらいまで二度寝。

そのあと睡眠導入剤もらいに病院行って。

帰って昼、ワイドショー見ながら食べたんだけど、日本のテレビは、前より苦手になっているのに気づく。

田舎で迷惑がられているトラブルおじさんの話とか、海外で、普通に道を歩いていた母子に衝突した車の話とか、

いや、ソレ、怖い話とか困る話やけど、世の中にはもっと困った話とか怖い話があると思うし、海外のニュースとか、日本のYouTubeですらも、それよりもっと重要じゃないか、みたいな話題があるのに、みたいな。

若いときから、そういうワイドショーで、扱われている、迷惑な人の話よりもっと重要な話があるんじゃない?みたいなことを、そのときそう言ってしまったら、困った人の味方をする、ワルモノの味方みたいに捉えられることが多くて、怖くて言えなかったんだけど、今、他から情報が入って、海外の死人が出たりする洪水とか災害の話とかあるし、近所にタンポポばらまいて困らせているお爺さんの話より重要なニュースなんじゃないかということは、言ったら納得してもらえそうに思う。

で、昼終わったらすぐ久しぶりに養成学校行って。

教授法教える先生が、始めて授業を受ける先生だった。

授業、面白くしようとしたり、実際に使える日本語を教えようとしているところがわかって、路線的に安心してついていける気がした。

校長先生もすごい人なんだけど、なんかいつもすごいレベル高すぎなので、本当に留学生にそんな高いレベルの授業ができるんだろうかと、ちょっと呆然としてしまうところがあって。

でも、今日、養成学校がついている日本語学校の授業で使っている中級の教科書の聴解のCDを流してもらって。

CDの内容も、その速度も、たぶん同じ事を自分が今勤めている日本語学校で言おうとしたら、生徒たちはわかりません、みたいに言われて、教案に取り消し線入れられて、ごくごく初歩の日本語に書き直されて、ものすごくゆっくり話すように言われるのだろうな、と思った。

そこの学校の生徒さんは、クラスによってレベルは違うけれど、できるクラスなら1度で聞き取って正解できるし、他のクラスでもそんなに何回も流さなくていい、と聞きました。

すごいな、自分の働いているところだったら、わたしがスクリプトをゆっくりゆっくり読んで、単語とか文法の解説とかして、クラスの中でやる気のあるタイプだけが正解できたり、正解しないけど答えを聞いて納得できるか、ぐらいのレベルの日本語だった。

今日は模擬で、まあ、まだ終了してない生徒さんの模擬だから、自分がそれ授業でやったらうまくいかなかった、みたいなことをする人もいたし、あ、これ、いただきだなあ、みたいな人もいて、でも全体的に自分の働いている学校の生徒の前でやったら誰もついてこれないだろうな、というレベルの語彙と速度で。

授業の後のの養成所先生の解説で、その日教える文型の説明や例文に、数課前の文型を使ってもいいんだ、とうのがあって。

自分の教案で、今回のターゲットの文型の説明や例文に、数課前の文型を混ぜていたものが、教案チェック出したら、その部分が、その文型を説明するときに使う、ほぼ同義の初級の文法を使った文章に書き換えられるとかあって。

まあ、それは、学校の方針だから、どちらが正しいとかではないのかもしれなけど、やはり既出の文法項目を適度に取り入れたほうが、記憶を維持したり、日本語の力を向上できそうに思う。

っていうか、自分が高校の時、英語の授業で、that構文の時はthat構文の文しか出てこなくて、意味わかってなくてもとりあえず括弧のなかにthatって書いておけばマルをもらえて、to不定詞の時も同様で、そのときには前にならったthat構文を忘れてしまっていて、ほとんどの学校英語の生徒の英語力を上げなかったのは、それが理由ではないか、というのがあって、

っていうか、既出の文法を授業に織り交ぜるから、みん日は文型積み上げシラバスとか構造シラバスとか呼ばれているんじゃないのか、みたいな。

初級の赤本の終わり頃に、務めている学校での標準的な教案の作り方を言われたんだけど、確かに私は日本語教師になりたてだったので、積み上げと言っても、容赦なく既出文型を入れすぎてて、生徒たちの負担になっていたと思うから、納得はしたんだけど、

もっと早く授業を進められる学校だったら、一度習った文法をもっとしっかり家で復習しようという学校だったら、どの程度の頻度で既出文法が授業で使えたんだろう、少なくとも、あんなに単純な文しか使えない授業じゃなくてよかったんじゃないか、みたいに今思っています。

実際、今、自分が中国語をやっていたり、通訳レベルまで外国語を習得してる人の話を聞いたりしていて、

母語方式で外国語を習得できる年齢の人を除いて、外国語習得って、そんなに甘くないものなのでは、みたいに思ったりします。

今の学校では自分で噛む気も呑み込む気もない生徒に、離乳食のような授業を延々とすることを求められているような気がするときがあります。

で、出した教案で、「の代わりに」をやるから、レジ袋の代わりにエコバックとか、紙の代わりにストーンペーパーとか、エコとかダイエットグッズとか、節約アイテムとかいくつか紹介して、そのあと生徒が知っている、何かの代わりに使うといいと思う物とか聞く予定だったんだけど、レアリア(実物)とか持って行くから、それどう思うとか、生徒からの質問とかも聞く気だったし、紹介する中での会話とか(生徒が実際に何を言うかとか想定できないから教案に書いてなくて)でもその代わり教案には生徒が知っている何かの代用品で知っている物、思いつく物を聞く話もそれなりに予定で書いてあるのに、

先生が一方的に話しているだけです。

みたいに断定されてて、まあ、また人格否定来たな、とか思ったんだけど。

実際、授業していて、「によって」を教えるとき、「店によって卵の値段が違います。」とか使ったら、ネパールでは卵の値段は決まっているのに、日本は店によって違う、それはなぜなのか、とか質問があるし、生徒が自分の国の卵の値段のしくみの話を始めるし、ここでこんな質問を生徒にさせよう、みたいな授業ではなくて、割とそういう、「どうして」とか「なぜ」とか自分たちはこうだ、が出やすい例文を用意して、けっこう授業中に生徒が思ったタイミングで話せるようにしているつもりなのに。

時間によって時給が違います。だって、生徒が自分の働いている場所の時給がどうなっているかとか、次々話し出したりしていたし、

次の「の代わりに」とかでも、なんか、私が選んだエコグッズとか、ダイエットフードとか、節約アイテムを消しはしてないけど、自分の趣味というか、生徒のレベルだと思う物を羅列して書かれていて、見た側としては、物でなく先生の例文を使うように言われている印象を受けます。

ストーンペーパーやスタバの木のストロー、スムージーでなく、まあ、上司が「理解力がない生徒でもわかる」と思う野菜ジュースなどが書かれているんだろうなと

って、実際、教案をチェックした先生が書いた文で、かみ砕きすぎて、自然な日本語だったらどういう文なのか、わからなくなってる文があって、1文1文は難しくない単文が4つ並んでまとまっているんだけど、その4つを並べて本来何が言いたかったのかわからなくて、(荒くは意味がとれるんだけど、あいまいで)阪大模試国語偏差値70を取ったことがある、高校受験の時五木の模試で国語80オーバーだったNoneに、これ何が言いたかったんやと思う?って聞いても、わからない、って言われて。

で、実際、私が上司が書いた「かみ砕いた日本語」が、どうにもどうにも日本語らしくないと思って、なぜなのかちょっとNoneに聞いてみた。None曰くは、「省略を好む日本語で、短い文章が連続する中に、重複する単語が多すぎるからそう思うんじゃない?」ということで、

まあ、授業についていけない生徒を出さない、ということを主目的にするのなら、それは致し方ないのかもしれないけど、それは日本語の授業なのかなあ、は、思う。

私が教案に書いてた、「売り切れ」は未習語です、とか、書かれているんだけど、上司が書いている、「外食」も、確か未習語

人の間違いは見つけやすいものだと思う。

それに比べて、人が何に力を入れたか、頑張ったかは見えにくい。力を入れたからと言ってよくなっているとは限らないし、よくなっていたとしても、他のもっと良くできる人と比べてしまって、たいしたことがないようにみえることが多いからだ。

まあ、ものすごく優秀な生徒を除いて、自分の欠点を100個見つけられる教師や上司より、1つの自分の努力を認めてくれる教師や上司の方が、それが例え褒めるとかじゃなく、ただ努力したことに気づいてくれているというだけでも、信頼できると思うのではないだろうか。

また、絵を探してこい、があって、探せる絵かどうかも考えてない、がまた来てるし

プラスチックが燃えて毒ガスが出てる絵、とか、どうやって探すねん、みたいな。

燃えているのがプラスチックだってわかる絵、っていうだけで探すのが難しいし、そこから気体がでてることがわかって、それが毒ガスだとわかる絵、なのね

イルカや鳥がプラスチックを食べる絵とかもね、探せばあるだろうけど、それをヒットさせる検索用語、けっこう難しそうだと思う。

バングラデシュでジュートを原料にしたレジ袋が作られた話をしたときに、プラスチックの問題は話したことがあるけど、ジュートは写真が要ったし、ジュート製のレジ袋も、実際に存在してる証拠に写真が必要だったけど、先生がいくら彼らが文化が低いとか教養が無いとかいっても、口で説明するだけで、プラスチックが有害だということも、魚や鳥が食べて(私は前の授業では、鳥がプラスチックを食べる問題より、小さくなったプラスチックを、魚が食べて、それを人間が食べることの問題で話したけど)理解はできていた

たぶんね、私はまだ新人日本語教師だし、なおさないといけないことはたくさんあるんだけど、まあ、コロナ後の流れとか見て、まず対面授業なのか、も、考えるんだけど、今自分が見ている、直された教案に書かれている「日本語」(わたしは、これは「やさしい日本語」でもないように思えて)、今日養成学校で聞いた、学校の外の、普通のネイティブの日本人と会話できることを目標とした授業を聞いて、こちらの方が目指すところに沿っている気がして。もちろん自分がここで教えられる教師になれるかどうかわからないけど、できなくても、授業を受けて、近い他の路線の学校を目指すこともできるながあって、

実際ね、自分がこんなに否定されなければ、文法が間違ってるとか、習ってない文型が混じっているとかじゃなくて、個人の趣味で選んだ話題とか直されるとか、もういい、があって。

人の書いた物を消して、自分がもっといいと思うネタを授業で使わせたら、気分がいいと思う人なんだと思う。

自分が否定されるとね、直された教案に書かれていた簡単な単文の連続が、これまでは、「NHKのやさしい日本語とは、どこか違うなあ」ぐらいの認識で納めていた物が、「くどい日本語」に見えてきたりするもので

まあ、それでも、頑張って3月までは働けるようにやっていきたいけど。

自分にそれができるかどうかは別として、やっぱ間接法やれるようになりたい。っていうか、この、現実世界で誰も話さない日本語で書かれた教案を作る練習をするよりは、間接法に繋がる学習をしていたい。

それでなくても、例えばみんなの日本語6課で、かなり言えることが限られる既習の語彙と文型の縛りで授業をすることに疑問はあって

北京大学のHSKの講義も、3級までは授業で使う言語英語で、直説法になるの4級から。

まあ、本当に、他の先生はいい人が多くて、とてもそのことはいいことだと思っているんだけど

実際、対面授業を再開してから、第2派とかが来た時を考えて、生徒や教師に、オンライン授業をできる準備とかしないのかなとか思っていたんだけど、それもないみたいだし

いろんな意味で、次を考えた方がいいのかな、は、思っていて。

「まるごと」とかも魅力的なんだけど、文型積み上げシラバスで教える経験積んでおいたほうが、各文型の知識は手に入るなあ、は思っていて、

って、勉強した方がいいことはたくさんあるんだけど、

教師やってる人に時々いるんだけど、生徒の能力を伸ばすことより、生徒や相手をを自分に平伏させることがメインな行動にになってないか、みたいに思う人がけっこういて。

競争心とか、権力欲とか強そうだなとか思うんだけど。

他の人がイイ話とかしてるのに、その話全然持ち上げないで、自分がもっといいと思う話かぶせてきたりとかね。(人の話一度持ち上げてから自分の話もっといいのあるよはわかるんだけど)

まあ、権力欲つよい人だなとか思ったら、で、その人に権力があれば、そのかぶせた話、「すごいですねー」とか言って持ち上げるのが生きるのがうまい人なんだろうなとかは思うし、それだって一つの日本語能力なのかもしれないと思うけど。(っていうか、あなたの話は持ち上げるほどもないほど私とあなたの格は違いますと立場の差をはっきりさせるためにわかってそうしてたのかもしれないけど)

まあ、そんなんは、あまり深く考えたって仕方がないんだ。

っていうか、それで生徒の日本語能力上げてる実績とかあったら、私も素直に平伏していたのかもしれないけど。

海外から日本語を学びに来て、日本で就職を考えている留学生に、自分が本当にやりたいと思う職種の学校に進学できる日本語を身につけてもらいたい、自分が将来つくかもしれない会社、あるいはすでに現在働いているアルバイト先の労働条件について、問題がないか調べたり、問題があれば訴えることができる日本語を教えたい。日本にいる間に、自国にあるもの、ないものを把握して、うまく貿易したり、起業することを考えられる情報収集能力をつけようとしてほしい。

私は、普通に日本語を話す日本人で、日本語文法の厳密なところとかは、十分な知識はないかもしれないけど、情報収集能力とか、自分はけっこうあるつもりで、それに繋がる日本語能力なら、役に立てそうだと思っているんだけど。

それは、留学生のためでもあるし、労働条件に文句が言えない外国人の低賃金労働者を受け入れることは、日本人労働者のためにもならないと思うからで

デービッドアトキンソンさんも、賃金を下げることで価格の安い商品を作って起業の利益を増やすのはなく、働く人の能力を高めて、付加価値の高い商品を作っていかないといけないと言っていて、それを信じたい。

って、今週の授業の準備をするのに、帰ってきた教案見て、ヤル気ゼロになったから、気分持ち上げるために養成学校行ったんだけど、

まあ、日本語教師のZoomの集まりとかで、日本語教師の目指す物について話す部屋があるはずなんだけど、前は参加者が来ていたのに、このごろ少数のセミナー的な部屋に人が集中していて、主催者さんもそのことを問題に考えているみたいで、まあ、いろんな他の日本語教師のひとの意見とか話し合えたらいいなとか思っているんだけど。

って、実質、日本語教師がなにを目指しているのかとか、人によって違うんだけど、それ考え出したら、今日(っていうか途中で日またいだ)のブログの長さどころではない、みたいになりそうなんだけど。

って、帰ってから今週の授業の準備してて、途中でNoneに本買ってきてとか言われて、ジュンク堂に行ったりしたから遅くなって、12時までに軽くブログ書くつもりが、やっぱキレてしまって。

さすがに今遅いから、明日授業の準備完了したいし、その後でもある程度中国語とかできるようにしたい。

とりあえずこんな感じです。

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