今日、新しいメンバーのはいったクラスを見て、4月からの授業についていけなかった生徒が来るから、まじめじゃなかったのかなと恐れてたけど、けっこう質問したり、積極的に授業に参加する生徒だったので安心しました。
ただ、インタラクティブにするようにしたら、前に生徒に私語をさせないように言われてたけど、生徒に質問して生徒が答えたら、他の生徒がそれに反応して、日本語だけじゃなくて母国語でも話し出すので、静かで統制のとれた教室、にはなかなかできなかったけど。
家帰ったら、Noneが、香川県が子どものゲームを取り締まる条約を作ったらしいことにキレてて、私にいろいろ話してたんだけど。
私自身は、昔(小5ぐらいのとき)ゲームウオッチ(古っ)も持ってなくて、たまに友達に貸してもらったら、すぐゲームオーバーで、仲間に入れなかったり、ファミコンとかスーファミとかも持ってなくて、ゲームなんかなくてもいいやん、ぐらいにしか思えないんだけど。
なんか、平日に60分、休日に90分、という制限に文句があるらしいんだな。
まあ、スマホの課金ゲームとか、依存性の高いゲームを規制する方向にすればいいのかな?とか言ったら、ちょっとNoneも賛成したんだけど、
で、現実に、ゲームをする、特に依存するほどゲームをする子どもの立場に立つことが大事で、ゲームの時間を制限して、ただゲームをさせないようにするところに納得がいかないらしくて。
まあ、ボスざると、立場の低いさるに麻薬を与えたところ、立場の低いさるのほうが依存症になりやすかった話とかされて、ストレスがあったり、他に満足できるものを見つけられるかどうかの問題があったりすると言う。
で、学校の成績や人間関係がうまくいかない子どもが、ある程度の時間をかければ、だれでもそれなりにレベルアップとかして満足を得ていることの話があって、
(まあ、逆に言えば、これは誰でもある程度クリアできるものなんだと知っていれば、そんなに依存症になるほど夢中にはならないんじゃないかと思うけど)
Noneによれば、逆に、親がゲームしてるのをつきっきりで監視して、そんなんじゃ立派なプロゲーマーになれないわよ、みたいに、無理やりハードルの高いゲーマーになるように強要すれば、子どもはゲームをしなくなるんじゃないかと言っていて。
それに対して私は、昔とか今、戦争をすると言ったら、人間が直接戦場に行ったりするんだけど、無人の戦闘機とか駆動することとか考えたら、Eスポーツとかの能力が、そのまま軍事力になる可能性もあるから、そういうゲーマー養成教育ママとかはありえないことじゃないかもしれないは思うとか言ってて。
で、まあ、学校の勉強とかは、努力してもうまくいかないタイプの子どもが、比較的簡単にレベルアップできるゲームに夢中になる話とかから、今日の教育についての問題点の話になって
まあ、先日から私が日本語教育能力検定試験のDVDを見てて思ったことを話して、古典的テストで人間が序列になっていることの問題の話をして、Noneは、日本の教育が、つまらない勉強を、我慢してできるようにすることを美化する傾向があるところに問題があることを話して
そこで思い出したんだけど、Noneが小学校の時、がくげいのソフトとかで勉強させてたよな、とか思って、Noneに言ったら、
「ツン太とポン吉のアニメのところだけは好きだった。」
前のブログから見てくれている古い読者は、覚えていてくれてるんじゃないかと思うけど、小学生低学年だったNoneに上の学年の勉強を先取りするのに、うちは上の学年の参考書とかは使わずに、算数の習ってない概念をアニメで説明して、そのあとゲーム感覚で例題が解けるパソコンソフトを利用していた。
まだそのソフトは今も売っているし、今風にアンドロイドアプリとかにもなっていました。
まあ、そこで、漫画とかアニメとかも昔は子どもによくないと言われてたけど、今はクールジャパンとか言われて、そんなに敵視されることはなくなった、ゲームもまた教育によいものとか、文化とかに昇華すればいいんじゃないかとか話をしていて
Noneが、つまらない教育を子どもに我慢させてさせることを批判しているところに、ここで私としては、自分はできるところまで、こういうソフトを利用するとか、さすがに自分で教材を作るとかまではできないから、あるものを探すしかできないけど、教育をできるだけ娯楽に近づけようとしていたことをアピールすると、Noneは気まずそうに笑ってごまかしたりして。
教育ソフトだけじゃなしに、玉塾とか、アニメになっているものを探したりして、トローチになってる風邪薬みたいなことをしていたことを思い出させて
私は娯楽は娯楽の方で、できるだけ有益なものに近づこうとするべきだと思うし、教育は教育で、そのもともと持っているレジャーなところを多くすればいいと思っています。
そうだよね、教育はレジャーだと思ってずっとやってきているんだ。
語学を習得させることを教育から切り離して、教育を悪者にすることで自分が人間らしいイイモノであるかのように言いたがる人もいるけど。
って、確かに日本語教師養成講座とかで習うことも、教育するという立場でなく、語学習得の支援者であろうとするように教わるけど、
それは教育者として上から目線で対応するのではなしに、支援者として目線を同じくすることを言われているのであって、教育学の知識なしに支援しろ、というわけではない。
養成講座の先生とか、生徒を「あの子」とか言う人を嫌うんだけど、私自身は先生と生徒、というような人間感覚ではなく、駄菓子屋のオバチャンと近所のお菓子買いに来た子、ぐらいの感覚で、「オバチャンこれわからんねーん。これなにー?」ぐらいに尋ねてもらえるような間柄を希望しているのだけど。
って、私自身は子どもの時お金がなくて駄菓子屋でお菓子買った記憶ってほとんどなくて、大人になってから駄菓子買って食べたら「まずっ」みたいになって、ほとんど駄菓子食べられないヒトなんだけど。まあ、漫画やアニメで見る、駄菓子屋のオバチャンと近所の子ら、みたいなものから得たイメージで。
子どもの持っているお小遣いの範囲でお菓子を与えるように、その子の理解できる範囲で知識や思考力を与える、といったような。
って、明日テストなんだけど、ぜんぜんできる気しないや。
まあ、数日前まで、ぜったいに受からないと的な切迫感あったんだけど、DVDほぼ全部見て、理解してるんだけど記憶に残ってない(文法とか、言われたらそうだけど、文法用語とか覚えられないとか、教育機関の名前とか、聞いたら思い出すけど自分から言えないとか)ので、逆にほぼ諦めることができたというか。
睡眠不足にならないために寝ます。
とりあえずこんな感じです。


