今日一日DVD見てて

きのう、午後に教育機関の仕事があったのが、今年の仕事始めなんだけど、

英語の採点とか、ほとんどあてられなくなっているんだけど、昨日久しぶりに、宿題の採点で英語のが入っていて

ディクテーションの問題が最初に採点しなくちゃいけなくて、音声教材を聞いたまま書きましょうとか問題に書いてあって、その日本語訳とか、どんな問題だったか、問題用紙見ただけではわかるものではなくて、

解答用紙ないですかって言ったら、そんな基礎の問題は解答見ないで採点できないといけないでしょうと、英語が基礎からわかってない人の扱いを受けて、めっちゃ納得いかん状態だったんだけど。

っていうか、英語採点している人、何年も同じプリント採点してるのに、ディクテーションの採点するの混じってるの誰も気づいてないの、ちゃんと採点してるんかな、は思った。

まあ、英語外されてるのは、能力の問題じゃないような気がしているし、(私の発音もたいしたことないんだが、「え?」みたいな先生が混じっててもOKみたいだし)まあ、うち、好かれてないから努力しても無駄っぽくて

ってまあ、ネイティブみたいな発音とか目指す必要はないと思ってるし、thとかスラっと言えないなら、インド人とかアラビア人がするみたいな、tみたいな、ちゃんとした発音記号じゃないけど、t ʰ みたいな、アジア人がよくする発音でいいと思うし、生徒ができてない発音を、さして見本でもない発音で、何べんも発音強制しようとしてるのはどうかなと思って、私的には、今英語話者に通じない発音したなと思うところを軽く指摘したら、あとは音声教材よく聞くように指導したらいいだけのような気がするんだけど。なんかね、先生が自分の発音自慢してるみたいに聞こえるねん。生徒を直そうとかいうんじゃなしに。

昨日今日と、検定試験対策のDVDの「言語と教育」見てて、まあ、訳読法の教育について説明見てて、

学校で訳読法を使うのは、生徒の数とか、教員の用意とかを考えたら仕方ないのかな、は思うけど、自分が自分の子に、この月謝を、毎月数年間払える経済的余裕があったら、最初に文法訳読法は選ばないだろうな、は思う。

実際自分は、最初はもう生まれたときから当時の2時間放送の『セサミストリート』を見せて、ケーブルつないだら、ケーブルで流れている英語のアニメとか見せてたんだけど、中古のDWEとか使用したし。

某おうち英語老舗とか、教育機関とかの人より英語を教えるのうまいとか豪語してたことあるけど、DWEとかめっちゃ言語学とかのプロとかが監修してる「教材」だし、(どこでどうその工夫がされていたか、若干勉強しただけでもわかるし)ORTだって、外国語教授法じゃないけど、言語学のプロが作ったものだ。その利用法を、教育を受けてない人にもわかるように、専門の人が解説したものとかが、ネットで2次的、3次的に流れてるのを読んで、利用しているのを、教育を受けた人より私が最強、言うてはりますが。

コミュニカティブアプローチとかが正確さに問題があって、文法訳読法とか、話す力が身につかないとかの問題があるっていうんだけど、

ふつうに、日本語話せる日本人が、学校行くようになって国語を習い始めるんだから、コミュニカティブアプローチで、正確さに問題のある外国語学習者が、文法訳読法で正確に話せるように直せばいいんじゃないかな、とかは思った。

もちろんね、3か月後の出張のために外国語習う、とかの人には使えないんだけど。

まあ、目的の外国語を話す国で永住するつもりとか、生涯仕事でその言語を使うつもり、とかの場合の話で。

昨日、カンフーパンダの30分アニメ、英語で字幕なしで見てて、

時々、今セリフ早かったし、難しい単語とかあってわからなかった、とかのセリフも混じるけど、ほぼほぼわかる状態になってて

Noneが生まれて、それまでわかる外国語がドイツ語だけだった状態から、(それも、ゲーテで直接法で習ったから、比較的話せるほうだったけど、大学でやってたの、哲学書とか訳読、みたいなことばかりだったんだけど)それを英語に書き換えるつもりで、Noneと英語始めて、幼稚園だったNoneと、カンフーパンダの映画みたときは、字幕なしだったら、英語じゃ全く理解できなかった状態からの、ゆっくりな進歩を感じた。

ペンギンズとか、キャラの言い回しか凝りすぎてて、カンフーパンダほどクリアには聞けないんだけど。

今、AppleTVで、セサミのスタッフが作っているらしい、パペットの動画上がってるけど。

セサミの時が、アルファベットと1~20までの数字を教えることが主目標だったんだけど、今度のは、簡単な生活スキルを身に着けさせるための動画みたい。私にはわからないけど、アメリカでは有名な芸能人とか、ゲストで登場しているみたい。

まあ、小学校の時、アニメはあるていど理解するけど、自分で英語アウトプットするとしたら、滅茶苦茶で、コリャイカン、と思った私が書店で選んだのは、教育機関の出版から出ているドリルだったんだけど、be動詞と一般動詞を区別するところから問題が出ていたんだけど、Noneめっちゃプライドズタズタにされてて、でも正解とかできてなくて、

まあ、本当に、英検の時はスタディギアとか、そのときそのときで、出たばかりのツールを頼って英語をさせてきたのだけど。

ここにきて、理系に行くかもしれない、文系で国立行けるんなら、院にいくかもしれない、で、TOEFL高得点ぐらいの英語力が必要になっていることがわかって、Noneは今になって自分が英語やらされてきたことの意味がわかったみたいなんだけど。

まあ、もっと幼児期に、高等教育を想定した、会話や学問や仕事に使える英語を目的にした人たちとの交流が持てて、Noneが英語をすることが「他と違う」感を持たないことができてたらな、は思う。

幼児期は、やっぱり他の子と同じことをしているほうが楽しいし、安心感を持てるし、他者との共通の話題があることが大事だから。

淀川区でも特に庶民が住んでるエリアやから、他の保護者が「可哀そう」言うから、自分は可哀そうなんだと思って育っていたところがあるんだけど。

Noneの好みとできる範囲での取り組みにかなり苦労したつもりだけど、で、私としては、職業が選べる側の日本人になれる水準の教育を目指していたつもりだったんだけど、外野は虐待だのなんだの、うるさかったよな。

まあ、主人が教育費出さないと言っていた時期って、公立縛りっていうキツイ条件があったから、確かに必死だったんだけど。

ってね、何日か前に、日本語文法のDVD見てたときに思ったのだけど、日本語の国語の授業の半分を、「日本語」にしたらどうかなと思ったのだけど。

意味の違う「を」を、母語として日本語を話す日本人自身が意味の違いに気が付いていない、ということが外国語を習得しにくい理由なんじゃないかと思って、

「本を読む。」の「を」と、「いつもの道を通る。」の「を」が違う、というようなことを、意識することができるようになれば、外国語を学ぶときに役に立つのではないか、みたいな。

まあ、日本語文法の教え方とか、欧米の言語学を応用しているから、欧米の言語の比較から考えられた的なものなので、特に欧米の言語を学習するのに向いていそうな気はするけど。

とくに私立の国文学科が、日本語学科とかに名前を変えていて、国語の教師の資格も、日本語教師の資格も手に入るようになっている大学が多いみたいだから、教員養成は難しくないと思うんだけど。(って、コレたまたま我が子が国語教師になろうかと進路を考えていたから手に入った情報だけど)

って、昨日から、教え方の分類とか、指導法、テストの仕方のDVD見てたんだけど、教え方の分類とか、テストのところ、どうテストするとか、偏差値の計算方法とか、自分がソレ担当するところまで行かないと思ったところ、無視してブログ書いてたんだけど、最後の方で、テストによらない評価の方法とかやってたのは後でチェックしといたほうがいいと思った。

その前に、私らが普通に「テスト」と思うものが、古典的テスト、って言われてて、対応するものに項目応答理論が紹介されてて、まあ、なんてことない、TOEFLみたいな、前のテストに比べて自分がよくなったか悪くなったががわかるテストのことなんだけど、まあ、かなり古典的テストが批判的に言われている気がした。

まあね、受験者を点数によって序列を作るようなテストは、あんまりいい気分のするものではない。

この序列の勝ち組が教師とかになるから、次世代の勉強が苦手な生徒にわかりやすく教えることができなかったりするところがあるんだろうけど。

ってね、本当のこの序列の勝ち組さんは、あんまり直の教育に携わらないんだけど。

高偏差値国公立大学で教育学とか専攻する人ってどこに行ってるんだろう。って、そもそも国公立の教育学部とか、教員免許が公民とかだけだったりするところが多いから、教師になる人が少ないんだと思うけど。某高偏差値国立大学の教育学部の主な就職先とか、国家公務員とかやった。

Noneとかに昔、教育変えたかったら文科省とか狙え、言うたことあるけど、Noneが世の中から聞いた話によると、文科省みたいなところから変えるより、教員になっていい地位ついたほうが教育が変えられるそうなんで、ソレ信じるしかない。(ソース不明。たぶんNoneの学校の先生の話)

って、言語と心理、言語と教育を見終えたから、社会・文化・地域をみているけど、これが一番面白そう。心理とか、学習者のバックグラウンドを考えましょう、とか言われても、具体例とかないし、漠然としすぎてて気が遠くなったりする。「そんなん言われてもなー、って、確かに、資格なしに教えてる人で、植民地教育ちゃうねんから、みたいな人おるけど、常識の範囲の話やと思うし」みたいな感じだったんですが。

某おうち英語のボスママとか、日本語教師が日本大好き外国人に日本語を教える仕事だと思ってるんじゃないかと思う記述とか見たことあるけど、一応、420時間の養成講座とか、資格試験の内容で、仕事とか家族との関係で、仕方なく日本に住んでいる人、などにも、そのバックグラウンドを考慮して日本語を教えるように教えられる。

同じように、いろんな理由で英語を我が子に身につけさせたい人がいると思うけど、多様性を認めるフリして、親子のあり方とか、サロン内でかなりボスの好き嫌いで判定されてない?

まあ、今の自分の実力では、そんな先端の教育には携われそうにないんだけど、そういうのもあって、Noneには高い教育を受けて、自分が今やりたいと思うようなことを、同じように思いそうに思ったから、用意してやりたかったんだけどね。

自分の思い込みで最強とか最高とかいうものではなく、今までに真摯に教育に携わってきた人たちを尊重してそこから学び取ったうえでの新しい教育を考えていきたい。

訳読だって、古典的テストだって、過去に教育について真剣に考えて、その時期の最善の方法であったということ、今も全く活かせないというわけではないこと、を考慮したうえでの、よりよい教育について考えていきたい。

もちろんね、父から聞いた、父の幼少期の沖縄の人が大阪の人に受けた差別(正確に言えば、大阪ではなく兵庫県なんだが)のことを聞いて、今日本のひとにウエルカム的対応をされて「当たり前」的な態度をとる外国人を見て、「もっと感謝してくれよ~」」的には、思わざるをえないんだけど。

今、日本がかつて植民地でした、日本語で教育を受けさせた流れと、今、日本で、英語を覚えるようにしていることと、重なるところを感じたりもするんだけど。

まあ、私自身、悪いけど、国立大学で貧困問題扱うより、私立で農学とか公立で理系のことをやるほうに期待していて、英語ができたほうが、その知識は高くなるけど、英語そのものより、今必要とされるのはその中身のような気がしています。

なんかね、農業とか学んでいた方が、何年後かに貧困問題扱いたいとか言っても間に合って、そのほうが解決につながりそうな気がしたりするところもあるから。

って、フロ入ったらこのDVD全部見てから、ひかりテレビで録画していたの何個かみたいです。

とりあえずこんな感じです。

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