先々週、~のつもりです、~の予定です、の授業で、生徒の将来の希望や予定を聞く授業にしようと思って教案書いて添削だしたら、生徒に~のつもりです、~の予定です、の形に変換する練習に変えるように言われたので、そういう変換をする授業にしなければならないのかと思って、で、あと、説明ばかりでつまらないと言われたから、マークや記号の話では、面白いマークや標語をあつめて教案作って、少しは褒めてもらえるだろうと思って待ってたのに
今度は、生徒が返還練習ばかりになっていますって言われて、あとは対話型授業になっていないと注意されたんだけど、
まあねー、養成講座の模擬授業、生徒が他の養成講座の受講生で、日本語ネイティブのニセ留学生なので、実際の留学生なら間違いがそれなりにある問いでも正解を即答、みたいになるから、ついあんまり生徒と話さないでできる模擬授業にしがちだったんだけど、あと、文系の説明自体を対話型にするのを対話型で要求されたんだけど、これも私自身、中高や大学で講義型で授業を受けているから、文系を対話型で説明する授業の形が想像できなくて。
いや、いっぺん教師が文系をざっと説明してから、生徒と対話、みたいに思ってたんだけど、それじゃダメらしくて。
ただ、今回も教案真っ赤になって帰ってきたから、心は折れてて、対話型の授業をできるようにトライはするけど、できるようになったら、もっと自分を認めてくれる学校に移れないかなあ、みたいには思う。
中国人留学生を相手にできる日本語学校とかは、教師が日本語ネイティブレベルの教師を求人してたりするな。
技能実習生の教えるところは、N2以上あるベトナム人の求人とかになっているし。
まあ、前に行っていた中国語教室の先生もそのタイプだったんだけど、ハードルを見せるから、そのハードルを越えようと努力をけっこうするのに、そのハードルを越えたり、越えそうになったりしたら、相手の努力はスルーして、ハードルを上げたり、ハードルの位置を変えたりする、「越えられない師匠」であることにこだわるタイプのように思ええる。
教える相手を伸ばすことより、生徒が越えられない師匠であることに重点が行くタイプって、そりゃそれでもついていこうとするタイプとか優秀になれるのかもしれないけど
基本、自分は、できたら「できたねー、すごいねー、じゃあ次これもやれるよねー」とか、できなくても「うわあ、もうすぐできるやん、じゃあ次もっとレベルあげてやってみようかー」みたいにするタイプだから、
え、うち、今コレ頑張ったやん、それ見てへん人に、次のレベルに上がれるかどうか、どのぐらい上がれるかとか決めれるの?っていうか、今ハードル間違いなく上げたのに、もともとハードルはここでした、的対応なんだけど、みたいには思う。
まあ、受験前、本当は教会行って礼拝受けてるほうがいいんだろうけど、図書館行って、対話型授業、(これもう、日本語教師の授業とか、そもそもの教育学のものとか関係なく)を図書館行ってチェックしてきます。
とりあえずこんな感じです。


