朝、起きて、近大オープンキャンパス、ちょうどいい時間に着くように家をでるのはどのぐらいかな、とか、路線考えながら朝を過ごして、
今朝になって、近大一番楽に行けるのは、鶴橋から近鉄ルートじゃなくて、新大阪からおおさか東線ルートなのに気づく。
これだと、うちからはかなり近大の通学は楽になるはずだ。
八戸ノ里からバスかと思ったけど、神大のオープンキャンパスのときに、バスとか絶対ムリ、みたいに行列になっていたのを思い出したから、長瀬から徒歩。
長瀬駅前、商店街の入り口に近大のウエルカムの垂れ幕とか下がってて、商店街ずっと蛍光灯数メートル置きにも小さな垂れ幕かかってて、町ぐるみのちょっとしたお祭り騒ぎみたいになっていた。
入口で、学校のパンフレットが入った紙バックとかもらって、一緒に近大のオリジナルのミネラルウオーターのペットボトルを全員に配っていて、Noneと、「1970年の万博で、帽子を配っていた松下幸之助もかくあらん。」とか言ってて。
受験の説明会の会場に入ろうとしたけど、満員で、別の会場に行ったら、オープニングセレモニーの、チアのひととか合唱団とかの演技を見ることになって、Noneと、「学園祭?」とか言ってて。
その後、なにか司会をする学生が出て、出身校を私の出た平凡高校だと言ってて、平凡高校からでも入れる大学に、某高行ってるNoneを進学させるのは、チョイ心理的ダメージとかは感じたけど。(まあ、でも、その「後輩」は文系学部で、Noneには近大ならば理系で行って欲しいと思っていて)
まあ、併願とかで、いくつかの学部を申し込めるけれど、理系と文系の両方を一度の試験で受験することはできないらしい。
受験の日程とか、受験科目の話を聞いて、この日のコレなら受かりやすいかもしれないね、とか言ってて
正直、私立になるなら関関同立より、近大の理系に行きたいね、とか言ってて。
外出たら、会場とか、オープンキャンパスとか、以前に関学とか同志社とか言ったのとは全然様子が違って、めっちゃ世俗の欲望が渦巻いてますなー、みたいな様子で
まるっきりUSJのパクリみたいになってて、キャンパス内、どこ行ってもユニバみたいにバックトゥザフューチャーの曲流れてるし、
無料で食べれる、という近大マグロの整理券をもらいに行ったら、ちょっとしたアトラクションか、言うぐらいの行列になって
並びましたよ(そんな、何時間待ちとかじゃないけど、そこそこ長い行列で)

回転ずしとかスーパーのお寿司とは違う、そこそこのお値段のするお寿司(ネタは美味しかったけど、シャリはなんか機械で握ったやつでしたが)でした。お醤油もちょっとイイヤツがテーブルに置かれていました。
生協でガリガリ君もらって

で、写真撮るの失敗してたけど、食堂で「近の炙りブリ丼」を食べて
どうして写真消えちゃったんだろう。レアな感じの残ったあぶったブリに、ちょっとポンズか柚子かわかりにくかったけど、柑橘系の味付けをした大根おろしが乗っていて、よこにお出汁がついていたのが、おすましなのか、かけてお茶漬けにするのかわからなかったけど(私は先日の和牛丼のように、半分食べて、残りお茶漬けにしました)なかなか美味しかったです。(近大のオリジナルのオムライスもありました。そっちのほうが売れているみたいだったんですが、私としてはブリ丼で正解だったと思います)
Noneと、ランチ食べながら
J「ピノキオが騙されて行ったプレジャーアイランドみたいなとこなんじゃないかと思うんだが。」
N「ありうる。」
とか言って笑ってて。
近大のオープンキャンパスが楽しいからと言って入学してしまったら、ロバになってしまうかもしれない。
って、理工学部も確認したけど、近大の中では、None的には農学部の方が魅力的で、奈良の方は、大学らしかったと言うし、でも理工になったからと言って、やりたいことがやれないわけではないらしくて。
うち、Noneの話聞いててわけわからんねんけど、有機化学、というのが面白いらしく、Noneの用意できる受験科目でそれが勉強できるのが近大なら、応援するから、という話で。
こういうのもなー、うちがもっと情報通やったり、勉強できる人やったら、国公立大学で有機化学できるようにサポートできたんやけどな。
でもな、全部子どもに任せて放置、みたいなのも一つの方法なんかもしれへんけど、何も知らないで生まれてくる子供に、親が話しかけるのって、ただ単に日本語とか、母国語の語彙とか文法を教えるかけ流しのコンテンツではなくて、その親が生きてきたうえでの思想とかが当然入ってくると思うねん。親が心理学好きやったりして、それの影響を受けた子が、行きたくなりそうな教育機関とか仕事に行けるようにすることって、決して子どもの芽をつぶしているわけでも親の作品にしているわけでもないと思うねん。
心理学好きで、話してたら子どもも心理学興味持って、そっちで進学したいのかなとか思ったら、ギリギリで受験科目も用意できてないのに、農学部とか行きたい、言うんかーい、みたいな。ある程度の影響は出るけど、子どもは自分のもっとやりたいこととか見つけられるよ。(って、それでも第一志望国公立は、理系で用意できないし、やっぱり心理学は心理学で好きだからそっち方面で受験するんだけどね。でも、これは親が押し付けて心理学進むのではないし、心理学は好きだし、理工学部受けられないのもNoneの勉強不足だし)
Noneが、高校では倫政とってないんだけど、自分で倫政勉強して、センター倫政にすることになって、私が手伝おうか、って言ったら、「オカンはセンターの出題範囲より濃い話するだろうからいい」とか言われて。
昨日、でも、Noneのほうから、自分がヘーゲルのアウフヘーベンの理解があってるか聞いてきて、
残念ながら、学部の時、もヘーゲルはあんまり調べてなかったから、Noneに説明させて、それ合ってるか、私がネットとか見て調べることにしたんだけど、
大学受験生と、20年前に学部で哲学を専攻(って言っても学部生ってゼミで2年ぐらい哲学やるぐらいだから、腰据えて見れる哲学者って1人だけの場合が多いし、新書並みの知識でいいっていったって、そんなに何人も見れないから)ぐらいの親のヘーゲルのアウフヘーベンの理解なんだけど、
要は、過去に、アカン自分がいて、自分をよくしようとするのとか、それでもアカンとかを繰り返して、今納得いく自分がいるんやけど、過去のアカンかった自分も、今の自分のコヤシになってる、みたいな解釈で私はいるんだけど
だからね、親が勝手に子どもになにか教えたり、何かさせてアカンことがあったとしても、それすらもコヤシにできるように最終形を目指すとしたら、子ども壊すとか潰すとかないんちゃうかな、それがアウフヘーベンじゃないかなって思って。
アウフヘーベンの理解が正しいかどうかは別として、
親が、よかれと思ってやったけど、うまくいかないこととか、なにかひとつ乗り越えたところに行く機会にすればいいんだと思う。
実際、小学校の時だったと思うけど、確か哲学者の言ってることの要約みたいなのを集めたのを一緒に読もうとしたけど、そのときは、もとが要約だから、キチンとした理解とかも求めてなくて、ただ、こういう世界がある、っていう紹介にすぎなかったのだけど、で、幼児の時の漢字ドリルと同じで、途中で投げ出してるんだけど
今、倫政でセンター受けたいからやと思うけど、この哲学者の言っていることはこうやろ?を大学受験の時に聞いてくれる関係になっていることが、どこかの有名大学に行くよりも嬉しい
もちろんね、国公立大学で、心理学やってくれるほうがうれしいし、それとは別に、近大で自分のぜんぜんしらない有機化学をやるでもいいんだけど。
親の、いいこともわるいことも、できることもできないことも、子ども本人のいいこともわるいことも、できることもできないことも、全部踏まえて新しい良いものをめざしていく
親が子どもを持つとき、父親だって母親だって、自分がこうして欲しかった、あれがやりたかった、ああすればよかった、があるし、正直、よその子を見て、あれはうちの子にも合うかもしれない、は思うはず
子どもを何人か産んだような時点で、完璧な子育てができる必要はないし、暴力を奮うとか、食事を与えないとか、それは親としてイカンやろ、みたいなケースは考えられるけど、(このへんが、どこからアウトかっていう線引きをするために、親は、ちゃんとした本一冊読むぐらいの心理学とか教育学はあったほうがいいと思ってて)基本、自分完璧やないんやろうな、と思いながら、完璧じゃない子育てをしていていいんだと思う。
料理とか作るときに、科学の実験か、言うぐらい、温度や分量にこだわるタイプの人って、家庭の料理作るの苦手な人多いと思うんだけど、
子育てだって、キラキラしたのを壊しちゃいけない、とか、あんたの子、核融合物質(これは光らないらしいが)かなんかですか、みたいな気がして。逆にうまく子育てできなくなると思って。
英語のことならともかく、子育てのこととかに関しては、あのひと、ただの思い込みでモノ言うだけのひとですから。そんな人の言うことを聞くのは、普通に生活してて、羨ましいなと思う人のマネを少ししてみるのと本質的には何も変わりませんから。
まあ、おうち英語のピラミッドみたいなのの中に入って英語とかを気にしてない大勢の普通の人に対して、実際優れているわけでもないのに優越感感じたいひととかは、しかたないのかもしれないけど。
まあ、Noneに、今日取り忘れた近大の過去問もらいに明日の近大のオープンキャンパスにもう一度行ってきてとか、パシリ扱いだったんだけど、(Noneは模試)ネットみたらPDFでダウンロードできるので、明日は教会に行って、午後受験説明会に行ってきます。
とりあえずこんな感じです。


