昨日、朝ゆっくりして、起きて教案確かめたら、例文とか、フラッシュカード作ってホワイトボードに貼る予定だったことをそのときになって思い出して焦って。
先週教案作って、それ通ったら、次の週の教案つくるのに夢中になっていて忘れとっただがよ。
フラッシュカードを作るためのエクセルの表は、前は何ページかごとに3等分できない位置にずれるものだったのだけど、それは先週気が付いてセルに文字を入力して印刷すれば、A4のヨコ向き印刷で、タテ21センチを7センチごとに分けて切ればいい表を、完成はしていたのでした。(これがまた時間のかかるジミな作業だったので、そこでフラッシュカード作るのを疲れてやめてしまっていたのでした。)
思ったより例文多くて、全部印刷でA4を26枚印刷することになりました。
午後の仕事があるので、3等分の線をうすく鉛筆で弾いた状態で仕事に行きました。
仕事は、夏休みで生徒たちが早く来て帰るので、私も早めに帰ることになりました。
で、線を切るのを、ハサミでやっていたら気の遠くなる作業になるので、カッターで切ろうと思うのだけど、カッターは洋裁をしていた時に買って持っているペン型カッターがあるのだけど、カッター台がない。(洋裁用に昔使っていたごく小さなものしかない。)
午後の仕事先の近くに、文具のディスカウントストアがあるから、寄って見てみたけど、文具メーカーのはさすがに高い。帰って家の近所の100均でA4サイズのボードが200円だったのでそちらを購入。
切る作業とか、ひとつの文をいくつかの紙片を両面テープで合わせていたりしたら、で、そのあとマグネットつけるし、2時間ぐらいかかった。
まあ、作業の部屋にある、YouTubeの見れるテレビで中国語の番組を見ながらの作業なんだけど。
で、あけて今日の午前、改めて忘れ物がないように確認して、出勤。
学校のことは、できるだけブログに挙げないようにしようと思うんだけど、
ただ、生徒は、該当の課の内容を、ほぼほぼ既に学習していて、けっこう授業中退屈している。
今回は、「~しましょう。」を言えるように、CDのほかにも、余興を用意して行ったから、それなりに授業がなりたったけど。
予定表で、自分が次と次にあたっている課とか、いままでと同じ段取りで授業を用意したら、たぶんすでに生徒はわかっている内容だろうから、相談したら、アクティビティを入れることになって。
いくつかのアクティビティの教本のコピーをもらって、家でもネットで探すんだけど、もっとアイデアほしいなとか思って、
アマゾンにいくつか本があって、明日、土曜だから日本語教師用の書店開いてるから、太極拳終わってから中国語教室行くまでの合間に、チョイ行っていい本さがしてみるかとか思って。
養成学校に居た、同志社家族のママさんとか、こういうアクティビティいろいろ思いつくタイプだったよな、とか思って、いまさらながら羨ましくなって、
って、自分が次に当たる課とか、間違い探しとか使ったらいけるかな、的な状態なんだけど、ふつうの間違い探し探したら、習ってない単語でできた間違いがいっぱいあって、そのままで使えなくて、いちおう日本語教師用のサイトで、その課用のまちがいさがし置いてくれてるのは見つけてダウンロードしたんだけど、活動これだけで足りるかな状態で。
アマゾンのレビューとか見たら、授業づくりに困らなくなったとか、スバラシイことが書いてあるので、本気にしてるんだけど。
今日、授業終わってから宿題の添削なんだけど、けっこう間違い多くて、それを全部正解書いていかないといけないから、たいがい時間がかかった。
授業の準備にかけた時間とか、そういう添削の時間とか考えたら、めっちゃ時間給安くなるんだけど、
なんか、いちばん自分らしく働けてるような気がして、コツを見つけて割に合う時給の仕事にしたいとか、もっとスキルアップしたいとか思う。
ただ、ここでは、午前の技能実習生の仕事と違って、自分が出したアイデアとか、すごく前向きにOKしてくれるし、授業はこうあるべき、みたいな考えが、自分が養成学校で習って、こうだと思っているものと、大方の部分で同じみたいなので、こちらのほうで頑張っていた方が、じぶんのやりたいことができるだろうと思います。
技能実習生の方は、頑張って仕事を増やそうとしたことはあったけど、聴解の仕事だって、資格のない事務員のひとたちのほうが向いていると判断されているし、実際、工場などで、雇う側の意向を優先した日本語を教えるのなら、私のやりたいことではないかもしれない。
日本語教育はどこへ向かうのか ―移民時代の政策を動かすために
内容紹介
外国人の受入れは一気に加速した。日本語教育の需要が非常に高まる中、日本語教師の就職問題、留学生の就労問題など、手放しでは喜べない状況にある。英語教育からの視点もまじえ、政策に合わせて動かなければならない現状から脱するためのヒントを与える論考集。いま日本語教育・言語教育に関わっているすべての人に。
なんか、いいテキストないかなと検索していたら、こんな本がついでに出てきて、
6月に出版されたみたいだけど、目を通しておきたいなとかは思う。キンドルで出版されてないので、置く場所ないから、ジュンク堂で読めるときに読みたいな、なんだけど。
まあ、今日仕事から帰るときに、新大阪から電車に乗るから、前勤めていたコンビニの前を通るんだけど、時給から考えれば、あちらのほうがよほど時給がいいのだけど、もどれたらもどりたいかと言われたら、それは絶対にないと思う。
少なくとも、決まった時間にゴミ捨て、おにぎりやお弁当の賞味期限調べ、とかの仕事ではなくて、授業で使うアクティビティは何にしよう、とか、自分の裁量が大きく許された仕事だと思うから。
好きなことを好きなら仕事にできるとか言ってた某英語サークルのボスママなんだけど、実際今自分がこれがやれているのは、主人から生活できるだけの送金があって、養成講座に通えるだけの貯金が用意できて、働きながら通えるだけの余裕(コンビニで一緒だった3人の子持ちのシングルママとか、フルタイムで働いて、家事もしてたし、スキルアップのための習い事とか、難しかったと思うから)がないとできないとか、あると思うから、なんかやっぱり、人より好きだったからできたんだ的な自慢とか、他人を馬鹿にしてるよな、って思う。
実際、自分の好きだった洋裁とか、漫画とか、あと母さんの職業だった音楽とか、やっぱりお金と時間に余裕がある家のひとのほうが、仕事にしやすいもの。家族や経済的事情のために、仕事にするまで本腰いれることができなかった人もいるようなところで、そういう発言をするのは、好きだったら、事情とかなんとかできるはずだと責めているようにも聞こえることだと思う。
まあ、最初から貧乏だから何かに本気でとりくみたくてもできないとか言う人とか、眼中にないんでしょうね。で、そういう人もいるということを知ったとしても、そのひとたちにひどいことを言ったとかいう反省の弁とかもないみたいだし。
って、明日、早く起きて、朝と昼の用意して、太極拳行ったら日本語教師の書店に行って、中国語教室行かないといけないから、準備万端にして朝出れるように寝ます。
とりあえずこんな感じです。


