ほぼ積年の恨み

 今日のブログではやわらかく勉強を頑張っている人に対して、「それも大切なことだと思う」とか書いているけど、Noneが小学校の頃とか、中学の時に、文理校受験で頑張っていた時とか、人間にもっと大切なことがあるとか言って、勉強頑張ってる人が人間の大切なもの無視してるとでもいいたげな文章書き続けていたし、ちょっとエキサイトしてるかな、みたいな家を虐待呼ばわりして、もし行き過ぎていたとしても、助けるのではなく、孤立させようとしていたのを私はしっかり覚えているが。

 それを、やっぱり認める気もないし、謝る気もないみたいですね。

 勉強が好きな人が「勉強好きやねん」言うたら、勉強が得意じゃない人たちのなかにはその勉強が好きな人を攻撃し始める人がいる。

 だから、基本は勉強好きじゃない人にその話はしないし、だからこそネットのような世界で、似たような人を探して書いているのだけど。

 サッカー好きな人が、サッカーに興味がない人にそんな興味がないのと同じで、勉強が本当に好きな人は、勉強好きじゃないねん、言うひとに、勉強の話をそんなにしたいとも思ってないと思う。

 勉強できへんひとに、勉強できるねん、って威張ってるタイプとか、私の知る限りでは低いレベルで勉強している人が多いと思う。

 それは、話聞いてたらわかる。自分が関心持ってる知的な話題を、共有したくて話す人と、ドヤ俺、こんなん知ってるねん、おまえとレベルが違うやろ、みたいにマウントしたくて話すひととの違いはわかる。

 ちょっと頑張って勉強したテーマとか、本当は一緒に盛り上がって話せる人が欲しいけど、リアルではなかなか見つからない。(まあ実際、この人はこのレベルの話につき合ってくれると思って空振りするときは少なくないけど)

 Noneは某高行って、同級生とかクラブの子と話している話とか、もりあがるらしいけど、正味普通のひと引きます、みたいな話もけっこうあるし、正直、こういう興味を持っていて、平凡以下の学校に行っていたら、ハブられてた可能性高いよな、は思う。

 っていうか、やっぱある程度の学校に行って、ある程度の職業につかないと、勉強おもろいな、みたいな関心の持ち方してたら、ハブられる可能性高いと思う。

 今のNoneでも、教員になりたくて、これからの教育のあるべき方向とか話すのに、知り合いで話せる人少ないから、ふつう引くから、しゃあないからオカンと話したるわー(って上から目線だが)っていうときがある。

 給料の高い職業とか、そういうのを目指してるんじゃないねん。

 お勉強キライで、学歴高くなくて、でもベンチャーな職業で成功してる人とか、むやみやたらに高学歴の人叩く人多いやろ。その高学歴の人にいいところとわるいところが両方あるのに、悪いところだけをカウントして記憶している、みたいな。いいようにもわるいようにもとれる、中間的なことも、悪い方でカウントするし。とりあえず結論が、いい学校出てても社会では通用せえへん、になるように考えたがる人が多いというか。

 学歴が低い人がやったら、温かい目でみるのに、似たようなことをちょっと学歴ある人がやったら鬼の首とったみたいに攻撃する、みたいな。

 ええ学校出たら、ある程度以上の学校を出てる人で揃ってる職場の方が、安全、とはいえるとおもう。そういう、学問好きのタイプには。

 そういうの経験して、我が子にはちょっとマシな就職してほしい、と思って、いい大学には、現状、学問じゃなくて、受験勉強が必要だから、いつまでに何ができてないといけないから、で、仕方なく教育している所もあるのに、虐待呼ばわりして、私っていい人、みたいに、自分のグループの中で、教育熱心な人をタゲって、そのグループの中には、その教育熱心な人に対して普通に接してたのに、味方になったら私がグループでハブられる、と思って近づかなくなったりするから、教育熱心な人はよけい孤立するんだよね。

 そういうのって、人によっては追い詰められて、適度な教育だったのが、絶対高偏差値の学校に行かなきゃってなって、よけい虐待じみてくるんだけど。

 あの時期に、英語教育熱心な人はまず知っているブログだったし、英語頑張る人は、受験とか頑張ったら、攻撃受けるみたいな空気が広がったよね、あの時期。

 ずっと、そのことの謝罪を求めていたのに、その反応とか、「私ら出る杭やから打たれてるわー」みたいなのばっかりやったし。

 私としては、これからの高等教育を受けるのに、英語は絶対必要だから、英語もできて、勉強もできる、という状態を目指しているひとがもっといてよかったのに、あの時期そういう発信者が少なかったのは、あのブログが主導権握ってたからだと思っています。

 今はね、もう時期が過ぎたものから見たらうらやましいけど、英語も勉強も、みたいな人たちが、そういう発言をすることがもっと気軽にできるようになったと思ってるけど。

 まあ、前に、子どもにお稽古事とかさせすぎていた人がサークルに入ったらしい時も、率直にお稽古事させすぎじゃないの?とか言ってもらったんじゃなく、けっこうな期間、ボスママの無言の圧力に耐えてはったらしいし、サークルでは、そんなのも、ボスママじゃなく、お稽古事させすぎてた人が悪いように後日談されてたらしいからね。

 そういうとこな、人が集まる人が、必ずしも「ええ人」やと思ってないところ。まあ、でも、そのときは他に選択肢なかったから、正直、そこに洗脳されてれば、有名な英語のサークルのメンバーになれるし、みたいなのがあったと思う。

 その無言の圧力、あの時期に子どもに英語させてた人とかがブログとか書いて発信する側にもあったと思う。っていうか、無言じゃなくて、遠回しに、(一応誰とか直接言わない形で)虐待、言うてたし。

 なんかね、あの人たちが「人やから」っていうの、決して「いいひと」ってわけじゃない、って思うの、前から言ってるけど、教育の仕方が偏ってたり、やりかた間違ってた人に対する態度として、適切ではなかったと思っています。

 教育を熱心に考える人たちの立場に立てるぐらい、教育について考えたり、背景知識を持ってるわけでもないのに、その人たちがしていることを否定していた。

 学校のお勉強より大切なもの、とか言うのが好きな人で、学校の勉強をちゃんとやってなかったひととかに対していいたいんだけど、

 比較対象の片方をしらずに、もう一つを「大なり」って言うのはどうかと思う。

 教育について詳しい人は、今の教育がもっと生活に即したものになっていることを知っているし、生活を改善できるものが教育だと認識していると思う。

 確かに、受験勉強の科目で、そんな知識生活の薬に立たないし、っていうのがあるのはわかる。だから受験制度も見直されてきていると思う。けど、自分の子の受験のときにはその改革は間に合わないし、やむにやまれず受験勉強をさせてて心を痛めている人もいる、ブログだと、受験制度に疑問を持っていることを書くと、身バレブログだったりすると、我が子の受験に不利になるから言えない、っていう人もいるのに。それを虐待だとかいうのは、さぞかし楽しかっただろうなと思う。

 今はね、大阪やったら、公立受験に英検あったら点数保障されるの、みんな知ってるから、普通に馬渕とかで対策授業開講されてるし、うちらのときは、英検受験した、言うだけでキワモノ扱いやったけど、受験考えてる人で、英検とか受けるのも普通になったし、中学の時にTOEFL対策で情報めっちゃ検索してたけど、新試験になったら、4技能のテキストとか、今普通に売られるようになってるし、まだ、いろいろ問題あるけど、普通に学校に通って、話せる英語を身につける高偏差値大学受験者、これからはたくさん出て来ると思うの。

 まあ、私が参考にしていたブログで、本当に読者のためになる情報をくれていたひととか、うちらよりも情報のない時代をなんとかしてはったんだけど、(某カリスマママとか、ホンマの秘訣みたいなのはブログでは書かないで絵本アフィリで我が子の教育費稼いではったけど。他人の教育費を我が子の教育費のために吸収するのうまかったよね。初芝富田林に学費払って子どもを通わせてた人可哀想。めっちゃカモにされてたやん。)先に生まれるって、それだけで損な気がしたりしますね。

 今日は、午前技能実習生の仕事をしていて、午後少し残りました。

 帰って、教案のチェックとかして、必要な写真とか用意して、印刷して。

 って、すぐにスケッチブックに貼らずに置いておいたんだけど、ちょっと写真変えた方がいいかな。

 新幹線の写真と、富士山の写真は見ただけで、新幹線、富士山って言えるけど、パソコンで買い物してるいらすとやのイラストを見せて、「ネットショッピング」を出すのは難しいかもしれないし、教案には残すけど、模擬授業はもっと見てすぐ単語が出せるもの、、ぐらいがいすぐ見てわかるものがいいかもしれない。

 今日はよく寝て、明日教案しっかり頭に入れます。

とりあえずこんな感じです。

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