中田のあっちゃんのこと、自分が悪かったとか思う前に、自分が正しいとまだ思ってるのね。とりあえずあっちゃんについては、次回いろいろ書くそうだから見守ってから言うけど。
基本、言い方やと思うのね。
主婦の仕事は、外注したら相当な高額に相当するのでそれなりの報酬があるべきです。
みたいな言い方だと、受け入れやすいけど、
超高額じゃないとやってられねーよ。
だと、じゃあ、やらないんですか?みたいに思ってしまう。これを「おうち英語」の老舗の皆さんは好感を持って聞けるみたいですが、私はそうではないです。
なんか、私ってこんなに主婦の味方って、好感度上げるの必死、みたいに見えるけど。
まあ、私としては、外注に出せば高いけど、外注の仕事の人なら許されないような、今日はしんどかったから、買ってきたやつチンして、も許されるし、味付け失敗した日も、食べられる範囲だったら食べてもらえるし、調味料なんかの切れ端間違えて入れて遺物混入状態でも「ごめんね」で済んだりしてるから、外注というのに全てなぞらえられるのか、と、疑問には思う。(あ、それは、向こうの方でもあとでつけたしのように書いてるね。でも、なんか、主婦って大変、の書き方がどれだけ完璧な主婦業やってるねん、みたいで押しつけがましい。)
最近はいろんな家族あるから、夫婦でお財布別々とかあるけど、基本、従来型の専業主婦は、旦那の全財産仕切れていたことが多いから、そういう意味では旦那から見たら「超高額」なのではないかと思うけど。
すくなくともあっちゃんは妻の負担を軽減する努力はしてたけど、これからもするけど、完璧はめざさない、というだけなのに。
なんかな、私の周りには、妻を見放して育児費も送らず、シングルマザーになって育児も家事も仕事もフルスペック要求されてる人でも頑張ってるとか多いから、ちょっと違和感覚える。
ダンナに、働いてくれてありがとう、みたいな、感謝が有って、自分の家事とか育児の負担にも感謝される、みたいな相互的なことなんじゃないかなと思う。
前に、外で仕事するほうが楽やねん、みたいな、ダンナの仕事の方は軽視するような発言、前になかったっけ?(って、今回も見たらその趣旨の発言あるわ。復帰したら、って書いてあるけど、要はダンナのような仕事、という意味ですね。)
まあ、どちらが先とかじゃないとは思うけど。ダンナが先に妻の家事育児にありがとうでもいいし。
でも、自分がやってることに感謝されたい、を言い出すときは、先に相手への感謝を伝えてから、自分が評価されたいことを言う方がいいと思う。
そのぐらいのこともわからないのに、子どもへのカウンセラー業してるって、できてますか?
まあ、ひと昔前の男尊女卑的な思想で今も生きてる男子とかけっこういるから、ダンナに感謝しても、感謝が返ってこないこともあるけど、あの論調だと、ダンナの仕事より、主婦の仕事の方がしんどい、をダンナに認めさせよう、に聞こえる。
ダンナだって、自分の尊厳が認められてる状態の方が、家事手伝おうか?が言いやすいと思う。
一応、うちの旦那も、彼の年齢にしては育児に協力的やってん。(まあ、もう現在還暦過ぎてるような年齢のヒトやねんけどね。)私の体調が悪くなったんと、教育費にどれだけお金をかけるかわからないと思ったからとか、あと、姑と同居するときに、姑が住みたい部屋と私たちがそのとき住んでいる部屋がかぶって、姑の意見に負けたという理由で追い出されたけど。
正直、嘱託前の彼の年収で、1000万越えで専業主婦、悪くない立場でした。
でも、超高級だったら、感謝とかなくてもやっていけるってことですか?(まあ、人によっては1000万超えぐらいで超高級言うなと言われそうだけど)
「超高級じゃないとやってられない」、というのは、もしダンナが言われたら、主婦業が大変かどうかを考えるより、自分の所得を馬鹿にされたような気持が強くなって、素直に聞けなくなると思う。
外注にすると高額だから、感謝しなさい、って理屈もどうなんかなって思う。
母親の愛=無償の愛、みたいに言う傾向は私も反論あるんだけど、でも、主婦として生活できて、老後も家族にみてもらえて、ぐらいの、生活できる基盤が保障されたら、感謝するとかされるとか、親子でも夫婦でもお互い様なんじゃないかと。
なんか、すごい一方的に聞こえるのね、あの女王様の意見。
たぶんまだ、いろんなところの受験勉強頑張ってるところとかも、虐待とか思ってるんやろうな。
とりあえずこんな感じです。