「正解」について

スカイプ日本語教師で使う予定の日本語の中級のテキスト、日本語版と中国語版と、あと生徒は中国人の予定だけど、英語版も借りてきました。

常識が、「正解」とは限らないわけね。むしろ、正解ではないのに、不確かな人間の勘で正解とされていることの方が多くて、天動説のように。

たぶん、前の記事で、すし詰めで正解を教えるような受験教育を応援している者だとまた偏見で見られるようになったのかなとかは思うんだけど、そうではない。

前のブログちゃんと読んでいてくれたひとには理解されると思うけど、児童心理に合わせた教材がないかと、常にいろいろ調べて、前の世代の堅苦しい教材は避けて、学習しながらも楽しめるものをできるだけ多く取り入れてきました。

でも、常識が正解なら問題はなくて、むしろ、「正解」ではないのに、まかり通っている常識の方が問題で、それに気づき、たとえば常識になっている誤った健康法とか、効果的とされる学習法とか、その他もろもろのことを、本来あるべき「正しい」やりかたを見つける洞察力とか知識とか学力などが必要なのではないかと思う。

LGBTのことについて書かれているけど、実際、世間に受け入れられるLGBTの有名人などが出ることは喜ばしいことだけれど、それだけだと、受け入れられにくいタイプの人まで社会的立場を上げることは難しくて、やはりジェンダー論とか、学問的に彼らをバックアップする人たちがいたから同性婚が可能な国が出てきたり、法や社会を動かせるようになったのだと思う。

LGBTの人の人権も、大多数の異性愛の人たちと同じなのだというのが「正解」だ。

むしろ、そういう人たちを傷つけつづけたのは、学問のない井戸端のような世間だったことを忘れてはならない。

自己肯定感をもつのはいいが、その根拠が自分よりできていない他者であってはならない。

なんか、いつも、自分を肯定するのに、自分よりできが悪い人たちとか、社会的に避難されている人たち(受験勉強を頑張るなど、一般的に悪者にしやすい人たち)を利用するのはどうかと思う。

LGBTとか、今社会的に見直されているような人たちは、私味方だし、私イイモノだから、みたいにするけど、議論のおこりやすい夫婦の形とか教育の形をとっている人とかに対しては、その人が実際どうしているかを詳しく観察もしないのに非難して、自分がいいものになろうとするし、誤解があったことがわかっても、謝りもしない。

とりあえずこんな感じです。

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