昨日、途中までブログ書いてて、途中で眠くて寝ました。
昨日の記事ここから。
今朝、起きて、仕事に行きたくない気持ちが強かった。
でも、頑張って3時間働いたら3480円。来月末まで頑張ろうと思いました。
で、朝、中国人の人に「次の仕事決まりましたか?」と聞かれ、先週は日本語教師の資格をとるのに集中するつもりで応募もしてなかったから決まってないと、で、次は事務やりたいからゆっくり探すと言いました。
なんか、その話題、チーフに聞こえてたらしく、私が次があると思っていることが面白くないみたいでした。
タバコの注文が入った時、1ミリと8ミリを聞き間違えて、取りに行き直すことになったんだけど、お客は全然怒ってないのに、チーフ舌打ちするし。帰るとき挨拶しても無視するし。
まあ、あとなんとか、逃げ腰で過ごして、もらうもんだけもらうつもりで最後まで行こうと思います。
仕事終わったらハロワに行って、先日見つけた求人の応募。
ハロワで電話で直接話すことはできて、後日面接は受けられる。
郵送で頼まれるよりは期待度が高いんだけど。
で、その職場の場所を確かめるために自転車で出発。
自転車で通えそうだから、もし受かって、自転車で来てもいいはなしになれば、自転車で通いたいなと思いました。
帰って、阪大の英語の勉強をしてから、昨日の日本語教育能力検定試験の解答速報を見る。
筆記は結構良かったんだけど、音声が・・・
試験Ⅰ(筆記) 73/100 試験Ⅱ(音声)13/40 試験Ⅲ(筆記・作文)58/80+作文
という感じ。20点満点の作文が何点着くかわからないけど、マークシートの筆記と音声が合計で144/220
ここまで書いて、合格最低点とか気にして調べていたら眠くなって寝ました。
過去の合格最低点とかと比べて10点ぐらい足りないような・・・
って、ツイッターで他の受験者の成績とか見たら、みんな高得点だし、私も、今回は平均点高そうとか思ってる。(って、私がこんなに筆記で点とれてるんだもんっていう理由で)
で、そのあと識字・日本語のボランティアの講座へ。
大阪の識字・日本語教室の歴史を聞く。
被差別部落の人で、小さいときから学校に行くことができなくて、働かされて、それもちゃんと給料がもらえない職場だったり、苦労の多い生活を送っていて、50を過ぎて親戚から識字教室に行くことを勧められて、はじめて自分が被差別民であることを知って、どうしてちゃんとしたところに就職できなかったのかも知るようになって、文字を覚えて、自分のうけた待遇を、記憶する限り記録していった話とかを聞く。
まあ、自分でも、ブログ書いてて自分の人生整理しているところあるけど、こういうひとたちが字が書けない読めない生活を記録していくことは大切だと思う。
自分の後ろに座っていた人が、ボランティア歴長い人で、少し離れて座っていたのとその人の声が小さかったので、全部正確にはきけなかったけど、420時間養成講座修了者で、外大出で、夜間で教員免許も取って、日本語教室のほか、夜間中学なども担当されて、社会的立場の低い人に教育を与えてきた話をききました。
なんかね、所得が低い、立場の弱い人たちの多くに勉強を教えてて、
「〇〇人天王寺高校に入れたのよ。」
って、嬉しそうに話して。
そやねん。公立の上位校に入るんは、大阪の庶民の夢だ。
貧乏で、着てるものがカッコ悪かったりして、学校で低い立場におかれたりして、イヤなこといっぱい我慢せなアカンかったりすることから考えたら、自分の苦手な科目も勉強せなアカンこととか、ついでやし。
金持ちで、自分の好きなことだけしてればいい人とかから見たら、そういう勉強させてるのとか、虐待とか言うんだろうけど。
そのベテランのボランティアさんはかなりの年配やけど、すごい自分の目指す方向にいるひとやなあと思った。
まあ、そのひとのピークの時代の夜間中学の生徒とかめっちゃ数おったらしくて、仕事としてすさまじいものがあったらしいけど。
ちょっと、今面接は受けれることに決まったところが教育関係だから、受かりたいなと思っているんだけど。自分ちのことだけやったらともかく、他の人に責任を持って携わるのに必要な知識ってあると思う。
じゃあここで、履歴書書くのに集中したくなったからブログを置きます。
とりあえずこんな感じです。



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