なんか、中国語教室のほかの二人がもめてるみたいで。
メールで揉めてるのが、ccで全部私のところにきていて、仲裁するべきか、気づいてないフリをするべきか、悩んでいる。
個人が特定されちゃいけないから詳しくは書けないけど、手っ取り早く言えば、通訳じゃない方の人が、前回テスト成績が悪く、今回良かったので、表彰されました。
そのことを、まあ、通訳の人、良かったですねとかいろいろ言うんだけど、心の中とぐろ巻いてるの、見えてるよ、状態で、通訳じゃない方の人が、また一生懸命言い訳するのが、とぐろを余計に巻かせているような感じになっていて、ドロドロしている。
表彰されたって、前回がテスト慣れしてないひとが撃沈してしまっていたのが、今回対策して対応して、それなりにはできたんだけど、謙遜して、そんなにできてないですって言ってはったんが、表彰されたので実はそれなりにできていたのがバレた、という話で、
まあ、通訳の人、高校時代留学してたから、日本人的な、「できてないよー」が苦手だっていってたのはわかるんだけど、
同時通訳の仕事ができるぐらい、英語ができて、社会的にも認められているのに、なんで普通のなんてことない中国語教室の生徒が、小さな賞をもらったぐらいでそんなやきもちやくんだろう、と思う。
私がHSK4級持ってるって言ったときにも同じようなとぐろを巻かれたんだけど、
ときどきいる、自分は鑑定書のついたようなちゃんとしたアクセサリーを持っているのに、他の人が手作りのやっすいアクセサリーをしていても、それがちょっとキラキラしたら、許せないような態度をとる人。
わからんのよね。自分は、家で問題抱えていて、他の人が、日常会話として、平和にくらす家庭の話をしているのが羨ましくても、いちいち突っかかっていたらキリないってあきらめたり、同様に、自分の家ではとても買えないようなものを、他の人が日用品として持っているのをあたりまえのようにしていたから、その人自身がそれなりにいい立場にいるのに、っていうかそれなりにいい立場にいるからかもしれない、自分より格下だと思ったひとが、なんかちょっと取り柄みたいなものを持つことが許せないんじゃないかと思えるようなときが。
基本、私は、相手がなにか十分な取り柄とか、いい立場にいると思ったときだけしか、リアルの世界では大学に行ったこととか、哲学とかドイツ語をやっていたことは言わない。それは、ある程度実力がある人に、自分を認めてもらえるかも、と思うせいでもあると思う。
それでも、あるんやね、私は見た目が格下キャラやから、お前なんか取り柄持つな的な対応うけることが。
たぶん、自分より社会的立場の上そうな人が、取り柄とか持っていたら、そういう人はその人に対して絶賛していることが多いと思う。
人と自分を比較して常に上でありたいと思うのとか中国語で「攀比」っていうんだけど。
自分がコピーして渡した絵本で攀比的孩子っていうのがあって、他の人にいつも勝りたいと思うのはやめましょうとかいう話がのっていて、通訳の人、読んでくれなかったの、読んでくれたらいいのになあとは思う。
まあね、その負けん気があるから、同時通訳なんて仕事につけるぐらい頑張れたのかもしれないけど。
ちょっと今回の見てて、今回HSK4級の話は、通訳の人も、受けたら受かると思いますよ、と言ったのが、嫌味ではなく、本音の話で、通訳の人にもそれを信じてもらえたから収まっているような感じで、私がやっぱり格下だったからOK的な感覚はぬぐえない。
なんどか、あるからね、格下のうちは仲良くしてくれてたけど、そうじゃなくなったら、いなくなる人。
外大の夜間の社会人での友達になれた人も、他の人はみんな親のお金で留学できたりとかしてて、できない私はつきあってあげるわ、的なポジションやったんやけど、卒業してしばらくして、私が結婚決めた報告したら、そのグループからハブられましたからね。(他の人、今年の分はしらないけど、最後に私が見た卒業生の会員名簿では連絡先のわからない人たちになっていますから。たぶん結婚していたり、どこかに学籍おいてたり、講師とかしてたり、就職してたりとかしたら、絶対登録してそうな人たちだったんですが)
まあ、ホンマに、昔から逆境にいてがんばってきたけど、逆境にいたときも応援されてなかったし、逆境から抜け出ても歓迎はされなかった歴史が長いのですが。
通訳の人、日本語教師は応援してくれているみたいだから、そこはなんか競争相手じゃないんだろうなと思いますが。
競争しようとか、自分の持ってないものを人がもっているとか、できないことできるとか、羨ましい気持ちは持つことあるけど、嫉妬みたいなのを感じるほどには、人生のかなり早い段階でなっているので、そういう気持ちをまだ持っていられるという、ある意味、恵まれた環境で育ってきたのかなと推測されるような人生は、正直羨ましい。(って、だからそのひとになにか、それをやめさせようとか、思い知らせようとかはないんだけど)
ただ、自分の気持ちの整理はつかない。
自分が、もっと他の人が持てるようなものを、普通にもっていたら、どんな性格してたかなとか思う。
普通の人が持っている物は、自分が持てないことが多いから、自分の持っているお金、能力で手に入れられるものは、他の人が持っていないものがいいと思うようになった。(たとえそれが、他の人が欲しいとすら思わないものであっても。ただ、その場合でも、誰も持ちたいと思わないようなものを、それイイかも、に変える人間に自分はなりたいと思うようにもなって。)
そもそも、人にそんなとぐろ巻かれるような対応を受けたくて検定とかとったんじゃなく、役に立つなにかがしたくて、褒められたくてやったのだから、そういう対応を受けると、やる気をなくすほうで。
まあだから、トップクラスにいる人たちとか、そういう意味での人からの攻撃的な態度に打ち勝つ能力とかあるんだろうけど。
私が幼いころ、人よりややできるぐらいの子だったのに、学のない母にとってはそれがすごく優秀に見えたから、他の親御さんの前で私を自慢しまくって、ただでさえ孤立した家だったのに、数少ない味方の家の親御さんまで私の敵にしてくれて、(まあたぶん、ピアノ教師として見栄を張る材料がなくて、他の人が高額商品を自慢するのに対し、うちの子はできますからと言って張り合っていたのだろうと思われるけど)
子どもの時はね、できる子だなんてよばれたいと思わなかった。ただ、普通に仲間になって遊びたかっただけなのに。
大きくなるにつれて、危険な状態にある家だから人が近づかないんだとわかって、なにか自分を保障してくれるような力を求めるようになって、いまもそのままだけど。
あとやっぱり、自分が気になる話題を、理解してくれる程度の話し相手は欲しいから、自分程度の話し相手は確保したいとは思う。
実際、今もトップレベルなんて求めてなくて、この平和ボケした国で、平均的な所得があって、衣食住が安全で、少しの余裕があって、それをかつての自分のような困った人たちの訳にたつようなことができればいいと思っているぐらいなのに。(金持ちとか、余裕のあるひとたちとか、かつての自分のような危機的状態にあった人とか差別する人多いし、自分がそうだったことがわかると冷たい目で見る人もいるし、そんなに頑張って仲間入りしたいわけでもなくて、って、それでも、教養のあるお金持ちって、困った境遇の人にもジェントルであろうという勝手な期待は持ってるけど。)
人の幸せのことを、自分がいい人だと思われたいから喜んであげるテイをするっていうのは、ちょっと見てて気持ちがわるくて、すなおに攻撃的にならないようにヤキモチをやいていることを相手に言った方がきっと平和なんだろうなと思う。
まあ、私は普段、自分の持たないものを持てる人とかにそうしていて、相手は私がかつては自分の欲しいもので持てないものを持っている人に嫉妬とかしてたこととか知らないので、精神的に幼稚で、人のもっているものに、単純に「いいねえ」とか言う思考力の無い人だと思われがちなんだけど。(前も書いたことあるけど、私が持っていないことを強調して、自分は持っていることを言われたら、敵意は感じますけどね)
まあ、考えてたら遅くなっちゃった。
たぶん、私も日本人なんだろうね、謙遜して、そんなにできません、って言ってるのに、欧米的に「そうですね」って返事がくると、カチンとはきてるんだろうと思う。
とりあえずこんな感じです。
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