長かった

最近、Noneが話しかけてくれることが多い。最近のブログでも書いているけど、ここにきて、私が今までNoneを育てるのにしてきた教育が、私なりの考えでやってきたことが、理解されてきているんだと思う。

神戸大学のオープンキャンパスに行ったとき、神戸大学の国際人間科学部の学生と附属の住吉小学校の生徒でやっている新しい教育の取り組みの話とか聞いて、私がNoneを附属住吉のお受験をさせたことが、決して私の思い付きとか見栄とかそういうのではなくて、いい教育を受けさせたいんだと思っていたこと、None自身も、自分がそういう教育を受けることができてたら、それもよかったかもしれないと思うところがあったんだと思う。

小学校受験の時、私は受験用のプリントを見て、幼児の発達にいいものでもあると思ってやっていたけど(巧緻性とか、靴を自分で結べるかとか、勉強以外の訓練もあったので、勉強にいいと限定的には言わないけど)そりゃもうそのときは、近所から親戚から、虐待でもしているみたいに言われたし、None本人も、周りのそういう態度を見て、「自分は可哀そうなんや」と思うようになったところがあるので、

自分自身が、阪大っていう大学があることは知っていた、難しい試験を解けないとその大学に行けないのは知っていた、当時はもう人間科学部とかあったのに、教育レベルの低い家であるわが家とか、社会的に孤立した家庭だったり、レベルの低い高校に行ってしまったこととか、親戚とかもそんなに高い教育を受けた人とかいなくて、大学と言えば法学部とか経済学部とか、英文科とか、就職に直結しそうな「勉強」をしに行くところだと思っていた。

社会人で外大に行って、ドイツ語では大学で学問をする”studieren”と一般的な勉強をさす”lernen”はしっかり区別される(ほかの欧米言語ではどうか知らないけど)

人間科学部なんてものがあって、学問とはこういうもので、その前提として要求される知識として高校の科目があったのだとしたら、受験勉強があったのだとしたら、それをもしわかっていたら自分はもっと頑張れたんじゃないかと思ったりしたものだ。

って、私の場合、高校2年まで父親が生きていて、父が生きていたらまともに就職とかできないだろうと言われていたから、その後から受験勉強して間に合ったとも思えないんだけど。(時代は共通一次という)

自分の人生やりなおせるとしたらとか言うと、もう働いてる父親と、せめて義務教育レベルの国語能力のある母親が欲しい(義務教育は受けてたけど、中学で音楽高校受験のために中学時代音楽しかちゃんとしてない状態で卒業していて、そのあと附属の音楽大学行ったから、国語とか算数とか小学生レベルからちゃんとできない)とかいう、もう、そこまで行くと生まれたことから否定することになるから、どこから直したらいいとかないんだけど、

でも、もし自分が、その当時で最適な教育を受けれたら、どんな人生だっただろうとは、よく考えさせられる。

Noneは、ある程度いろんな学部が大学にはあることまで紹介できた。今の時点でカウンセラーとか興味あるとかいうから、その方面に関連ありそうな学部のある大学は紹介した。

同じような名前をつけた学部でも、大学によって違うから、オープンキャンパス見るようにも言って、去年は国公立で付き合ったし、今年も、行ければ私立のやつにつき合うつもりだ。

実はやりたいことはカウンセラーよりもいいものをあとで見つけたとか、この学部がもっと楽しそうだったとか、あとで見つけたとしても、それは知らん。調べりゃ出て来る、ということを見せたんだから、そのあと自分で見つけんかったことは知らん。

ただ、思う、小学校受験の時、周囲がもっと理解あって、住吉に入れて(まあ、年長さんで住吉が1年だけ小中高一環になると聞いての参戦だったから、生まれたときから住吉しか考えてなくてみたいなお宅にそうそう適うもんでもないんだけど)小中高、生徒が企画する授業が受けられていたらとかは、ちょっと思う。

たぶん、やっぱり残念でも、近所とかがいらんこと言わんかったら親子関係はもっと良かっただろうし、

まあ、流れで塾行くようになって(Noneは塾には積極的ではなかったけど、当時の類塾が、クラス名に「文理」の名前をつけてて、そこには入れればエスカレーター式に文理学科のある高校に行けそうな気になりそうな幻覚をNoneに見せた気はする。)

一回目の公テで、理科が類塾2位で、ほかの科目もそう悪くなくて、「行けるんちゃう?」みたいになって、

結局、塾で一番役に立ったのは、塾の先生とのコミュニケーションやったかなあと思う。勉強についてだけ言えば、できる科目は習わなくてもできただろうし、できない科目は習っていてもできなかったみたいだし。

大人を観察する力は、たぶん私がつけた。私自身を見て、また、そういう視点を持つための映画とかを積極的に見せたと思う。

Noneが自分の高校の、「この先生こんな人やねん。」という話を私に嬉しそうに話す。

ああ、それを阪大人科の先生や同級生についてもやれればもっといいんだけど、

生まれたあと、乳児にいいという原色の、あと齧っても大丈夫な顔料の、丸とか四角とか、知育にいいと思われる形のパズルとか、知育に関しては必死だった、

自分が教育を受けれていたら、そういう思いから、自分の思い付きでない、どのぐらいの状態の子は何を覚えるとか、調べまくりながら教えていって、

ああ、そもそも、自分が社会人で学問をつづけるより、十分な教育を受けれる子をひとり産もうと思って結婚したんだし。

幼児は、レベル的に解けてあたりまえのプリントにはなまるを書いてもらってシールを張ってもらうだけでめっちゃ喜ぶ。自分がフランチャイズの教室でやっていたことだけど、小学生より未就学児の喜び方は親の私が驚くほどだった。

たぶん、周囲が、あんな小さな子にプリントをさせてとか言わなければ、それは遊戯の延長としてNoneは受け止めていただろうノニ。

まあ、それでも、Noneに運がなければ、私立の大学で、小さいときから遊び放題で、ゲームとかばっかりしていて、専願で入った私立高校から推薦で大学行った子と同じ大学とかになって、「あんなに勉強したのに」「お金をかけたのに」と言われる結果になるんだろうけど。

Noneは産んでよかったと思っている、でも、あのとき、自分が学問をあきらめるんではなくて、続けていて、低所得とかでも子どもを産んで、そんなに教育に力を入れない育て方のほうが正しかったんだろうかと思わされることになるのかと思う。

なんか、でも、いややったもん、親がさせるプリントがどんなんか一度も見たことないくせに、プリントやらせてたら全部子どもを虐待かなんかをしているみたいに言う人らが。

ラクやよな、その人が与えている教育の内容とか調べないで印刷物でまとめるのは。

すごい長い時間かかったし、某高も行けてたからよかったんやろうけど、(まあね、教育レベルとしたら、帝塚山英数でも良かったんかもしれへんけど、遠いし、別学やし、公立のノリとかはそこでは味わえないんやし)

前のブログとかでめちゃくちゃ言われたこともあるしな。ギリギリで某高とかはいれても、ついていけないで、格下の私立に転校で、男つくって妊娠するとか書いた人とかもおったな。

高校も大学も国公立しか行けるお金がないから必死やねん、っていう家の学習記録を見て、そこまで人の不幸を予測する暴言吐くほうの心理とかわからん。

まあね、助けてと言わんかったら、自分で立ち上がるチャンスが残されるけど、助けてと言ったら、袖に手が届かないように、井戸の底みたいなところに突き落とされるもんやってのは知ってる。(また、そういうのを言ってると、世の中斜めから見てるとかも言われることも知ってる。)

Noneにどうしてこの教育をしてるのかを理解してもらえるまでは長かったし、大学がアウトだったら、つかの間の理解されてる時期なのかもしれないけど。

うわあ、こんな時間やん、寝な。

結論ないけど、せめてもっと教育熱心な土地に住めていたらちょっとは違っていたのかしらと思わなくもないです。

長かったし、孤独やったと思う。(まあ、おまえみたいなやつ、孤独であたりまえやろとか思われてそうだけど)

とりあえずこんな感じです。

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