社会運動について思うこと。

ほんとうに、今、衣替えの大量のクリーニングを一人で運んだり、タグ付けしていたりすると、

の、ジャンバルジャンが牢獄にいるときの歌、

を「ルックダーウン、ルックダーウン♪」とか歌いながら(決して楽しいわけではないが、気は紛れる)口ずさみながら仕事してたんだけど、

それで、いっぱいいっぱいなりながら働いてたのに、帰ってからSNSで仕事の人から文句ばっかり流れてきたので、めっちゃキレてたんだけど、

昨日は、そこそこ仕事もしながら、読書もできて、気をなおしかけていたんだけど。

ただ、読者が3倍ぐらいになれば、ちょっとリッチな生活ができそうで、魅力的なコンテンツ書くつもりでいっぱいになって帰ったんだけど。(でもって、さっき書いたけど、書いたのがフレッツテレビでBS見れて放送大学とかディーライフ見れるとかの話という・・・いや、その情報需要あるか?みたいな。実際朝になってApple TVで見れるユーチューブのスカイニュースのライブで十分だし。)

を、パート1読み終えることができました。

章ごとに、書く人が変わっていて、最初の、大学で院に言ったら、文系の院卒に就職の機会はすくなくて、塾や家庭教師のバイトの収入で暮らして、非常勤講師とか授業以外に必要な時間とか、必要な文献を用意するお金とか考えたら、お給料とかすごく安くて、ご飯朝2合炊いたのでレトルトとかで食べていた人の話なんだけど。

で、彼の周りは同じような高学歴ワープアばっかりだったという。

大学の時、比較的優位な立場にいて、社会に出るとどん底で、社会運動をしていた人の気持ちがわかったという。

いちばん共感ができたのが、そういう貧困暮らしをしていたときに、ビジネス街の食堂の看板、
「ランチ880円。」
に怒りが沸いたという話で、

平均所得の人に無理のない金額に自分が手が届かないことに怒りがわくという。

自分にも覚えがある。最低賃金が今ほどではなく、1日4時間ほど働いて社会人学生だったとき、自分の職場の近くの食堂のランチが時給以上の金額で、自分の労働の価値ってなんなんだと思ったという。
(結局、私は昼休みの必要な仕事をしていたときは、薬局でダイエットビスケットとか値引きで買ったものを食べて過ごしていたことが多いんだけど)

で、あとでどこの大学出た人だろうと、執筆者の紹介読んだら。

京大教育学部だってさ。

ちょっと学問が面白くて、院まで行ってしまったら、社会から落伍してしまうという、ちょっと恐ろしい話だなと。(著者の生まれ年から考えて、まだ不景気に入る前の人だと思う。院まで行く人がそんなにいなかった時期のような。周りに同じような人が多かったというから、この著者一人の問題ではないと考えてます。だいぶ後の話で就職氷河期の話ですが、私が社会人大学生をしていたとき、先の見えないオーバードクターはめちゃくちゃいました。だから、私が学問諦めて、普通にデータ入力の派遣の仕事に就いたときは裏切り者扱い受けましたし、結婚したとなると音沙汰なくなるんですが。大阪に来て、仕事をみつけてあるていど安定したときに、外大の咲耶会の会員名簿買ったら、連絡先の分かるように名簿に残っている人もいなかったんですが。私自身は、自分が学問続けるより、学問をするチャンスを最大限に活かした教育を我が子にしたいと思っての路線変更だったのですが。)

パート1読んでたら、デモとかビラ配りに肯定的な社会運動の考え方の人が多くて、ちょっと考える。

実際、私が共産主義の友人と袂をわかったのも、私がデモとかビラ配りに批判的だったのと、(まあ、あんまり無批判にマルクス称賛するので、宗教みたいと言ったこともありますが。)逆に彼女の方が、労働者の味方であろう共産主義者なのに、家庭教師などにつける時間帯が実験でバイトに出れなくて、早朝しか空いてないと私に相談したから、「コンビニは?」って聞いたら、「そんな脳みそに筋肉がつきそうな仕事はしたくない。」とこき下ろされたので(そんならワシ、めっちゃ脳みそマッチョやがな、みたいな)それ以上連絡をすることがなくなったのですが。

彼女が言うには、社会問題に無関心な層にうったえるには、デモやビラ配りやシュプレヒコールだという。

このパート1に書いてある、先日「もし何も学ぼうとしなければ、さまざまな人が無知につけこんでくる。」と書いた人は、現在セクト活動とかをして、それを自撮りして動画に上げているような、運動のための運動は批判しているんだけど、いかんせん学生運動の時代のひとなので、デモやビラ配りなどの運動に肯定的な愛着のようなものを感じている気はする。

でも、こういう、左の道を開拓してきた人たちを理解できないと先に進めないのかしら。

まあ、たぶんこの本法政大学の社会学部の講座のテキストなんだろうけど。(なんか、この本によれば、法政大学って学費が安くて、庶民の大学らしいけど。編者の田中優子さんによると、1960年とかそのへんは大学は就職するために行くところではなくて、学問をする価値があると思って行くところで、金持ちの行くところというわけではなくて、東大と法政大学が庶民の大学だったそうな。)

まあ、今日も午後は明日の中国語教室の予習だけしたら、図書館で借りた他の本の読書ですごしていようと思います。

そちらのほうが、これからの左翼系の人たちがとるべき行動の指標があるような。

べつに、私、右と左にわけて考えるの好きじゃないんだけど、福祉を充実した社会を目指すという意味では左翼だろうなと思って。

Noneは身バレ防止がしたいので詳細言えませんが、実際、かなり行動に出ています。Noneとしては、受験勉強で勝者になるより、こういう活動で評価される進路と就職を目指したいと言っています。

まあ、子どもの頃から見てて、受験勉強ではそう伸びそうな子じゃないのは知っているから、なにも言わないで自分の将来のためになりそうな道を探し始めたことを陰ながら応援していこうと思います。

あと、今日午後、容量の大きい古いパソコンの方で、大阪市立図書館の電子書籍の英語テキストをダウンロードして、タブレットで見れるようにしようと思います。

おそらく今日、駿台模試の結果を持って帰るので、それでもそれなりの心理学部のある大学に行ける成績であってほしいと願うのですが。

とりあえずこんな感じです。

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