今日、一寸早く午前の仕事に着いたら、今朝工場にたつ技能実習生がいて
オンラインで少し日本語の発音をみたりしたんだけど、
オンラインで見ても、肌とか目とか見て、あ、アタマええタイプや、血の巡りとか、頭の回転とか速いタイプや、思て。
ホテル滞在終わったあとは、他の人が担当して、話さなかったんだけど、
きのう、N3の摸試の試試験監督して、試験後本人は「自信ない」言うてて
今日聞いたら合格圏内の点数だったらしくて
日本語勉強してたの、本当に一年ぐらいらしくて(たぶんそのうちの半年は技能実習生が自国内で受ける研修だし。)
で、彼に何の仕事をするのか聞いたら、
「溶接です。」
溶接の仕事をバカにしちゃいけない。でも彼はもっと学業を使った仕事のほうが向いているし、たぶん彼もそんな仕事の方が好きであろうタイプだと思った
私がそう思っているたろうということもたぶん気づきながら、私に諦めたような笑顔を浮かべて「先生もお体をお大事に」と言って工場に行った
彼が、家族の借金を返すためとかではなく、日本にいる間の収入をためることができて、自国で自分の会社を立ち上げたりできることをひたすら祈る。
外大にいたころ、ドイツ語の先生には、東ドイツに関心のある、共産党系の先生が少なからずいて、
そのときに、ユダヤ人のキブツについて、ちょっと偏った説明を受け
キブツは、どんな親を持つかとかで生じる不平等をなくすために、どの子も平等に教育が受けられるように作った機関だ、と、説明した人がいて(今、ユダヤ人のユーチューブなどを聞くと、そうではない説明をするのだけど)
そのとき、若かった私は、平等に教育を受けられて、本人の素質でいい暮らしができるかどうかが決まればいいのに、と、思った。
年を経て、平凡な能力しかないけど、親に資産などがあり、よい教育を受けて十分な職能をつけられる子ども、と、教育さえ受けられれば有能な人物になれるのに、教育の機会がない子ども、と
どちらが優先的に幸せになるべきですか?なんて問いに、答えなんかない、ということに気づいて。
前に、不幸に順位なんかない、って書いたことあるけど、それは幸せに対してもそうじゃないかと思うようになって
ある共産主義の先生がね、直接聞いたわけではないけど、伝聞で、「共産主義を壊したのは、ヨーグルトが選びたかったような人間だ。」って言ったらしくて
そのときは、ヨーグルトを選べることにそんな価値がないように思えて、そんなことのために革命を起こした人だなんて、ひどく言ったものだ、と思ったけど
そのとき思ったより、ヨーグルトを選べるってことは、重要なんではないかと、思うようになって
消費者がヨーグルトを選ぶから、免疫を高めるようなヨーグルトや、成人病対策ができるヨーグルト、ダイエットができるヨーグルトなんかが出てくる
で、そこで改めて考える
ぴったり同じ値段でなくていい、120円前後で、ふつうに味がおいしいヨーグルト、免疫を高めるヨーグルト、成人病予防ができるヨーグルト、ダイエットができるヨーグルト、美容にいいヨーグルト、500グラムぐらい、単に量がたくさん入っているヨーグルト、があるとする
どれを買う人が一番幸せですか?みたいな。
10万円ぐらいする高級なヨーグルトが作れるとして、120円ぐらいで買えるヨーグルトとそんな桁違いのヨーグルト作れますか?みたいな。
前も書いたけど、お金があるかないかで食べれるか食べられないかが決まる、車やエアコンや冷蔵庫があるかないか、生活の質が格段に違う、みたいなときは所得格差っていうのは、もっと意味があったかもしれない
かつてあった共産主義の国がやったような、平等であるには、みんな同じヨーグルトを食べないといけない、というのが、その国の人を幸せにしなかったのではないかと
まあ、学校で、ある人は算数が得意で80点、国語は平均点で60点、英語は不得意で40点、みたいな人がいたとする
それと同じように、食べ物にはお金をかけるけど、着るものは平均的でいい、スポーツとかは、テレビでもあんまり見ないし、自分の健康維持する最低限でいい、みたいな状況に、選べたらいいんじゃないか、普通の人が、普通の収入で、自分らしく生活をカスタマイズできるようにならないか、みたいに思う。
なんか、偏差値なんぼ以上の大学からしか、まず安定した企業の求人が来ない、来てもすごい倍率だ、その中に入れるのと入れないのとで、また生活水準が雲泥のように変わる、みたいなのが、納得できなくて
前に、マクドナルドが、ハンバーガーの値段が1円違ったら、日本国民1億人が食べるから、もうけが1億円違ってくる、みたいな話をテレビでしていて
そういう大企業が億単位で儲けるためには、1円の金額に左右されるレベルの所得の人が億単位いないといけない、ということで
貧乏人は政治から見放されているけど、その数を減らしてはいけなくて、少子化対策、とか言ってて
富裕層の肥やしのような低所得者の数を維持する社会が続いていると思って
授業料無料とかいうけど、教育費を出せる人からは取って、授業の質を上げるほうに力を注がなくてはいけないのに、と、思う。
実質、午前の仕事で一緒だったバイトの留学生から、コンビニのバイトに、高校生が普通入れない時間帯でバイトしている、っていう話を聞いて
授業料無料やから、在籍させていれば府や市からお金が出るので、ちゃんと授業受けてなくても放置してるんや、と、思った
貧困対策をしてないと、高校にだけ在籍して、勉強せずに卒業する高校生とか、あと、それが大学とかになっても、公的なお金をアテにするだけの、中身のない学校とか増える気がする。
まあ、大学は、自分で勉強する人とかいるけどね。
今朝の彼は、たぶん勉強とか好きで、その道にすすんだほうがいいのに、と思うタイプだった。
その賢い彼が、ほかの何でもなく、技能実習生を選んだのは、彼なりの計算があるんだろうと思う。
いろいろ言われる技能実習生制度で、問題もいろいろあるけど、
自分が人が避ける仕事を通して、少しづつ這い上がったタイプなので、もし技能時修正制度が、もっと待遇のよい制度になったら、そんなに困ってない人も応募してしまって、そういう人で十分足りてしまって、本当に困っていたタイプの人にまで垂れ下がっていた蜘蛛の糸が、そこまで届かなくなるかもしれない、は、なんの根拠もなく直感的に思ってしまう。
まあ、本当に困っている人にまで届く福祉を考えるほうがいいのはわかっているけど。
やっぱり、日本にいて、被差別的な立場にいる/いたことが明らかな人たちは助けられるけど、隙間挟まって出てこられなくなってる人っているからね。
って、勉強するつもりやってん、今から少しします。
とりあえずこんな感じです。



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