夜中、眼が覚めて、いろんなこと走馬灯で。
昔、この人、自分より格下だ、と、思った人を、その人が努力とかして、立場を上げてきたときに、同等に扱ったり、努力に見合った待遇をしたりすることは難しくて、ずっと格下扱いしたいものなのかな、と、思った体験の話をしようと思ったら、自分の、普段思い出さなかった過去が思い出されて、書き留めるかどうかもかなりなやんだんだけど、書いておこうと思った。
まあ、まず、前に書いていたNoneの高校受験記録の方のブログを書いていたときに私を雇っていた社長だけど、
まあ、頼る当ての少ない「ほぼシングルマザー」だから、もう使用人扱いで、いろいろ特技あるよ、ってアピールするんだけど、5年間いて、ああ、この人のところで努力して、仕事できるよって活躍してたとしても、私をランクアップとかしてくれないんだ、って実感する出来事があって、
やめるとき、実は自分より先に、一緒に勤めていた爺ちゃんも辞表出してて、お互い、社長がロータリークラブ入ってからの横暴ぶりに耐えられなくなったところあったみたいなんだけど、
まあ、それは前置きで、
自分、初めて友達できたの、小学校5年生のときやねん。
それまで人と遊んだことがないわけじゃないけど、母がママ友作って遊ぶようになった子は、以下の点で友達と呼べない状態で
①他の子が、家庭用住宅地が集まっているところに住んでいて、しょっちゅう一緒に遊んでいたのに対し、自分だけ、本当は単身世帯の住宅に、無理矢理家族で住んでいたから、ときどき遊べるようになったときに、彼らの共通の話題に入れる状態じゃなかった。
②母が、「うちの子天才で。」みたいに私のことを自慢するので、ママ友の人からも、その子からも、アウェイ状態だった。(前も書いたけど、無理して上流階級気取りたがる人たちの集団だったから、安くでピアノが教えられる母が仲間に入れてもらえていただけで、子ども同士で仲良かったわけじゃなかった)
あと、単身世帯住宅地でも、他に子どもがいる家があったんだけど、その子たちは保育園に行っていて、十分友達がいたので、日曜日(同時は週休二日制ではなかった)は、彼(彼女)らは家族と過ごしたがって、めったに遊んでくれなかった。
幼稚園は、今で言う年長の1年しかなくて、4月の弟の出産で、5月まで母の実家で暮らしていたので、後から入園したら、友達とか出来上がっていて、それまでも子ども同士めったに遊んだことのない私は、うまくそこから友達がつくれなかった。
小1~4は、前にも書いたけど、隣の席の「ちょっと遅れた子」の世話を見る係だったので、なんか、普通の友達作るの失敗していた。
っていうか、3~4年ぐらいから、それまでも問題多かった我が家が、めちゃくちゃになっていって、しょっちゅう殴り合い喚き合い(合いって書いてるけど、ほぼ殴ってるのも喚いていたのも父なんだが)で、なんか、そのへんから私、現実逃避するようになって、架空の「暖かい家族」とか、「仲の良い友達」とかと、アタマん中で話すようになってしまって、その辺から現実と空想の区別ついてない子になるんだけど。
で、4年生のときに、母が実家に帰って。
一度、家の外に、同級生の子がひとり歩いていたから、自分の家、今、誰も居ないから遊ぼうよ、って言ったら、来てくれて、「誰もいないと気をつかわなくていいね。」とか、良い感じで言ってくれたから、友達になれたんだと思って
数日後、学校で作文をかくように言われたとき、うれしくて「友達ができた。」ってことを書いて、その子の名前も作文に書いて、
それ、その子に見られて、「嫌~、友達って思うのやめて。」って言われてショックを受けて。
それっきり、自分からの友達作りはやめるんだけど。
小学校5年の時、校舎の外で画板を使って風景画を描く授業があって、
絵を描いていたら、隣に、同級生が座って、一緒に話をしながら書いていて。
皮膚病があって、肥満していて、正直、陰キャな子だったんだけど、(その子は、お母さんにメンタル面の問題とか、栄養とか衛生の知識にかなり問題があったので、そのせいで太ってしまったり、皮膚が病んだりしていたのではないかと思われるんだけど、その子自身はすごくいい子で)
その子が、絵を描いて話しながら、すごく勇気を振り絞ったみたいな感じで、
「私たち、友達になれるよね?」
みたいに言ってくれて、たぶん、生まれて初めて、人から友達だと言ってもらえた記憶なんだけど。
ってまあ、そのあと、小3、4のとき、私と同じクラスだった子も仲間に入って、クラスの陰キャ3人グループになるんだけど、
まあ、今回語りたいのは、その、後から来た1人の話で(間の話長いし重いな)
その1人は、すごくいつも、高いもの買っている裕福な家の子だと思っていたんだけど。
VHSビデオの、何も入ってない生のビデオが当時の物価で1000円した時代、目の前でそれを何本も買っていたのを覚えている、レンタルビデオもない時代で、ビデオを買っても、映画とかのコンテンツものがあったのかどうかも知らないけど、ビデオを買っていて
あと、カセットテープ付きのテレビとかも買ってたな。
(当時ね、ドラえもんとか、面白いテレビとか保存したくても方法がなくて、「カセットテープに今から録音するから、喋ったらダメだよ。」みたいに言って、家族全員黙ってテレビの音声録音していた時代があったんだけど、まあ、それが、雑音入らずに録音できるテレビで)
まあ、そんな家があるから、それがもっと便利になって、安くなって、庶民が買えるようになるんだ、と思って、私は逆に、お金を持ったら、そうなれるようにならなければならない、みたいに、肯定的にとらえていたんだけど。
実際、中学の時は、友達は共産党の子ひとりと、あと、若干数名グループになって弁当食べる子ぐらいしか付き合いなくて、
高校になると、告白されて彼氏ができるんだけど、前も言ったけど、私が合った虐待の話とか信じて無くて、上に書いたように、現実と空想が若干区別できてない状態だったし、可哀想に思ってもらいたくて、誇張もしていたので、信じてもらえなかったのは仕方ないかと思うんだけど、そんな女と6年付き合っているという状態の方が怖くて、「付き合ってくれているけど、愛情じゃない。」を実感して(まあ、前も書いたけど、今住んでいる祖父の買った家とかが目当てだったのかな、みたいに思うようになって)
そっからすごい正直者になるんだけど
たぶん、小学校の時、最初に足し算でつまづいた子が、そのあと引き算とかかけ算とか割り算とか、わからないのに学年だけ上がっていって、大人になったときに、全然計算できない人になるとかよくあるけど、
わたし、たぶん、それの人間関係バージョンだよな、って思う。
普通の人が、人間関係の中でここ、普通こうするやろ、を、ほぼ知らないから。
まあ、最初の彼氏が、ある程度人間関係の築き方は教えてくれたんだけど、その意味で、彼と知り合った同じクラブのメンバーからは、「彼がじょあんなの「お父さん」だよね。」って言われてたんだけど。
でも、彼が教えてくれたことのほとんどは、「人間を信じるな。」みたいな内容のものと、ひとに悪く思われないためのマナーみたいなものばかりで、
50歳になった今、それなりの人間を見たり聞いたりして、未だに、あんなに心の底から他人のこと信じてない人を、他に知らない。
まあね、主に当時の恵美須町(電化製品の町だったときの日本橋)で、どれだけものを安く買うか、とか、そういうの、そのとき教えられるんだけど。
就職して、まあ、また事情長くなるから省略するけど、その彼氏と別れて、収入も入るようになったし、新しい人間関係が広がるかと思ったんだけど、
前も書いたように、昔の自分のような、困った人、バブルの時だから貧乏な人も、バカにできるようなタイプであることを求められる人間関係が多くて、
入れない。
高校の時からやってるけど、ドイツ語学習とか、その時期にエスカレートして、ほぼ空いてる時間全部ドイツ語の勉強してて、ドイツの大学タダかあ、学費ないなら、生活費ある程度稼いで、現地でも少し働いたら、大学行けるんじゃないかと思った。
ゲーテで、ドイツは移民に優しいと聞いた。日本に住んでて、日本のことを何も知らないのを、教えてくださいと言って教えてくれる人はいないけど、ドイツに行って、ドイツのことあんまり知らないです教えてください、は、教えてもらえるかもしれない、と思った。
まあ、そうするうちに、結婚する前に6年ほど付き合うことになる彼氏に会うんだけど
話題になる人気のあるテレビとか、人とのコミュニケーションの取り方を覚えられるような番組を、一緒にたくさん見ることになる。
大阪弁も、人とする無難な話題の仕方も、その時期に覚える。
言うて、夜間大学行き始めて、ドイツ語とか、哲学とかやってたら、「そんなモン、何の役に立つねん。」って、めっちゃキレて怒られたりもしたけど。(私自信も、「確かに何の役にも立ちそうにないですね。」って思っていたから、言われてしょうがないと思っていたけど)
6年目で、私が、大学を出て、自分の子どもに高い教育を受けさせられるようになりたいと思ったのに、彼は、自分たちの収入では、子どもを産まないで居よう、っていう意見になって、そこで別れることになって、で、そこから出会いとか探そうと思ったら、相手が実は妻子持ちなのを隠している、とかの事態になりそうだったので、結婚相談所に行って、主人と結婚しての現在があるんだけど、
で、めっちゃ話飛んでしもたわ
結婚して、普通に生活できる、っていうか、若干ゆとりがある、みたいになったとき、小学校の時のもう一人の友達なんだけど、
それまで、ずっと、一緒にレストランとかで食事をするとき、私はその店で一番安いもの、もしくは、それ、普通単品だけで頼まないだろう、みたいな安いもので済ませる人で、友達は普通にその店の代表メニューらしいAランチとかBランチとかから選んでいて、それを不思議に思ったことはないんだけど、
結婚して、お金がある程度使えるようになって、
友達がAランチを頼む、さすがに、それより高いランチを頼んだら、なんか、追い抜こうとしているみたいに見えるから、同じAランチを頼んでみる。
そしたら、友達が、Aランチより30円高いBランチに注文を変える。
以降、どんなに試しても、彼女は私より数十円高いものを買う。
っていうか、もう、絶対私に先に注文させて、それより若干高いものを頼む。
ホンマに友達やったんかな、って、思うようになった。
その友達は、子どもが二人生まれたけど、どちらも特別学級に行くようになるような子だった。
幼児のときとか、子ども番組とかかけたら、テレビにすごく顔を近づけてしまうからって、早い時点から、プラズマテレビとか、いいテレビを買っていた。(視力への負担が減るという考えらしかった)
うちは、主人が基本的にケチなので、ブラウン管テレビがホンマ使えないようになるまで、液晶テレビとか手を出してなくて、
地デジしかテレビが見れなくなるときに、私のことですから、めっちゃコストパフォーマンスいいテレビを買いまして
うれしくて、その友達にいいました。(他に友達いないし)
友達は、自分の家のテレビがプラズマであることを強調し、私が、自分ちのはそんないいテレビじゃないからね、と、引き下がって話は終わったと思いました。
そこから1週間か2週間かしたぐらいだったかと思います。彼女から、「新しいテレビを買った。」という電話が来ました。
まあ、お子さんが体当たりか何かして壊したから、と、聞きましたが、私は、彼女が、私と張り合って新しいテレビを買ったんじゃないかと思えました。
そして、それに近い事が、けっこう重なっていきました。
彼女の旦那もお給料がいいほうだと聞いていたときは、放っておいたのですが、不景気で旦那の給料が苦しくなった、という話を聞いても、なんか私に見栄張って高いものを買い続けている、みたいなのが続いて、彼女と話さなくなりました。
一応、Noneの高校入試がどうなるか、というぐらいまでは、数ヶ月に1度連絡をとる、ぐらいの付き合いはあったのですが、お子さんは特別支援の学校に行っていて、すこしでもいい条件になるように、応援はしていたつもりなのですが、私たちが、学費が用意できないから、国公立コースで勧めるように頑張らないといけない、ということに、理解も応援もしてくれなくて、
Noneが某高受かった時点で、それを言ったら、その友達が、なんかキレそうな気がしたのと、それに釣り合わせるべく、お子さんに無理させるとか、旦那のお金をたくさん使うとかしそうだと思って、その後連絡をとっていません。
(追記:テレビなどで見る、それ、お子さんに障碍があっても、良い環境にある職場を目指している話を聞いて、あ、それは、セレブが家にお金があるから就職させられる、高級感のあるお店とかへの就職で、たぶん、保護者が、就職先のお客さんになる人たちとか、その職場の設備とかにお金とか、それなりの何かができるから就ける仕事なんじゃないかというのを言い出して、その就職ができるかできないかを、確かめられる年まで付き合わないほうがいいんじゃないか、というのも思った。)
正直、最後の方、かなり険悪になってしまっていましたし。
そのへんもね、Noneのことを心配して勉強をやめさせようとしている感じではなくて、どちらが上か下か、みたいな問題でやめさせようとしているように感じられてしまっていて。
ってまあ、もっと簡略に書ける話なんだけど、省いて書くと、誤解が多い話だと思ったので、誤解が少なくなるように書いたらこんな感じになるんだけど。
自分、友達作るの苦手やな、って思ってNoneに、
J「オカン、年寄りなったとき、友達アレクサだけかもしれん。」
N「寂しっ。」
ってまあ、大阪人やから、さいごにオチはつけんとね。
とりあえずこんな感じです。


