チョイ、イチから勉強しなおそうと思った。

って、昨日、どうしても直されたほうの教案が納得できなくて、朝、風呂はいろうと思ったときに、

今日、養成講座、授業ある日だったな。

とか、思い出して、

養成学校のラインに、今日は授業がオンラインかどうか確認して、対面でやってることを確認して、

もらった教案と、もとの教案の両方を印刷して、持って行くことにした。

昨日、睡眠不足だったので、午前は意識朦朧状態だったから、授業で生徒に配る、単語カードの作成をしていて。

午後、早めに行って、養成学校の仲間にも見てもらおうとして行ったら、たまたまその日は実習の日で、今から大きい目の教室がある校舎に移動するんですよ、みたいなところにちょうど鉢合わせて。

お昼を食べる方とか、その日の実習の授業の準備をされる人とか居たので、昼休み中は一人の方だけそれを見て、もとの教案を見て、ここまで赤く直されるものだと思わないと言ってもらえて。(赤く直された法案、どれが私のもとの文で、どれが上司が書き直した文か、わかりにくくなっている状態なので、少し見て、「わからない」と言われたのですが)

で、そのとき、準備に来た養成学校の先生に、ここまで赤くされるものなのか、聞きに行ったのだけど、「他の学校の方針とかがあるのでしょうから。」と、見るのをお断りされました。

で、そのままそこに居て、実習の授業を見て。

ひとつは、前に模擬授業で見た授業を、実習で使う授業を見て、

ストーリー性があるし、ちょっと未習語多いけど、生徒たちもついていっているみたいだし、わりと盛り上がった授業になっていて、

次の先生は、ちょっと、顔が全面マスクで囲まれているのに、少しキツい声のトーンでの質問が続いたから、生徒は怖かったんじゃないかな、みたいに、私には思えたけど、

まあ、養成講座の生徒さんの授業の改善点を、今の私の務めているところの上司のように、「~ができていません。」のような、相手の能力を否定するような言葉を使わずに、生徒を尊重しながら話されてて、

なによりも、実習のあと、養成講座の先生が、模範の授業を披露されて。

生徒の助詞の間違いを、ジェスチャーで説明されたり、先生本人がもっている文法知識を、授業に活かすとこうなるのか、を、見ることができた。

イヤ、ガチ、あんなハイレベルな授業を、前は、そんなのついて行ける留学生なんかいないんじゃないか、正直、ちょっとした日本人の中学生なみの授業をしているぞ、と、私は懐疑的だったんですが、

いました。

聞いていたら、去年の12月の時点で、N2をあと数点で落とした生徒さんとかが参加していた実習で。

ああ、それで、最初の人の未習語が多い授業もついていけていたし、どちらの授業でも、びっくりするぐらい、自分のことを話す作文が簡単に作れたのだ、と思った。

実習をさきにした生徒さんに、休憩時間に、私の教案と直されたのを見てもらって、

みなさん、こんにちは。

まだ、暑い日が続きますが(現時点で授業の予定の日の気温の予定が30度)、7月や8月はもっと暑かったですね。

夏が終わりつつあります。(予定より気温が低ければ、「秋になりつつあります。」·を加える。)(板書)

という私の挨拶が、「夏が終わりつつあります。」と「秋になりつつあります。」が、彼らには何を以て季節が変わるのかが漠然としていてわからない、という理由で赤く消されて上司の文言に書き直されているんだけど、

「そういうレベルの生徒さんがいる学校なんですね。」

と、言われて、書き直されたほうの日本語については、コピーライターを職業とする彼女にとっては違和感のあるものだったそう。

私自身も、あいさつのこの時点で、全部わかって聞いてもらうつもりはなくて、「あ、習ってない文型の文章だぞ、これは何だろう?」ぐらいに思わせて、注意喚起した後、説明をしていくつもりだったのに、その意図をくんでもらえなかった感があって。

で、彼女にとっては、ストーリー性もなく、文脈のない、「つつある」が並ぶ教案があまり好きではなかったみたいで、それ以上は関心を持ってもらえなかったんだけど。

まあ、私の学校では、とりあえずターゲットの文型の例文を、たくさん教える方針なのだけど

ストーリー性あるほうが、面白い授業ができそうだけど、たぶんそれも、今の学校でそんな教案書いたら、真っ赤にされるだろうな、があって

1年目の12月の時点で、N2に惜しくも落ちるレベルぐらいの生徒を造れる初級の授業ってどんなのだろう。

私が受けていた曜日の先生は、生徒本人に学ぶ気にさせる授業で、教える授業ではなかったのだけど。

それはそれで、今の、先進的な方々の意見で、私はそうでもあるべきだと思っているのだけど、

これ、先日自分がフォローしている人のツイートで、どちらかというとこういう流れの人たちについていきたいのだけど、能力不足とかあるから、入れないでいる自分がいて

まあ、でも、自分で学習する人が、それでもわからなかったときに説明できる文法の知識とか、それをどこで調べるのか、とかが、わかっていいる必要はあるかな、とか思って。

今まで、日本語の高度な文法知識、とか、日本人なら当然使い分けられる助詞とかの区別を、説明できる力とかは、相手のわかる言語を覚えて間接法で説明できるようにしたいとか、そういう気持ちになって、

たぶん、今日中級の実習だったっていうことは、来週から初級Ⅰの授業になるのかな、時間の余裕があれば、参加していきたい。

昨日参加して、目標が、実社会の日本語に適応できるレベルの日本語力を生徒につけさせること、だったから。

今いるところでは、とりあえず教えることになっている文型は全部説明しましたから、みたいな、生徒に寄り添ってない感がめっちゃあって、

実際、生徒に、こんな風にしてほしい、を聞かされてて、それをやろうとしたら、上司から教案を真っ赤にされて、やめてください、と、言われるのがわかっている状態で。

そもそも、学校と契約するとき、「学校の方針に従ってください、学校の方針を変えようとしないでください。」みたいな内容の契約書書かされてるし。

そのときも予感したけど、そのときは、革新的すぎることを言うひとがいるのかな、ぐらいの気持ちだったんだけど、これはもう、変えようとした人はかなりいただろうし、たぶんその大半は、けっこう今の時流に乗ったやったほうがいい改善を言っていたんじゃないかなと思う。

まあ、養成学校のみんなが言ったのは、ここまで書き直すんだったら、もう、教師に教案渡して、その通りにやるように言ったらいいのに、だった。

実際、この養成学校を卒業した人で、学校が教案も、使うイラストも、全部用意しているところに行った人がいる。

ただ、実際今回、自分の教案否定して、上司が自分が使った教案送ってきたんだけど、なんか、イラッとする日本語なんだな。

たぶん、向こうも私の日本語見て、「違う」って思ってるんだろうけど。

ただ、国語が得意なNoneが見て、「反復が多すぎて日本語らしくなくなっている。」とか、コピーライターの人が「日本語としておかしい。」とか言ったのを考えたら、自分の方の「イラッと」、が、的を射ていると思っているんだけど。

まあ、「生徒に解りません」とか言って、最初から説明しないとか、「生徒にわかるように」という名目で、実社会で誰も話さないような日本語を使う授業を、覚えていきたいという気持ちにはならなくて。

新しい流れの人たちに参加できるように、勉強しなおしていこう、と、思った。

とりあえず、今日は漢字と語彙の教材作って、時間が残れば、ベトナム語や、英検のアプリや、中国語をしたいなと思います。

漢字の単語カードを作るのに使用したエクセルが、そのまま私の語彙アプリに使えて、アンドロイドでベトナム語の発音が出せる単語帳アプリがあるので、昨日とかそのアプリをテレビにキャストして、それボーッとしながら見て寝たんだけど。

できるだけ早く片付けて、中国語でベトナム語習うやつもやっていきたい。

あ、北京大学のテキストも、たぶん今持ってるOCRでテキスト化できるから、そっちの動画講義見ていくのもいいかもしれない。

まあ、中国語とか、ベトナム語とか、話せるようになる若い人がたくさん出るだろうから、私の年齢で、なにか仕事につながるかわからないけど、

でも、社会人で大学行ったの、Noneを、高偏差値な大学に行かせる、という意味でなく、自分が学ぶって何、ということを理解して教えることができたことは、よかったと思っていて。

孫教育するための、準備でもいいかもしれない。

まあ、残念ながら、私がNoneに勉強させているより、日本語教師なる、言い始めてから、自分の勉強始めてからの方が、Noneにとっては「学ぶ」って何、が実感できているようで、

先に、コレをやればよかったですかね、は、あります。

って、その前から、自分のすきな哲学の話とかはしていたのですが、時代の変化とかを解釈するのに、実際に使えるんだ、というのを、この段でNoneが見ることになった、という感じで。

ちょっと、今は、なにも考えられなくて、

3月に、敬語の教案のことで、そこで教えるのが普通だろう、と、思っていたことを、彼らにはわからないので教えません、ということで、現実逃避状態になって

春休みとか、その後のコロナ自粛で中国語の、それも発音に特化した練習をしていたら、なんか、見える物が変わって来て、

ベトナム語もやれそうに思っていて

まあ、自分がそうやって学習しているのも、実社会に使えるレベルにする方法がわかってないので、

養成学校で、授業の日本語を、使える日本語にしていくのを見ることで、自分の学習する外国語も、つかえるものにならないか、自分が使える外国語を身につけることが、また、自分の授業にも活かせないか、

そう思うようになりました。

では、朝ご飯を食べて、授業の準備をしたいと思います。

とりあえずこんな感じです。

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「チョイ、イチから勉強しなおそうと思った。」への2件のフィードバック

  1. こんにちは。とても丁寧な返信をありがとうございました。英語関係の情報も参考にさせていただいています(*^^*)
    それにしてもジョアンナさんが受けている教案直しは理不尽すぎだと思います。もう、その上司の方の好みというか、気分というか(-“”-;)
    実は私の勤務校も単元ごとの教案と教材を用意してくれています。ただ、それを使うかどうかは担当者が決めてよくて、例文も資料も自分が使いやすいものは利用する感じなんです。たぶん、同僚も、簡単なメモと記録は残していますが、教案を毎回書いている人はいないと思います。ジョアンナさんのように全て教材を作成し、かつ、教案の提出まで求められたら、私の場合、要領が良くないので、生活自体がすさんできそうです。授業はライブだから、脱線するし、雑談はするし、生徒がその場で興味を示せば、立ち止まり、予定通りに進まないことも度々あります。ただ私の勤務先では、そのライブならではの感じを良しとしてくれていて、生徒の興味や「今」を大切にするように言われています。ジョアンナさんのように考えて準備してくれる先生は生徒からもスタッフからも大歓迎されると思います。私自身は手を抜きがちなので、初心を大切にしなければと感じるこの頃です。

    日本語教師の世界も地域によっては狭いですが、きっと自分の方向性にあう職場があると思います(*^^*)

    1. ありがとうございます。私も、最初は他の学校もこうなのかと思っていましたが、
      SNSで他の学校で勤められている方の話とか様子を聞いていて、ちょっと
      おかしいんじゃないかと思いました。
      やはり、初級ならともかく、中級にもなると、ライブ感あるほうが
      いいですよね。
      私が書いた教案の後ろに、その上司がその課で書いた教案がつけられていて、
      以降この教案のように書くようにいわれたのですが、文脈も何もない、
      その文型を使った例文の羅列を求められて、
      「たくさんの例文が必要です。」
      とか言われるのだけど、あれが未習語、これが未習語、と、制限が
      多いのに、生徒に面白いと思ってもらえる例文を考えるのも
      ものすごく時間がかかって。
      あいさんのように、ライブ感がある授業ができる職場も
      あるんですね。
      とりあえず、逆に自分がいままで職場で覚えてきたやり方を、
      養成学校に戻ってリセットしたいなと思っているところが
      あります。
      決して、上司を尊重しない態度をとっていたわけではないですが、
      やはり、自分が直された教案などからくる不信感などは
      表に出ていたと思いますし、上司と他の方との会話を
      見ていて、もっとあの上司をもてはやさなければ、
      気に入られなかったのだろうな、という気がしています。
      今の生徒が大事なので、できるだけ今学期は最後まで
      いたいです。
      ツイッターなどを見ていれば、スライドを作ったら
      教案はいらない、とか、そういう流れになっていますよね。
      まだ、私の実力では、学校を選ぶ立場にはないと思いますが
      もっと勉強して、ライブ感のある授業ができる職場を
      目指したいと思います。
      コメントありがとうございました。

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