「優秀」とはなにか

昨日、緊急事態宣言後初めての仕事で、実際学校のほかの先生やスタッフの方、生徒と会うと、がんばっていこうかなと思うことができました。

教案とか、真っ赤だったから、すごく否定されているのかと思ったら、そうでもない気がしたし。

ちょいなー、前のブログを見てたのかな、言う人が、まあ、今もう、娘さん受験成功して、まあ、それはおめでたいし、もうこんなあまり高学歴でない大学に行くことになった家のブログ見てないと思うし、それはいいんだけど、

今回非公開になっているブログのタイトルが気になって。

能力を使う目的が「お金」に集約されているようなタイトルで。

関西の大学の事情しかしらないので、関東では高学歴の人はもれなく高所得なのかもしれないけど。京大の院出て、公務員の福祉職の非常勤で、高学歴ワープアとかけっこういるらしいし。

今、よく取り上げられているSDGs、賢い人は、今必要なのはこういうことだとわかっている人が多いと思うし、特に1番に上げられている、「貧困をなくそう」とか、その仕事そのものに高い所得を期待できないものが多い。もちろん公務員として安定した立場から取り組む人もいるし、それが「優秀」なのかもしれないけど、公的に手がまわらないことを、NPOなどで、ギリギリ生活できるとかの所得で、頑張っていらっしゃる有能な方々もたくさんいる。(そういう収入につながらない選択肢を選ぶことが「優秀」と見做されないとしたら話が別だけど)

この世の中の仕事で、必要な仕事に、十分な給料が支払われないけれど、優秀な方のなかにも、敢えてその道を選ぶ人がいる。

実際、主婦(夫)だとか、ほかに収入を期待できる家族がいるから、無収入とか献身的な条件で、優秀な能力をそこに使うひともいる。

本当に必要な仕事に、対価が支払われるべきだ思っているし、そう変えていかないといけないと思っているけど、現状すべてがそうなってはいない。

もちろん、この世の中に必要なことを、お金が十分に払われないのに選択することが、「優秀」ではなくて馬鹿だと思われているのかもしれないけど。

私は信じている。今、まだ、幼稚園や小学生、中学生の子がいる家族で、我が家の所得を確実にするためにではなく、この世の中をよくするために勉強を頑張っているひとがたくさんいると。

そして、勉強を頑張っているという理由で、よくわかってない他人から、「自分が金持ちになろうとしている」と勘違いされ、虐待だとかエゴだとか言って攻撃を受けられることが多いことを。

だから、受験して成功した人が、エゴ丸出しに見える状態で目立つところにいるのは、良心があって、お金でない動機で子どもに勉強を教えている人にはとても迷惑だなと思わされてしまう。

まあ、実際、自分の所得をよくするために勉強するほうが、漠然と世の中をよくしようとかで勉強するより、受験には成功しやすいのかもしれないけど。

金持ちを攻撃するのは、あんまり利口ではないのは知っている。貧乏人が金持ちを攻撃すると、金持ちや高い地位に就く人に、貧乏人を差別したり、馬鹿にすることを許す口実を作らせてしまうから。そして、それは、貧しい人に教育を与えるチャンスを減らしたり、社会的立場を上げるチャンスを失わせる理由になってしまうから。

私自身は、現在は所得を上げずに生活レベルを上げることができると思っているし、実際ある程度実践していて、そしてそれを発信して、それがほかのひとも、所得が上がってなくても、生活レベルを上げることができるヒントになればと思っている。

この現在に、受験に成功するような人たちの焦点がお金を稼ぐことにあるというのが残念だ。

この世の中に、必要だとあれば、所得がついてこない仕事でも、優秀なひとが敢えて切り開く、そんな世の中であってほしい。

まあ、なにが人を「優秀」と定義づけるかは人によって違うと思う。

それを、金銭による報酬で計られる時代を終わりにしたい。

それは、われわれ一般市民のもつ価値観によって決められるのだから、生活できる程度のお金が稼げれば、何を大事にするかは人によって違う、そう多くのひとが思うようになってほしい。

まあ、ビルゲイツ、優秀な人やし、金持ちなんだけど、やっぱりほかの高所得者とか見てて、必ずしも優秀やないひといるし、逆に優秀なのに、対価が払われてないひとはたくさんいると思う。

自分の子がなにか、いいバイトかなにかを見つけられた話を自慢したいんだと思うけど、その一般化は受け入れられないな、とか思う。

実際、主人の給料見て驚いたけど、この世の中には、主人より優秀な人とかたくさんいるけど、所得はそんなに高くなかったり、でも、その人はその人で、仕事にやりがいがあったりとかで、主人と同じ所得が得られても、入れ替わろうとは思わない人もたくさんいるだろうし。

優秀な人ほど、所得が高いかどうか、より、この世の中をよりよくできるかどうか、を考えて仕事を選んで欲しい。

もちろんね、ユーグレナの例みたいに、それで最終的に収入に返ることもありえるだろうけど。実際、ホリエモンに会ってなかったら日の目を見ていなかったと聞くし、逆を言えば、有効活用されていない優れた研究とかも、実際にはたくさんあるんだろうなと思う。

WHOとかに就職したのに、WHOの予算が足りなくて解雇される優秀なひともたくさんいるとニュースで聞いたし、やはりWHOに採用されたような人は、あってもなくてもいい、平凡な企業で安定した仕事を選んだ人より、優秀な人材だったのだろうなと思う。もちろんね、そう言う人は再就職もすぐできるのかもしれないけど、オーバースペックは逆に一般企業に就職しにくいとも聞くし。

まあ私、人よりお金持ってることで優越感感じたい人の気持ちわかりませんからね、人より安くモノ買ったことを自慢する大阪の文化に染まってますから。

あなたには買えないスーツを私は持ってますよ、というより、このTシャツ安いで、ええやろ、アンタも買いーや、言いたい地域の人間ですからね。

なんか、でも、こういうノリのほうが、世の中よくできると思うの。

実際、国立の大学院で日本語教育専攻した人が、日本語教師になるのではなく、公務員になって、日本語を教える仕事はボランティアとかでやる人が多いと聞いたりします。

それはそれで、優秀であればお金になるはずだ、といった態度ではなく現実を見て、かつボランティアという形で能力は活かしているのだと思うけど。(大学で留学生相手に日本語を教える技術とかは手にい入れているのだけど、大学で教えるより、公務員の方が安定していると言うことで)

まあ、ここでも、なにが「優秀」かの定義が分かれそうだけど。

公務員という安定した職業に就けることが「優秀」なのか、大学という、ある程度の学力を持った生徒に対応する授業ができることが「優秀」なのか。

まあね、私、記事本文、見れてませんけど、まあ一般人にケンカ売ってるよな、とか思いましたね。

もちろん、もう一般人など相手にされない雲の上を歩んで行かれるのだと思うのですが。

ただ、私は、優秀な人には、生活できる所得が得られるようでさえあれば、お金になるかどうかより、世の中をどう良くできるかを基準に行動を選ぶ人であってほしい、それがたとえ、お金にならない、お金になることに変えることができないものであっても。

お金に執着する人がおったらアカンわけではないと思ってるけど、せっかく賢いのに、浅ましく見えるなとかは思う。

オレの子賢いねーん、だからお金稼げるねーん。ってことでしょ?

よかったね。

まあ、こんな人が多かったら、格差社会とか解決しないし、こういうの見てると、やっぱりPTAとか成功した親のリア充自慢大会なんだろうなと推測できる。

まあ、ここでは、自分の子のことを出すことはしない。もちろん、教師だったり、月並みな一般企業だったりに就職してほしいなと思っているし、正直習い事とかして、より本人の希望を叶えることができないかと考えているけど、就職先を考えるのに、所得より、その仕事が持っている社会的な意義を重要視したい。

ここでは、Noneより優秀で、というより、一般的に見て優秀で、とても世の中に役に立っている、けど、所得に反映されていない仕事についている、そいういう人を見下したことばに聞こえました。

まあ、どうせ何を言っても、負け犬の遠吠えにしか聞こえないだろうけど。

追記:iPSの山中教授でさえ、ノーベル賞受賞後、研究のための資金繰りのために、いろいろと奔走されている姿を見たようなきがするのだけど。

とりあえずこんな感じです。

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