例のブログ見た

 って、もうブログ村からも出たみたいなんだけど。(まあ別に、もうブログ村の順位気にしてブログ書いてるひとも少なくなってるだろうけど、ってカリスマパパ気にしてそうな気もする)

 まあ、朝一番に見て、何コレ、とか思ったんだけど、朝弁当つくらにゃならんだったし、昼から授業で、いろいろ準備せにゃならんかったので、ツッコむ前に家を出た。

 何をもって成功とするか失敗とするかは人によって違う、というわりには、広告動画に出てる子、高額教材のCMに出てきそうな、世間一般で成功している、という感じの子ばっかりだよね。なんかね、英語力は普通だけど楽しそうだな、とか、見てて、いろんな価値観あるよね、って感じのする子が全然いないんだけど。なんか、そういう子も中にいるけど、顔出しOKでたのがたまたまそういう子だけだったからとか言いそうだけど、サークルの中で幅聞かせてるのは、そういう英語のいわゆる上手な子どもだけなんじゃない?みたいには見えるよ。

 まあ、そこよりちょっとキレたのは、また、教育に熱心な人をディスってるところですよね。

 幼児期に身につけた方がいいこと、というよりは、幼児期にしか身につかないことってあるし、それを子どもに身につけさせようとすることが、大人の物差しで子どもを計ること、とか言いきっていて。

 大人の思いつかないことをすることっていいことだけど、けっして、幼児期に音楽をさせることとか、水泳を習うこととかで、大人の思いつかないことができなくなるわけではない。

 以前、プリントをさせる親をひどく言っていたことがあるけど、そりゃ、間違った方法で、間違った量のプリントをさせる親とかもいるだろう、でも、あるていど発達心理学とかをちゃんと学んでいたら、標準的にこのぐらいの年でこのぐらいができます、とかいうのが、あくまでも標準でしかすぎなくて、その子の段階がある、というのはわかっている人の方が多いと思う。(そういう、ちゃんと調べもせずに、販売されているプリントの「何歳」とかいうのだけ見ている人でなければ)

 まっすぐな線を引く、とか、まがった線を引く、っていうことを、その子にちょうどの時期に練習させる、たいていイラストかなにかが書いてあって、橋を渡ったり、迷路を抜けたりするような気持になるようになるものが多いけど、実際、線が引けて当たり前の時期に、線を一本うまく引けただけで、子どもは大喜びするさ、褒め方がうまければね。見た感じでは、子どもの方は冒険でもしたような気分でそれをやっているように見えるし。

 ほんの、ちょっとの時間、線を引いて、褒めて、ハナマルでもしてやったら、ものすごいご褒美もらったような顔するさ。

 でも、それで、決まった線しか書けない子とかにならないし、母親がご飯を作っている間、自由な時間に、自分でいろんなものを真似して書いたり、自分の好きなものを書いたりするようになる。実際、うちがそうだったし、遠足で動物園に行って動物の絵を描きましょう、とかいう場面で、よその子より楽しそうだったし、よその子よりちょっとうまかった。

 音楽でも、水泳でも、そりゃ習いに行けば、音楽一家とかだったら、スパルタもあるし、水泳とかでも、親がどうやらミキハウスの社員で、なんか選手みたいだな、とかいう家とか、キビシイ家とかあったけど、他のものだって負担の多いレッスンとかさせようとかいう家とかあるんだろうけど、普通の家とか、そんな、枠にはめ込んで芽を摘むとかいうものにはならないと思う。

 実際、私は、母がピアノ教師だからピアノは習ったけど、その他の習い事は一切なかった。お金がないから。

 神戸線の比較的お金を持っている人の住む地域だったから、自分と、習い事のできるよその子とかの違いをヒシヒシと感じながら育ったよ。

 子どもだけの素質で、天才と言われるほどの能力を開くことができるのは、よほど生まれつきの才能に恵まれた人だけだ。

 習い事をせずに、自分の時間を持ちたいか、楽しいものとか、自分に合ったものであれば、習い事をしたい、というのも、実際ならいごとに連れて行って、その子の反応を見て決めることだと思う。

 ふつうに行く習い事が枠にはめ込んで芽を摘むことであるとしたら、親が英語の歌を歌って聞かせたり、絵本を見せたりするのも、枠にはめ込んで芽を摘む行為の中にはいる。

 別に、音楽スクールへ行って歌を歌うのだって、べつにインコを調教するように歌わせるわけじゃない。音楽スクールにもよるけど、基本、幼児向けの音楽スクールなら、子どもの好きになる歌を、楽しく歌うはずで、たいていそういうスクールに行かす親は、親も音楽が好きで、一緒に歌ったりして育児の一環にしていることが多くて、おうち英語やっている親が、子どもの気に入りそうな英語の歌をかけ流したり歌ったりするのと、どこが違うんだ、みたいなものだろう。

 それを、他の習い事だって、子どものことを考えて、子どもに合う方法で取り入れている家なんていくらでもあるだろうのに、子どもを親の作品にしている、とか、よそを悪者にして、自分達がイイモノだと思わせて、優越感感じるようにしている。

 批判されるべきは、よその子に勝るようになにかを習わせたり、その子には無理なハードルを掲げる親で、習い事をさせるとか、その子がちょうど習得しそうななにかを、その子に挑戦させる親ではないと思う。

 みんな天才なんだ、は、聞いた方は聞き心地がいいさ。

 でも、実際、習い事に行かせてもらえなかった子が、天才、って呼ばれるほど、なにかに秀でることは難しい。

 私自身、子どもの時から絵が好きで、いつもみんなに褒められてて、頑張れば漫画家になれるかもしれない、みたいに思った時期もあった。

 高校で、芸術大学の教授の娘が先輩にいて、基礎からなにから、全然ちがったさ。

 親が好きだった芸術を、当たり前のように毎日続けていたその先輩は、別にその両親の作品のように扱われていたわけではなかったし、親が自分が好きなことを、子どもも好きになるようになることってあるんだと思う。

 うちの母みたいに、辛いぐらいピアノの練習をしなければ、「食べれる」音楽家にはなられへんねんでー、みたいに、練習も楽しくなければ、目標もそんなに魅力的ではないものを掲げる家とかもあるけど、親が楽しいと思うことを、子どもにも楽しませて、親が魅力的だと思う将来像を、子どもが自然に目標にするようになる場合もあると思う。それは、決して、親が子どもを作品にしているのではない。

 私自身は、その子の幼児期の素質とか性格とかを考えて、いける子だと判断できる場合は、オリンピック選手になれるべく水泳をスパルタ、とかいう状態になっても、親がその子の素質とか性格をきちんと判断している、と解釈できる場合は、やっぱり枠にはめ込んだ、とか、親の作品にしている、とは言えないと思う。

 子どもはみんな天才なんだ、という文句が、すごい偽善的に聞こえて、むしろ、人間らしささえあれば、人より優れている必要はないんだ、みたいな理屈だったら、納得いっただろう。(でもあのひと、いつも最強とか自画自賛とかばっかり言って、他人もけなしまくりだし)

 っていうか、うちから見たら、英語コンテンツに偏りすぎた趣味娯楽を与えることのほうが、よっぽど枠にはめ込んでるねん。

 それに、ボスママが「さすが」と言ったカリスマママとかのほうが、よっぽど自分の子作品扱いしとった、言うねん。

 そりゃ、ボスママ自身が大人の価値観で子ども育てへんとかいうのは勝手やねん。好きにしたらいいし、その育ってる結果もそんなに魅力的ではない。あの家族を見て、ああすればよかった、みたいには見えてない。

 逆もそうやろうけど、うちが自分の子を枠にはめ込んだとか、芽を摘み取ったとか、作品扱いしたとかは言われたくないねん。

 幼児期に英語で流行ってる英語コンテンツ、見せたけど、拒否られて無理に見せたりしてへんし、実際、ダンナに追い出されて大阪に来たばっかりの頃って、うち自身が睡眠障害でちゃんと起きれている時間少なかったし、Noneにかまってやれる時間は少なかってん。Noneは、ホンマに最初に公園連れて行ったときも、何もせずただ、砂場に座っているだけで、親が一生懸命プリン作って見せたり、何かに興味持つように頑張ったけど、ちょっと障碍あるの心配したぐらい、なんにも反応しない子やってん。大阪来た後、1年ぐらい構ってやれなかったら、また何にも無関心状態になったから、公立で進学せんとアカンもあって、公立コース受験路線に踏み出すことになったんだけど。

大阪来る以前は、発達心理学で、どの順番にどの能力が上がっていくっていうのを順番として、この子にはこのぐらい、みたいな感じでいろんなことをしていた。興味とか示したものは、できるだけやらせてみたし。(お金もあったから、ちょっと馬乗ってみたいとか言ったら、馬乗れるとこ探して、幼児だから乗馬とか無理だけど、馬触れるところに連れていったり、馬車乗せたり。)

 まあ、自分のオリジナルで、幼稚園やったNoneに、漢字には音と訓があって、へんつくりがあるって説明して、少し練習した後、あんまり漢字のことやらずにごく普通に生活してたら、「歳末感謝祭」とか、一度も説明したことない漢字の読みとか読めるようになってたよ。看板とか、生活で目にする漢字で、読めないものはほぼなくなってた。

 それは、決して私の作品じゃない、だって、私もそこまで計算してなかったから。ただ、一個一個漢字がどう読んで、意味は何で、って説明するの、しんどそうだな、とか思って、音と訓、偏と旁で漢字ができてるって言うのを、偏とか旁の意味がイラストで書いてあって見やすい500円ぐらいの漢字練習帳があって、そのときのNoneにもできそうだから持って行って、ちょっとやってみたけど、あんまり面白くなさそうだから、けっこうすぐやめた、っていうだけの話だったし。

 まあ、ソレ、英語でやってたら、英語での爆発があったのかもしれないけど、親が得意じゃないことより、親が自分でできそうだと思ったことをやっただけの話だし。

 親が、自分もろくに話せない英語で語りかけをするより、よっぽど枠にはめてないと思うで。

 人のところは、親の押し付けで芽を摘んでて、親の作品扱いで、自分ところは育児のツールなんです、みたいな自分たちに都合のいい理屈を言い張ってるのが、めちゃくちゃ腹が立ちましたね。

 まあたぶん、批判を避けるためにブログ村離脱したんだろうけど、自分達が自分たちでいい人と言う判断がしたいがために、言われもない人を批判したり、(間違った幼児教育をしているひともいるだろう、けど、自分達以外の幼児教育をする人を、全部芽を摘んでる扱いをやはりあそこではしている)悪者扱いしたりしているのを見逃すつもりはない。(って、身内のSNSでいろんなひとディスってるだろう、は想像つくんだけど。)

 教育の仕方が間違っている人はいると思う。子どものできることを増やしてあげないといけないのに、親が自分はこれだけ知ってるで、とか、こんなんできるで、とか、親のできる自慢になってる人とか、ちゃうやん、とか思うし、自分が勉強つらかったから、つらいことさせたら勉強になっていると思ってさせてる親とかいるときある。それは、やりかたが間違っているのであって、教育すること自体が間違っているわけではない。

 私としては、親が適切な援助をしないで、子どもがもともと持っている「光るもの」を期待する親とかのほうがキライでね。

 日本語教師の養成講座で習った、スキャフォールディングの考え方が一番好きでね。まあ、wikiとかでまとめたものがないので、自分のことばで簡潔に言う自信がないし、あのボスママ、あっちゃんのいい夫やめます=悪い夫になります、の人だから、ちゃんと聞く気ないだろうなとか思うと考えるの面倒くさいので、それなりに説明してくれてるサイトのリンクだけ貼ってる。私はこのページをそんなにガッツリ読んでないけど、間接的なスキャフォールディングのほうが好きだ。

スキャフォールディングという支援の恩恵

 まあ、今日は、授業行ってて、それなりに生徒たちとうまくやれてるんじゃないかなと思ったけど、授業聞きながらも、それなりに私語があるので、(でも、みんなが黙っているときのほうが、寝てるやつとか、うつぶせたりするやつがいる状況のことが多くて、少し私語あるぐらいのほうが、ホワイトボードに貼ったイラスト見て、ベトナム語でなんか言ってるよ、状態で、まだ授業聞いてくれてるように思うのだが)

 会話練習とか、アドリブ入れてくれる生徒とか出て、それを他の姓とも楽しそうにしたりして、私としてはうまく授業できてるつもりだけど、私語があるのを苦い顔して見てる常勤の先生とかチラッと見えて、難しいなと思った。

 私が相談する相手になっている常勤の先生は、私が出したアイデアとか賛成してくれるし、見学の時に、つまらない授業をする先生だなあと思った常勤の先生も、今日授業のことで相談したら、けっこうおもしろい規格を授業でしている話をしてくれて、あのときは模範的な授業をしないといけないから、あんまり遊びみたいなことはしなかったのかな、と思ったり、25課ぐらいになると、生徒が教科書だけでついていくのいっぱいいっぱいで、そんな余興のあることがやれなかったのかもしれない、とも思う。

 来週は学校の行事で授業がお休みで、その次とその次の週、学校から言われてるテストとかだけですむ授業かと思ったら、けっこうテストあっという間におわるらしくて、テストで使われた教材とかを材料に、話ふくらまさんといかんかったり、ひとつの課の新出単語と、15分ぐらいで終わるテストだけで2コマつぶしてください、とかになるらしくて、新出単語なんか、生徒みんな予習してくるし、授業すぐ終わらない?とかいうことで相談したら、その前までの課の復習してください。と言われ、とくに推されたのがて形の復習とかなんだけど、1コマ半つぶせる企画をなんか考えんといけません。

 って、明日、近大のオープンキャンパス行きます。

 うちにしたら、子どもがある程度の年齢になったときに、進学とか就職とかの選択肢が、すでに今から努力しても間に合わないと思えるような状況にさせることのほうが、(自分がそうだったように)親のやったことに不満もつんじゃないかなあと思うんだけど。(って、それすら思えないように、自分の子洗脳してるように見えるもの。あのサークル)うちは反抗期が来たら、親に文句好きなだけ言えるようにしてるけど、なんか、あのひとたち、私はいい親よねー、を自分の子に強制してるように見えるねん。

 ある程度の選択肢が選べるところまでは、必死で押し上げた。経済的に国公立しか選べなかったときは、第一志望でなくても、受かりそうな国公立を受験してもらう予定だったけど、今は私立もOKだから、好きなところで受かったところに行ってもらうつもりだ。

 だいたいこんなことがしたい、という話を聞いたら、それでつけそうな仕事とか進路とか、親の私がめっちゃググったけど、選ぶのはNoneだし、それが気に食わなくて自分でググるのを禁じてるわけじゃないから、(そのへん、今でも砂場でボーっとしてるのと変わらない状態なんだけど)決して、どんな進路とっても、私の作品じゃない。

 まあ、受験だし、運がわるければ全滅もあるんだけど、受験うまくいかなかったら、子ども潰したとか好き放題言うんだろうな。身内じゃないひとんちのことは。

 自分で行きたい学校選んで、受からなかったら、受験勉強とか、一応予備校とか行かせてるけど、それもかなり親子で一緒に相談してだし、(って、自習室に使えるからって東進に変えたんだけど、ほぼ行ってないの、別に無理に行けとか言ってないし)志望校とか、その他の受験大学も、受かっても受からなくても、私のせいでもおかげでもないんだが。

 進学できる大学が、所属している高校の指定校推薦とか聞くと、私なんかは指定校推薦で行ける大学がたまたま自分の勉強したいことができる大学の学部だっていうのが、かなり稀なケースの気がして、そりゃ、うちが志望校のなか混ぜている産近甲龍より、うちの指定校推薦で行ける大学・学部の方が偏差値が上、とかいうこともあると思うけど、正直、指定校推薦と言う狭い選択肢で、人生の一番ノリのいい教育を受ける機会に、本当にその子の一番したい学問を学ぶチャンスを作りましたか?は問いたい。

 ってねー、うちも全滅かもしれないし、どこやそれ、みたいな、某高行ったのに、みたいな大学に行かないといけない可能性もあるから、強くは言えないんだけど、

 別にね、子どもの時からゲームが好きで、ゲームを中心にしたいから高校受験とか大学受験とかあんまり頑張りたくなくて、でもある程度の偏差値の大学には行きたいから指定校推薦を狙ってて、その大学出たらゲーム関係の仕事目指します、とか言ってた、「高い偏差値の高校行ったのに、推薦と同じ大学に行った」発言の人、

 前も言ったけど、その関係の就職希望なら、大学じゃなくて、専門学校に行って欲しい、があるし、受験頑張らないで高偏差値大学狙うのも、その数値を出した、まともな受験生をバカにするのもやめて欲しい、だし

 まあ、なんか、そういう人の方が、長く強くつきあえるんやね、は不思議。あの人のコンサルを1時間×3回一万円とか、ブログはツッコむために見てるけど、参考になったことはないわー、みたいな。

 って、遅くなったし寝ます。

 って追加だけど、UPしてから他の教育熱心なひとのブログ見てても思ったんだけど、自分の人生で、このときにこれができていたらよかった、っていう経験って、ひとつの文化資本だと思うのね。(ブルデューの言う意味での文化資本ね)これ何度も言ってるけど。何年生までに何ができていたらいい、を自分の子や、他の子に教えて、それができるように教育することは、決してその子を作品にしているわけでも、芽を潰しているわけでもない。普通に、子どものことを思って教育する人を悪し様に言う人が、私最強とか言ってふんぞり返っているのを、どうしても許せない。

とりあえずこんな感じです。

にほんブログ村 外国語ブログ 中国語へ

にほんブログ村

にほんブログ村 受験ブログ 大学受験(本人・親)へ

にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ

にほんブログ村

]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です