言語教育に言語教授法はいるか

普段の水曜午前は仕事じゃないんだけど、今日は明日の代わりに仕事に呼ばれていました。

家に帰ったら、先日注文したヘルシオ、届いていました。

思ったより電子レンジって重くてびっくり。潰れたのと入れ替えできないんじゃないかと、設置を依頼してなかったことに若干後悔。

さっき、から焼きという作業を終えて、買い置きしていた牛赤身肉を、タコ糸で巻いて塩コショウして寝かせているところ。

って、ここで10分経ったので、スイッチ入れに行ったら、私の買ったのはローストビーフのボタンとかない型で、ウォーターオーブンを予熱して、30分温めればできるとかで、今予熱しているところ。

まあ、例のところで専門知識いるかどうかとかの話をしているけど、

高い教育を求めてなくて、楽しければいい、っていうんならいいじゃない?って思うんだけど。

見ててね、あ、先生から習ったことを言うこと聞きなさい的な教育しか思い浮かばない人かな、みたいな残念さはあるんだけど。

確かにね、フランチャイズなんかで、そこが広告で謳っている方針以外のことはしないでください、みたいなことはあるんだけど。

まあ、日本語教師の資格とかとろうと思ったら、外国語教授法、とか習うんだけど、今までにどんな教育法があって、どんなメリットがあったり、デメリットがあったりとかを学習する。

単語に色を塗って覚えやすくするとか、誰でも思い浮かべるようなことでも、誰が広めて、どんな効果があるかを確かめた、とかいうのを、知識として持っている、自分たちの先人に興味を持つ、ということは大切だと思う。

実際、日本語教師の場合は、(たぶん、他の言語の場合でも)どんな教え方がどんな効果があって、でもどんなデメリットもあって、みたいなのを考慮しながら、混ぜ合わせて、そこにない自分のオリジナルの教え方も混ぜることがあるだろうけど、ブレンドコーヒーのように自分の味の教育方法を編み出している。

某おうちえいごのセンセイなんか、全部自分が生み出したオリジナルアイデアだとか思ってそう。

そういう実技的な知識だけじゃなく、ソシュールとか、言語哲学とか、これは半ば日本語教師になりたいというような人のなかにも、無駄な知識とか言うひとがいるんだけど、これぐらいの知識をつけることを面倒くさがるような人の教えられることって、そんなに教養のある知識をつかられるレベルのものにはならないんじゃないかな、と思う。

実際、楽しくドラマを見たいだけ、とか、旅行がしたいだけ、とか、単純労働に近い仕事ができるだけ、というのなら、いらないと思うし、それを選択する人はそれでいいと思う。

実質、そういう高等教育を受けられる外国語をめざしていて、高等教育が受けられる教育機関に入学ができなかったり、合格しても、その教育をうけた価値のある仕事につくことができなかった場合、高学歴ワープアとか、単純労働の職場で、針のムシロになることもけっこうあるから、その覚悟がなければ、初めから高い教育を前提としない語学力を楽しく受けるのはひとつの選択肢だと思っている。

実際、主流のおうち英語の人高偏差値の高校行ったのに、
とか 大学受験に残念だった人に言って笑ってるし。

メソッドに従っていないこととかはここでは批判したことはなくて、(もちろん、シュタイナーとか、評価している教育学者とかがあることは書いたことはあるけど、)そういう知識をつけもしていないことを批判していたつもりだ。

つまり、チョムスキーとか読むだけ読んで、それを踏まえてオリジナル、とかいうことって十分あると思っている。

私が批判した覚えがあるのは、教育について詳しくもないくせに、他のお母さんがとっている教育方法に、個人的な勘みたいなレベルで口出ししていることだし。

まあ、英語のコミュニティーみたいなの参加したいときに、高い教育も受けさせたいと思っている親子が、門前払いを受けていることに批判的だったんだけど、それももう、高い教育と英語の習得をめざす集まりというのが、選択できる時代になったから、ちょっと本気で子どもに教育してたら、子どもをつぶしているとか、虐待しているとか言う人のところに行かなければいいんだと思っているし、今は。

正直、国公立しか選択肢なかったときに、確かに無理をしていた時代があったから、そこに教育熱心な家庭を虐待呼ばわりしている人たちがメインストリームだったこととかは今でもトラウマで、前言撤回とか謝罪してほしい気持ちはいまでもあるけど。

Noneが、この年になって言うんやね、高校の先生で、すごく高いレベルの授業を、めっちゃ楽しそうにする先生がいるんやと、で、最近になってキュリー夫人の伝記とか読んだらしくて、風邪の時に、お父さんがお見舞いにと、自作の数学の難問問題集を渡して、それを若い時の風邪気味のキュリー夫人が喜んだ話とかして、

高い教育を、楽しいと思ってやっている人がそばにいると、子どもも教育を受けることを楽しいと思えるんやな、って言ってて。

で、前のブログに書いていたんだけど、淀川区では、学校の勉強とか、そのほかの勉強でも、もう教える側も、ほかの保護者も、子どもに試練を与えるような視点でしかみてないから、勉強させられている子を、「かわいそうな子」と見做していて、それを聞いた教育熱心な家庭に生まれた子が、わたしってカワイソウなの?みたいに思う、という話を、改めてNoneにして、

これが教育レベルの高い地域に住んでいると、高い教育を楽しく受けている大学生のお兄ちゃんお姉ちゃんとか近所にけっこういたりして、話が変わってくるもんだったりするんだけどね、と言っていた。

まあ、英語はそこそこペラペラになれるみたいだけど、前には大学教育自体が必要でもないみたいに話していたし、実際、高い教育を受けられる学校に入るための、(帰国子女枠以外の)ラクな進路の取り方とかに詳しいわけでもないし、まあでも、楽しいみたいだし、人気があるから、いいんじゃないかな。

別に、何かの方針にそってないことが「全く」役に立たないとか言ってるひと見たことないけど。「全く」とかつけたほうが、批判してる人をワルモノにするのに成功するから書きたかったんだろうけど。

実際、現在はほぼ言語習得については、かなり高い研究がされていて、外交官レベルの人が外国語を学ぶとかは、かなり効果的な手法があるらしいけど、

でも、一般市民が、個人差もあるなかで、確立されたメソッドとかあれば、NOVAとかGabaとか、お金をかければ確実に外国語を習得できるメソッドを提供できるはずなのに、そうできてないということは、ないってことだと思ってる。

でも、ないから全部自分のオリジナルでいいってわけではないと思っていて、すくなくとも言語ってどうできているか、いままで外国語習得をどう人が教えてきたかぐらいのことは、知識として持っとくべきなんじゃない?自分の子だけを教えるってわけではなくて、人にも、しかも有料で教えるってなるんだったら、って私は思うけど、まあ、なんでも、需要があっての供給だから、それがいいって言う人は、そうしたらいいし、それが失敗だとも思わない。

ただ、教育の専門家でもなんでもないくせに、他の人がとっている教育方針を変えさせたりするな、ってことが言いたかっただけで。

まあ、読解力ないひとだから、ここに書いたことの、語調とかがきつかったとかそんなことでまた、取り巻きの人の中で人のことディスったりしてるんだろうけど。

とりあえずこんな感じです。

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