昨日、ベトナム語の音声教材になるものを探していて、無料でベトナム語の単語を学べるものを見つけた。
中国語や他の言語のもある。自分の言語を変えることもできるので、中国語は英語と中国語の対訳に、ベトナム語は中国語とベトナム語の対訳にしている。
iPhoneのは重たいけど、アンドロイドのは軽い。なんか、見てるだけで語彙が増えそうな気がする。
今日は、中国語教室へめっちゃ思い気分で行く。
来週、次に行くつもりの中国語教室の体験を受けるために、今の教室を休む申し込みをして、再来週に補講を受けることに。
その休む依頼をしたとき、辞めそうなのがバレたのか、次の時期の相談を次来た時にしましょう、と言われた。
もう、ここで、自分はここについていけないみたいだから、よそを考えていることを言いました。
そうしたら、クラスを変えたりするので、相談しましょう、と言われた。
今の中国語教室の方が安いから、ここで続けた方が経済的なんだろうなと、いちおうわかりましたと返事をしたんだけど。
やっぱり、今日もいて、ここは、留学とか中国に滞在して喋れるようになっている人が、たくさん会話をする場であって、私のように、日本で中国語に触れている時間が少ない者が、話せるように導いてもらえるところではないような気がして帰りました。
とりあえず、帰って、来週休みがあるときに、体験をすることを次を予定している中国語教室に申し込む。
それに、パソコン使って勉強することを、もうちょっと肯定的に見てもらえる人が多いところだったらいいなあと次に期待する。
今の教室じゃあ、中国に行ったらいくらでも触れられる中国語を、アプリとかに頼ってるのショボっ、みたいな感じで扱われているし。
今まで語学で習い事してて、クラスの真ん中以下の立場に立ったことってあんまりなくて、正直、いままで、クラスについていけてないのに来てる人ってなんでいてるんだろう、って思ってて、発言の回数とか参加できてない人とか、もととれてないなと思っていて。
ぜんぜん予習も復習もしないでついていけてなくて、ついていこうともしていないように見える人とかで、そのクラスに所属していること自体がステイタスだと思ってるんだろうな、って言う人がときどきいて、そういう人とか、正直、その人のおかげで、自分がグループレッスンでおいしい価格で授業が受けていられるとか思ったことがあって。
だから、逆に今は、飲めないのに酒豪が揃っている飲み会に参加して割り勘負けしているのに近いような、損した気分になっていて。
たぶん、通訳の人の、わたしってすごいのよ、っていうのを見るのに、疲れたんだと思う。
ある程度凄い人って、他の人の長所も認めないと、わたしだけ凄いのよ、みたいに言われたら、ハイハイそうですか、になってくるな。
次、行く予定にしている中国語教室は、中級の授業がいくつかあるけど、全部違う先生がやっていて、振り替えとかはない。私が来週行く予定の先生は、日本人で中国語の通訳の人らしい。
それ聞いてね、今知り合いになっている通訳の人と話していて、なにか語学習得のコツになることを教えてもらえるわけでもないのに、なにを遠慮しないといけないんだろう、みたいな気もしてきて。
ここにいて、立場低いの我慢しながら中国語勉強していても、上達しそうにないな、みたいな気がして。
次行ってもそうかもしれないけど、日本にいる中国コミュニティの総本家みたいな気がするし。
自分は、何かに所属するという感覚を知らないで50近くまで生きてきてしまっている。
どこにいても、異端者の扱いをうけて生きてきたような。
まあ、日本語教師の授業とか受けて、先生やってる人のブログとか見てて、異端者っぽい人の集団だなと思ったり、日本語習いに来てる外国籍の人とかもそうだし、キリスト教のひとなんかもそうなんだけど。
ただ、他の人が言うことで、ソレソレ、そうなの、みたいな感覚を持ちたいし、自分のいうことでも、同じような共感を感じてもらえたらいいのに、と思う。
つまるところ、人間が欲しいものって、ソレなんじゃないかなと思ったりする。高価ななにかとかじゃなく、自分の思うこと、人の言うことに、ソレソレ、そうそう、って共感できることが至福なんじゃないかと。
ベトナム語の声調についてのユーチューブ見てて、ずっとひっかかっていたことが解決して、
ずっと区別がつかなかった、dとrとGiの音が同じだっていうのがわかって。
市販の語学書とかたいがい見たけどわからなかったことが、こんな形で解決するっていい時代だなと思う。
私が求めていることは、自分が行けない言語圏の言語を、どうやって行けない条件のなかでできるだけ身につけるか、なんだろうと思う。
大阪弁だって、私はテレビで覚えたしな、大阪に住んでるのに。
うまく言えないまま、時間が遅くなったので寝ます。
すいません。
とりあえずこんな感じです。


