パワポはもうちょっと準備の量が要りそう

今日、パワポで模擬授業やったけど、

けっこう時間かけて準備して、それなりの時間つかうだろうと思っていたら、20分の予定が、わずか10分程度で終了。

実際、日本語学習者といっしょに授業したら、質問に即答されることもないだろうし、折り紙だって、もう少し時間がかかるだろうけど。

パワポを使ったことには、賛否両論、みたいな。

養成講座の先生には、これからの時代はこうなっていくと思いますと、肯定的に評価されたし、何人かの生徒にはよく言ってもらえたけど。

まあ、なにかを変えていくときには、前の価値観で生きている人にも譲歩してもらえる道を行かないといけないんだろうなとは覚悟しつつ。

っていうか、前も書いたけど、印刷でフラッシュカード作るとしたら、フォントを手書き風にするとか、人間らしさをプラスしていく必要があるだろうなと思いつつ。

あと、みんなにタブレットの画面が見えるようにする努力は確かにいるなと思いつつ。

タブレットで授業しようとしたら、手描きでものをする2倍以上の準備がいるのかもしれないとは思う。(その代り、授業中にできる内容も、手描きより増えると期待しているけど)

お昼終わって、午後で帰るほかの生徒さんと一緒にランチしました。(そんなお洒落なお店じゃなくて「なか卯」だけどね)

おとなしそうな人で、派遣とかでいつも、とりわけ怖い人のところに配属されてきた話を聞いて、私も近い経験があるので、なんか、そういう怖そうなひとと一緒にしてなんとかなりそうに見えてしまうのかなあ、という話をしていました。

模擬授業で、タブレットとか使うタイプが他にいないので、応援してくれました。

家帰って、Noneの留学の行きの東京から成田空港までのバスを予約しようと思ったけど、まだ予約できる時期じゃないみたいです。1か月前からだけど、予約が始まってから早めに申し込めば、乗れない、ということはないそうです。

まあ、あとバス会社に電話して、東京⇔成田間の時間を確かめたり。

東京で午前中どう過ごすかをよく調べようと思います。豊洲で朝ごはんを食べるつもりでいても、混雑とかあって、食べるの昼ぐらいになる可能性とか覚悟しつつ。とか言って、土日じゃないからそこまでいかないかもしれないとも思いつつ。

で、Noneの成田の手続きが終わってから私が帰るLCC、Noneが留学から帰ってから東京から大阪に帰る夜行バスの予約をしました。

で、今日、日本語教師の講座のあと、ランチしてから大型書店に寄りました。

Noneの留学後、受ける予定の英語の検定のテキスト見に行ってたんだけど、

前に、アマゾンで買ったことあるんだけど、それは中学生が受けることを考えたテキストで、正直、買って失敗だったな、みたいなものでした。今回版が変わって、高校生向けのテキストできたらしいから見に行ったんだけど、これなら勉強になるなあ、と思って、また後日買うつもりで、先に検定申し込もうと思ったんだけど、

これも、まだ申し込みの日になっていませんでした。

本だけ、後日買おうと思います。

子どもに勉強さすの、虐待とか言うの、すごい正義の味方になったような気がするやろうけど、

沖縄から来た、父の家族は、父の父、すなわち祖父は日雇い労働者で、その祖父に先に死なれた祖母に良い仕事はなく、ひきこもりみたいになってしまって、頼るものがない父の兄弟姉妹は小学校から働きに出て、唯一一番下の弟だった父だけ大学に入れて、大学に入ればいい職業につけるだろう、社長になったら自分たちを雇ってもらうんだ、みたいな算段で、父の兄姉は父だけ教育を受けさせて大学に入れたんだけど、

不況とか、母子家庭とか、沖縄出ということで、大学を出てもいい就職をしなかった父を、手に職を持って生活できていた兄姉は、振り向きもしなくなって、担がれた神輿からの降り方が分からなかった父は、そのまま就職先で偉いひとになろうとし続けて失敗して、音楽大出の世間知らずの母を見つけて、結婚して逆玉になれば自分の株が上がると、ほぼストーカーなみに貼りついて結婚したんだけど、

それだけじゃない、高い教育を受けて、受けた教育を活かした職業に就きたいと思っていた親戚が私の家は多い。

そんな、怨念、ただの子のためを装った虐待だとか言う人はいるんだろうけど、

某高レベルで、いい大学に行けるかどうかわからないけど、父が生きていたら、誇りに思うかもしれない、とか、他の親戚も、お年玉をくれるときの挨拶程度だけれど、一族の無念を晴らしてくれているような目でNoneを応援してくれているような感じはする。

Noneも、某高行くようになってから、親戚の気持ちがあるていどわかるようになっているんじゃないかと思う。

そんなことより子どもの個性を大事にしろよとか言うやつは言うんだろうけど、

個性って何?自分を育ててくれている親とか親戚とか関わる人と無関係に存在するものなの?

Noneは、大阪の人の低い教育水準とか、そこから来る低い生活レベルとか、家族の機能不全とかに興味を持ったけど、それは私がそうしろと言ったものではない。

でも、私がそれまでに見せていた本とか、親子の会話とか、与えていた教育とかと無関係ともまた言えない。

子どもの個性だけを優先していたら、ロックシンガーとかを希望するものなのだろうか?

前も言った覚えがあるけど、もともと持っていたものの上に、親の得意なものとか、逆にコンプレックスを持つものとか、生まれた環境とかに影響されたものが、個性、なんやと思う。

自分が、もともと自由に好きなことをやれていたら、何をしていたか、自分で想像できない。

お金がなくて、年に1冊絵本を買ってもらえるのがやっとで、その絵本も、母が音楽を教えたかったから童謡の絵本を毎年順に買うことが決まっていた。

親戚にもらったお年玉で、父が私のお年玉で凧を買ってしまって、父が一番高くまで凧を上げるんだ、と言って私に触らせずに凧を上げてしまって、高く上がった凧を、自分が上げるようにおろしてもらうように頼んでも、毎年糸が切れてしまって私は凧を上げたことがなかった。

生活ができるためにできることばかり考えて、英語を勉強したのだって、他の何だって、生活ができるようにと思ってやろうとしたことであって、漫画家だって、父のもとから家出して匿名で働けそうだと思って思いついた職業で、理由のあとからやろうとしたことだし、

うまく言えないけど、逆境にあって、そこから生きることとか考えてなにをやるか考えることも個性なんやと思う。

親に余裕があって、負担になることがなにもなしに、自由にしたいことができる中から選べることだけが個性を認めているわけではないと思う。

もちろんね、親は私に音楽やらせたかったけど、私は途中から拒否したし、子どもが親の希望を拒否する権利ってのはあると思うけど、ある程度のところまで、子どもに音楽をやらせたかったらやらせてみる、はあると思う。

それは、子どもが喜ぶように音楽をさせる努力って、うちの親の場合もっと必要だったなと思うし、親がさせたいことを、嫌がってもやらせればいい、という意見ではないんだけど。

ただ、音楽だったら音楽、学問だったら学問をやらせるのが虐待ではなくて、させかたの問題であることがほとんどなのに、やらせていること自体を虐待呼ばわりしていたと思う。

なんか、どこの教育評論家やねん、言うぐらい、上から目線の言い方やったし。

あ、時間きたからボランティア行ってきます。

とりあえずこんな感じです。

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