やっぱり、自分が悪いかもとか間違ってたかもは思わないんだね。
苛めをなくしたければとか言って、あなたのしてきたことは、楽しく遊んでいても大丈夫な人たちで集まって、受験勉強をしたりする人にかけてきた暴言はほぼ苛めだったと思う。(わたしは、受験勉強をして教育を受けたりする方法が、自分で考えない人間になるとは思ってなくて、やはり学校で習う社会の教科とか、無駄なこともいろいろあるけど、社会問題のあり方とか知ることができるし、理科だって科学的に考えることができるし、数学や国語も必要だと思うし、英語はちょっと教授法が時代遅れだけど、ないよりはいいぐらいの思いで。なにより、実際に世の中を良くしようと思えば、うちの子は心理学や社会学をちゃんと学んで専門知識をつけたいし、それをするには受験を通らなければならない。受験制度を変える側になるのは、受験制度を通った人間たちが現状ほとんど関わるのだから。)
自分では悪口言ってないスレスレのラインを通ってきたつもりだろうけど、本当に、受験勉強をする人の悪口とか、あなたも言っていたじゃない?私記憶あるけど?みたいな。自分は正しいことしかしてませんでした、みたいな記述多いよね。
自己肯定感持つのいいんだけど、あなたの場合は、他の人を低いものとして自分に優越感持ってる時が少なくないのだけど。例を出して、こういうのは間違ってるけど(間違っているのではなく、ひとつの方法であるときも含めて)私たちはなんて正しいの、みたいな。
で、あなたの思考力は、けっこういろんなところに配慮が足りない。
実際、ルールに縛られるとか、偏差値の低い学校ほどルールがあって、うちの子の言っている某高とか、ほとんど生徒の自治に任せられていて、だいたいのことは生徒が決める。校則がおかしければ、生徒が変えてきた。受験勉強をがんばるのは、従順な生徒になるための子どもばかりではない。修学旅行(某高ではそうよばないんだけど)も、生徒が企画する。大阪の文理十校のなかで、某高が進路実績とかが今一つなのに対し、いつも倍率上位になるのは、そういうルールに縛られない校風があるからだと思う。大阪の場合は、公立は偏差値が上の学校に行けば行くほど、理屈に合わないことを言う教師が減る。実際、それを知っていたから高校受験は頑張らせたし、高校に入ったら、大学受験はNoneのやりたいことをやれる学校にすればいいという話になっている。
現状、その自由な校風の学校に行くために、公立中学で内申点をもらわなければならず、公立の中学の先生のなかで、無茶を言う先生にも合わせなくてはならないとか不条理な思いに堪えなくてはならない時期が実際できるのだけど。
それをするのに思考停止に陥る子もいるだろうけど、そこから人間の心理に興味を持ったり、社会問題に興味を持ったりする子もいると思う。いつも大人が適切に対応してくれる子とは違う、得るものもあると思う。
たぶん、他の地域でも似たような現象があるから、みんな受験勉強とか頑張るんじゃないだろうか。そういうの、あまり現実を知らないことに対しても、自分の偏見で批判するところあるよね。受験で頑張る子は、制度に盲従する子だってね。
まず第一に、あなたが「正解を出す力の出し方」を本当に知っているんですか?
私がこれからの時代はAIで英語ができるようになるとブログに書き始めたとき、まだあなたは英語ができることの優位性をブログで書き続けていたように記憶するけど?
日本の、高いレベルの教育を受けられる高校の生徒が、みんな教師の作るルールにしばられるばかりの教育を受けていると思って、そんな状態でお客さんに教育についてのアドバイスをしているの?
日本の教育制度に問題を感じている人の話とかいろいろ聞くんだけど、ちゃんと教育に詳しかったり、現在の教育制度がどうなっているかを知っていたり、しているひとの話とか頷けるところがあるんだけど(そういうの、あなた、情報に溺れているとか言って一蹴りしそうだけど)あなたのは普通の主婦の思い付きレベルを超えてないから。あなたのところに来た迷っている人の方が、よりよい答えに近いものを出そうとしているときもきっとあるから。
自分を肯定することは正しいこと、ということを原理的に信じてはるんやろうけど、根拠の足りない考えを確信してたり、危険なところあると思う。
とりあえずこんな感じです。



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