同じかもしれない

うん、たぶん前の牧師からこのブログのことを聞いたのかなとも思わなくもないんだけど

今日、ドイツ語と哲学ができるホームレスの話をされたのは、ドイツ語と哲学をやった私を揶揄していたんだろうなとなんとなくはわかるんだけど。

で、哲学とかわかったり、学校で偏差値が高かったりするひとが、運動ができたり、人付き合いの得意な人と相対的に見て同じ価値にある話をされて、

まあ、聞いてたら、偏差値が高かったり、哲学ができたりするぶん、人付き合い的な価値はめっちゃ下がるみたいに言われたような感じだったんだけど。

なんかね、大阪の貧困層の役に立つ職業を目指して、公立ルートですすんでいきたいというだけの話だったのに、なんでこんなに敵視されるんだという思いをまたした。

なんとなく、先週も、家庭トラブルがあって、助けを求めに来た主婦が文句言われてた話を聞いて、確かにその主婦は、教会に多くの負担をかけすぎる救済を求めていて、なんか、レミゼラブルのジャンバルジャンを助ける牧師なみのことを要求していたらしいけど。

そのときも、その主婦が我が子が北野卒で京大に行って就職しているという「自慢」をしたと言われていたんだけど

それを聞いたときは某高に行って国公立大をめざしているうちはどうみられているんだろうとは思ったんだけど。

前のブログは、実際教会に救済を求めに行ったけど、勉強で頑張るといういみでは応援してもらえなくて、ブログの方では、お金はなくても公立の上位校を目指すことができ、公立ルートで高等教育を目指す人たちの情報交換の場所をめざしていたんだけど。

やはりここは、経済的余裕のある引退した年齢の人が交流するための場所なのかなあと改めて思わされたりしました。

高偏差値であることを威張るつもりはないけど、(もちろんね、国語で偏差値85だったことは、日本人なら普通に話せる日本語の能力を、とりたてて国語に集中して勉強させたわけではないのに身につけていることは、人の話すことを、人並み以上に理解できるんだと思うからうれしくて言ったりもするんだけど、たぶんこれが英語だったり数学だったりしたら、そんなに繰り返しは言わない。)

もしかしたらちゃんとした訓練を受けた心理のプロになって困っている人を助けられるかもしれない、国語の先生になれるかもしれない、を応援してはもらえないのかなと思う。

高度な訓練をしてくれるだろう高等教育は、高偏差値の入試を通らなければならないから受験勉強をがんばるだけで、高偏差値であることを威張りたいからではないのに。

同じなのか、町内会と、親から暴力をうけて、家の中で叫んでいても、助けたって誰も評価しないから助けないあの人たちと、

Noneの行ってる社会活動のほうが、実際家にお金がなくて食事がとれない子どもを助けたり、勉強を教えたりしている。

神様を盲目的に信じていたら救済されますよと言う話をきいているのと、現世の力で困った人にしゃもじを掬っているのと、

どちらが、いいんだろう。

教会に行ったのは、学問や他のことに対する勤勉さを身につけることと、奉仕の精神が身に着くだろうと素人考えで思ったからだった。

間違いだったかなあ。

前の牧師さん時は、間違いなく教会というより町内会という場所になっているので、それでもNoneの社会化の場所になると思って通い続けたけど、

次の牧師さんでも同じかもしれない、ボランティアをしていたほうが、祈るより社会学や哲学を学んでいる方が、本来自分が期待したものに近づくのかもしれない。

高校を聞かれたから某高だと言った、知らないみたいだったから、そのまま流した、以上の、うちの子高偏差値なんですは言わなかったし、そのあと、神様の救いを感じたことを言ってくださいというときに、お金がないから私立の受験に困ってたら、特待になれる成績で合格できましたとは言ったけど、そのあと牧師さんが日本の大学と院を返還しない奨学金で通うことができる話をきいたし、特待で行けた私立の特待は、そんなに高い成績でなくてもとれたんです、と、一応は謙遜しておいたというのに。

まあ、社会思想の本を読んだり、語学を勉強しているだけの状態で、社会的地位が、コンビニの早朝バイトを続けられるのか不安定な状態だったら、哲学とドイツ語ができるホームレスと大差ない、社会へのかかわりしかないんだけど。

Noneが帰ってきたので、Noneの今社会活動しているところで、オカンぐらいのオバちゃんでもできるボランティアとか募集してないかわからへんか?と聞いたら、わからないと言われたけど、オカンが神様に全的信頼を置いているより、世俗でそういう活動をするほうが望ましいと思ったのか、ちょっと私の言い分を聞いて、「あったら紹介する。」と言われました。

今日思ったんだけど、私立のお金のかかる学校にいける経済的余裕のある家庭の方が、お金がないから必死のパッチで勉強して入った子のことを悪く言う。同じようにお金はなくて、本来公立を志望してたけど私立になってしまったような人の方が、うちのように、当日の試験の運とかもあって合格できたんです、って認めてる家だったら、そんなにひどくは言わないのに。

こちらは別に、相手が経済的な余裕があることを嫉むような話をしてなかったのに、そんなふうにお金がないから頑張ったのに、それを認めてくれないと、お金のない人は貧乏人の必死さがわからないんだと思えてしまう。

まあね、こうなると、DVに合っていて助けてくれと言ってきた主婦が、我が子が北野卒で京大卒でそれなりの会社に就職している話をしたのが、彼女なりの心の拠り所を話しただけだったんじゃないかと味方したくなったりもする。

ななめからものを見る人を受け入れない組織なら、そこまでなんだろう。助けてくれと言っているのに助けてくれない、困っていると言ったら、助けてくれないだけでなく、さらに騙そうとするひとがいる、そういう待遇を何回も受けて生きてきた人に、必要なのは「怖がらなくて大丈夫ですよ」と言ってくれる場所で、教会がそうでないのなら、(歴史的に言うと、教会って、そういうアジールだった時代があって、それを知る人がいまだにそれを期待する人がいるのは仕方のないことだと思うけど)もっと救済的な機関がおおやけでも民間でも今はあるのだろう。

実際ね、教会にできなくて、相談に来た人に対応しようというのなら、
ドメスティック・バイオレンス(DV)に関する相談機関一覧

を紹介するとか、できるなりのことをしてあげられたんじゃないかと思うんだけど、
教会にとって都合のいいひとばかりに集まって欲しいのかもしれないと思うし、それだと、普通に町内会でいいんだ。(課税されないのはどうしてなのかを改めて考えてしまう。現状を見ていると、思想団体と同じ扱いでいいのではと思わされるところがある。)

まあ、しばらくは様子を見ていようと思う。
牧師さんの奥さん(奥さんも牧師の資格を持っているんだけど)はNoneのために地震で中止になった修学旅行のことを気にして手紙をかいてくださった。前の牧師さんもそうだけど、奥さんの方が、博愛を感じるひとがらだったりする。

とりあえずこんな感じです。

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