子どもの時のことを思い出していました。

昨日はちょっと針の筵みたいな状況で働いていたけど、今日は比較的穏やかに働けたと思います。

まあ、高校の時、バイトしろと言われて、高校生だった私が自分で見つけられた仕事が、高校生可のマクドとかしかなくて、トロくて、いつも端っこの補欠みたいなレジで仕事してて、希望のシフトで働けることとかあんまりなくて、できる子が定期テストの週間休みがとれるのに、自分はガッチリいれられてて、みたいな、弱い立場だったのも、きっと私が素直な性格じゃなかったからでしょう。

実際、困っていて助けてくれるのは、その人が安全で、助けたことによって、いい気分になれるとか、何らかのメリットがあるからだと、私なんかは斜めからものを見ているから思う。

私が小学生の時、父親から夜中暴力を奮われて、泣いて叫んで助けを求めたけど、だれも助けてくれなかったは、私が素直じゃなかったからなんでしょうかね。父親の暴力から逃げれるだけじゃなく、施設か何かに入れて欲しいとか期待したのが悪かったのでしょうかね。

昼から、ちょっと出かけてて、移動の間
ワイルド・スワン(上) (講談社文庫)

読んでて、なんか、アジア人のルーツみたいなのを感じていた。

最初の方にある、この部分、

曽祖父は、楊家のひとり息子だった。つまり、一家にとってきわめて貴重な存在だったわけである。家名を継ぐことができるのは、男子だけだ。男子がなければ、家系は断絶してしまう。中国人にとって、これ以上ご先祖様に申し訳の立たぬ不孝はない。曽祖父は、りっぱな学校に通わされた。目標は、上級官吏試験に合格することだ。当時は、男なら誰でも上級官吏をこころざした。役人になれば、権力が手にはいる。権力があれば、金が手にはいる。金か力がなければ、いつなんどき役人に家財を没収され殴る蹴るの暴行を受けるか、知れたものではない。中国には、きちんとした法制度が存在したことがないのだ。正義も残虐な刑罰も、為政者の気の向くままにおこなわれていた。権力を握っている役人こそが、法律だったのである。貴族以外の家柄の者がこの不正と恐怖の渦からぬけだす道は、役人になる以外になかった。

まあ、私が幼かったときは、戦後の混乱期を生きた親とか祖父母の世代が同じように為政者を信頼してなくて、私自身も警察とか学校の教師とかが信頼できないのを見て育ってきたから、(あと、この話はこの時代の中国の女性が、いかに男性とか家族のいいなりにならなければならなかったかと続いていて、私が育った日本の70年代に残っていた男尊女卑を同じように思い出したりしていました。)そこに流れるDNAみたいなものを思い出していました。

父の話をどこまで信頼していいのかわからないけど、父の父、私の祖父が沖縄からパスポートで大阪に来て、肉体労働者になったのだけど、給料日に、当時は振り込みとかじゃないから、帰り道に鍬で頭を打たれて給料取られて亡くなったんだけど、沖縄出の、沖縄部落の労働者の殺人なんて、当時は警察も相手しなかったと聞いていて、父の家庭は路頭に迷ったらしいんだけど。(まあそれも、祖父とかその家族が素直じゃなかったからそんな目にあったのかもしれないけど。)

まあ、今でも、子どもをすきなことをさせて自由に、とか言う人たちのグループを見てたら、教育機関に目を肥やせるぐらいの富裕層で、あるていど将来が保障されていそうに思うから、縁のない世界の人たちが、下層であがく人たちを見下しているんだなあと思うんだけど。(誰でも入れますとか言ってて、実際入ったら、貧困から抜け出ようとするのをあきらめないといけないようになっているし。)

母方も、父方も、身内から知的職業につける者が出るのをどれだけ期待していたか。

まあ、うちも、あと他のうちと似たような家とかで、子どもにマシな教育受けさせたいから、母親が内職でとか、そういう世界を見てきたから、ホンマ、子どもを信じてのびのび育てさせていれば子どもは伸びるからとか、余裕な家庭とかが教育に必死な家庭とか馬鹿にしてるの腹たつわぁ、みたいな。

うちは、子どもを信じてのびのびと、みたいな家より、自分の持ってるもんみんな投げ出しても我が子は大学へ、みたいな家の方が近いからね。

もちろん、父の代も母の代も、子どもに知的好奇心を育もうとしていたけど、実際私が大人になって、ある程度知的な職業につける学歴をつけた人たちの育てられ方をあとで聞いた中からの理想的なものから言えば、大変に粗末な教育方法だったりはした。

ナイトメアビフォアクリスマスみたいで、ハロウィンタウンの住人が、いくらクリスマスタウンの生活のマネをしようとしても、発想も持っている素材もみんなブキミだから、たしてもひいても、かけてもわってもブキミなんだな。

金持ちはのびのび育てていても、将来ゆとりのある職業に簡単につけるのかもしれない、でも、私が見た、そこそこ貧乏な家から、知的職業に子どもをつけさせることのできたサクセスストーリーは、そういうものではなかった。

市立図書館で教育学や発達心理学について調べて、貧困層の予算でもできる効果的な教育を考えたりとか、そういうほうが近い。

(もちろん、私の見た中では、共産党の人が、共産党の中で京大とか阪大とか行った共産党の家の子がほかの共産党の家の受験頑張る家の子に格安で家庭教師しているのが最強だと思ったけど)

今は市立図書館じゃなくてもネットとかもあるけど、ネットの情報で、お金のかからない方ほ教えますとか調べたら、珠玉混合だからね。

英語教えてて、Noneが国語ができるようになったのはいい意味での大誤算なんだけど、それこそ、公立の学校での国語の先生になってほしいなと最近は思っていて、Noneもやる気にはなっていて、

まあ、倍率も高いから、思い通りにはならないかもしれないけど、大阪のハロウィンタウン、淀川区から出た子としては、いい進路の希望を持ってくれたと思う。

自分の好きなことをやればいいだけの、のびのびとした進路の希望じゃなくて嬉しい。

ななめからもの見てるとか、素直じゃないとか、子どもを潰してるとか、言うひとは言うんだろうけど。

まあ、たぶん、うちなんか素直じゃないから没落するんでしょう。

今日のこのあとの時間は中国語をできるだけ読んだり、ワイルドスワンの続きを読みましょう。

とりあえずこんな感じです。

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