人生のピークをすぎて学ぶということ

今日の心理学概論は、発達心理学。

ピアジェの説明もあったけど、大人の発達と言うか、年齢なりの学習能力の話もでていて、

人の学習能力は、20代をあとに衰えていくけれど、昔の60代より、今の60代の人の方が衰え方が少ないということがわかっていたり、今の20代と60代を比較すると、20代に比べ60代が衰えているんだけど、今の60代のひとが20代だったときの成績に比べたら、20代からそんなに衰えたわけではないらしくて、今の20代の人が60代になるときには、今の60代よりも良い成績をとっていることが期待できるかもしれないという話をしていたと思います。

まあ、放送大学とかは、もちろん現役世代で放送大学で学習をしているひともいるけれど、どちらかというと、生涯学習として、若いころに勉強ができなかった、もしくは若いときに勉強したものと違う学問を学習しようとしている人のための放送と言うこともあって、大人になった人の学習者に対して配慮のある放送になっていると思います。

年配になってからの学習が十分有効であることを表すデータを出していて、でもかつ、若い人と同じようにやれるような無責任なことは言わないといったところがいいなと思います。

もちろん同じ年齢でもできるひととそうでないひとがいるように、年配でも普通の若い人よりできる人はいると思うんだけど、普通の人が20代をピークにしているのが普通であれば、自分のピークは自分の20代だったんだという認識は持って、訓練によって20代に準じる結果を出せるように努力するようにすればいいんだと思うだけで。

今日、近いうちに面接でも受けれるようにしないといけないと思って美容院に行ってきました。思ったより腕のいい美容師さんにあたって、ちょっとシュッとしてもらって帰ってきました。

でも、やはり年なりの衰えとかあるし、20代と間違えられる見かけとかには、どんなに頑張ってもならないのはわかりますからね。

でも、今日アフタリフトのCMに出てた松田聖子さん見てて、まああの人、外科的にも手がはいっているらしいけど、見た目若いなと思って。それでも20代と間違える人はいないと思うけど、準じることはできるんだとか思って。(とか言って、だいぶん前にドン・キホーテで買ったハトムギ化粧水思い出してつけたりしたんだけど。目の下どうしてプヨンプヨンになるんだろう。松田聖子さんほとんどできてないんだけど、アレはやっぱ外科的になんかしないといけないのか、それともアフタリフトとかコラーゲンとかの問題なのか、って、ここでググったら目の下の志望取るの30万ぐらいとかいうサイトあって、たしかに術後若く見えるようになってた)

知能テストとかでも、20代で受けたものを60代で5%成績が下がっただけの人とかいるとか放送大学で言っていたけど。

それも、なんかのサプリとか、訓練とかするのとしないのとで差があるのかなとか思ったり。

ただ、自分自身のことで言えば、20代の時にできたであろう計算問題が今できないけど、英語や中国語とか、20代でできなかったことがアラフィフの今できたりするのとか、どう受け止めていけばいいんだろうと思ったりします。

あと、前に60過ぎてから水泳始めたおばあちゃんが、スイスイ泳いでるのテレビで見たことあるから、その人が20代の時とかもっと早くに始めていたらもっとすごかったのだろうがあっても、やることそのものが意味がないとかは思わないし。

年齢忘れたけど、定年過ぎてからプログラミングを覚えたおばあちゃんで、年寄り向けのスマホアプリを作って販売している人とかの話も見たし。(ただ、ものすごい単純なゲームで、そんなに高い技術を使っているようには見えなかったんだけど、そのかわりシンプルなゲームがお年寄りに受けているらしいという話だったんだけど。)

それでも、自分が20代の時の学習環境ではできなかった中国語が、40代を過ぎてからある程度だけどできるようになったし、プログラミング覚えたおばあちゃんなんかも、もちろん若いころプログラミングなんてのは、テレビを見る限りでは彼女の時代にはガッチャマンとかデビルマンとかに出てきそうな特殊な機関でしかコンピューターとかなかったんだろうし、年配になってからできる学習機会とかを、年齢なりにやっていけばいいんじゃないかと思います。

Noneには、今のベストが人生のピークになるぐらい頑張って欲しいし、(そういう意味では、若いころに事情があったかなにかで頑張ってなかった人のピークが年配になってからのケースとかはあるだろうけど)時代が変わったりやりたい別のことが年配になってからできても挑戦して行ってほしいなと思います。

自分が、社会人入試で大学に行くことにしたことは、そうせずにどこかの企業で職歴をつけたほうが今の人生が良かったのかもしれないけど、学んでいて良かったと思います。(言い訳的に言えば、就職氷河期の時に仕事を探すのに、ただの無職より、夜間大学生の方が仕事が見つけやすかったように思っているし、貿易の仕事というだけのことを言うなら、社会人夜間大学卒とうのが気に入られたんだろうなあと思ったところもあるし)

他の人から見れば、凡人が凡人育ててるだけなんだけど、自分が自分の人生に疑問を感じて学問をして、それを子育てにつぎ込んで今のNoneがいるんだと思うし、それは紛れもない家族史で。

Noneにもし、教職で受かったのが大阪の外の地方自治体だったら行くことができるかいと聞いたら、Noneは考えてみるけど難しいと答えました。

公立で教育を受けていても、人生の改善を期待できる度合いが少ない地方自治体とかは、受験するとしたら受験するにしても、また教育の意味を考えないといけないのかなと思いました。

って、私自身、哲学を学んだことで、別に賃金の高い職業につけるようになったわけではないけど、ものを考える見方が変わったり、育児に活かせたと思うので、そういう意味での人生の改善ができる国語教育なら、どこの地方自治体でもできるだろうとは思うけど

連休が終わったぐらいに連絡があるだろうと思うけど、ひとつ求人に応募しました。

昨日応募したのは、前から言っていたところではなく、昨日見つけて、コレイイって、とびついたものなんだけど。

前に言っていたものは、仕事について学習しないといけないものだったので、もし受かったら、中国語とか韓国語とかドイツ語とか英語とか言ってられなかったと思うんだけど、こちらで受かってくれたら、もう少し余裕があるかなあという意味で期待しているんですが、

今日、Eテレを見ていたら、日本語の番組を久しぶりに見るのもいいなと思いました。(遊ぶ場所を確保できないので、体を十分に動かすことができないので体の発達に問題を抱えている子どもたちが多い話が興味深かったです。人間がどう生まれて育つか考え直すときがきているんだなあと思いました。)

って、民法の世界一受けたい授業も見てて、アルツハイマーの話とか見てて、食事とか見直した方がいいとか、元アノニマスの人のハッキングの話とかも面白かったんだけど。(Noneもところどころ面白そうに見に来ていました。)

私は、これからなにをどのように学ぶことができるか、それがまた誰のどんなことに役に立つのかとか考えさせられました。

アラフィフなみの習得を覚悟しながら、自分がなんとなく認識している50代前後のひとにしてはマシな学習ができたらいいな、と思います。

まあ、自分の事やから、そもそも比べるとかないぐらい他の人がやらんことまたやっていくんだろうと思うけど(その知識を必要とする人がいるのかは別として、でも、基本的に我が子Noneの背骨になるような知識を身につけようとはすると思うんだけど)

とりあえずこんな感じです。

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