複雑な気持ち

まあ、もうどこかバレてると思うから隠さないけど、某高今日創立記念日で休み。(気分はちょっとしたGWの延長)

朝8時に起きて、放送大学の心理学概論を見る。

そのあと、全統模試の申し込み。(まあ、関大の試験会場は締め切られているね。)

そのあと、Noneはスタディサプリをして、私はHSKの単語アプリをしていました。

そんで、私だけ昼前に、今日の祈祷会の聖書の引用とかを予習。

昼食後、教会に行ったのだけど。

まあ、なぜか、みんなが教会に来ることになったいきさつを問われることになったのだけど、

おじいちゃんおばあちゃんの参加者がほとんどだから、みんな昔話長い。

私の時には、うまくまとめて言うことを期待されている雰囲気になったので、私が幼少期、問題のある家庭で疎外されて生きてきたこと、大人になってから大学でドイツ語を選択する機会があって、ドイツの哲学や歴史を習ってキリスト教に興味を持ったこと、娘が生まれて、社会化する場所を与えたくて教会に通いたいと思い、語学に興味があるから国際的な教会も考えたが、娘が近所の教会をと言うので、この教会に通っている話をしたのだけど。

その場はそれで終わったのだけど、牧師さんが銀座の教会でお仕事をされていたとき、青山の幼稚園に受からせたい親が教会に来るようになるんだけど、結果が残念なら通わなくなって、手切れ金みたいな寄付をしてやめていく話とか聞かされて、

まあ、前の牧師さんのときもそうだったんだけど、なんか、ウチが受験に有利になるように教会に来たとか勘違いしてない?みたいな気がしなくもない。

信仰が、学習意欲を増進させることは確かに期待をしていたけど、そんな目でみられていたらイヤだなと。

それに、今Noneの成績が国公立は難しくなっているから、結果私立でも、父親が授業料だしてくれるなら、結果OKで行こうと思っているけど、

高校受験も、大学受験も、教会のコネとか聞かない国公立志望だし、キリスト教はご利益宗教じゃないと何回も聞いてるのに、理解できないで通い続けているバカでもない、と、内心ハラワタに来たりもしたんだけど。(今日も、受験目当てで教会に来ている人はキリスト教をご利益宗教と勘違いしている話をきかされましたし。)

まあ、前に、牧師さんの奥さんからNoneの通っている高校を聞かれて答えたんだけど、大阪に住んでいたことのある奥さんだったけど、旧第四学区(五学区制のとき)だし、大人になってから東京に住んでるから、某高の名前知らなかったらしく、なんか適当にごまかされた感があったから、ごまかされたままにしていたんだけど、

国公立、頑張れば行ける圏内にNoneがいてくれてたら、うちは国公立を目指してるんです、と言えたかもしれない、と思う。

親の見栄とかで進学させるつもりはないんだけど、こういう敵意みたいなのを感じたときに、強く言い返せる力がほしくなったりはするもんだなと思う。

社会的な弱者でも、教育を受けれる権利が得られるような社会にしたい、識字を普及させた宗教改革に親近感を感じてプロテスタントになった、それは、やはり、私がなにか間違っていたのだろうか?

まあ、先週、Noneが社会活動に頑張っている話をしたのも、慈善活動をしている人に例えられたんじゃないかというところもあって、まあ実際、若いNoneに自己満足的な感情がないとは言えないんだけど、やはりハラにたまったりする。

教会から帰った後、教会学校でお世話になった人が入院している病院に、Noneが学校休みだから一緒にお見舞いに行けるので行ってきました。

先週行ったときより、事態がよくなっていて、嬉しそうにされていました。

神様に祈れば病気がよくなるとは私は思っていないけど、クリスチャンにふさわしい人格を持っている人は、こういう病気になったときに、心から回復を祈ってもらえるものだと思っていて、大事なところはそちらなのではないかと思っているところがあります。

まあ、我が子の進学を牧師に親身に考えてもらえないのも、私の不信仰による問題なのかもしれませんが。

大阪で、しかもこの淀川区で、高い教育を受けることを目指すということを望む者が、我が身かわいさの立身出世を目指す者ばかりでないことをわかってもらうようにすればいいのかなと思います。(まあせめて、青学の幼稚園を目指すような種類の人間ではないことを。)

もし、Noneがしている社会活動を牧師が慈善と言うなら、私は甘んじてその慈善を応援しよう。

まあ、今日、教会学校の役員さんのお見舞いに行ったときに、今の牧師さんからもらったという「コンサイスバイブル」なるものを、「私は聖書を持っているのでいらないから、参考になったら読んで。」と言われていただいた。

まあ、本そのものは、聖書をわかりやすく書いた読みやすいものだったのだけど、それを発行しているという「聖書配布協力会」というところが、なかなかいわくがある。(問題のある組織とまでは言えないものの。)

牧師さんも、聖書配布協力会というのも、外から日本に来ているもの、ではある。

で、一応、私たちよりも日本で社会的な立場を得ているような気はするし、当分様子をみていようと思う。

自分たちが理解されるのか、変わることを求められるのか、そもそもかみ合わないものなのか。

正直、確かに聖書配布協力会のコンサイスバイブルは、キリスト教の思想が初心者にわかりやすくは書いてある。なんか、日本の田舎にブキミな看板とか貼るらしいけど。(ボンカレーととある消費者金融の看板でセットになっていることが多いらしいので、その記事を書いていた人はなんか関連があるのかもしれないと書いていたけど)

実力でNoneには国公立大学の心理学部に受かってほしいと思うようになったし、慈善事業と言われない心理学を活かした職業についてほしいと思うようにはなったけど、

キリスト教の博愛主義みたいなのが、今の福祉的な思想の背景にあると私は思っているけど、キリスト教を信仰しているということが、Noneが目的としている人助けに役に立つのか、人間の学問のほうが役に立つのではないかと若干疑問を持つようになったりはしています。

とりあえずこんな感じです。

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