朝、やっぱり認知心理学の講義を見てました。
学習についての講義で。
この認知心理学の講義で、優れた能力を持つ人は、ピアノなどで言うと、練習時間が5時間より7、8時間の練習を積んでいる人の方が、よりよく能力が発揮されて、そういう訓練を幼い時から受けている人は、並外れた能力を持つ、それは、親がこの子は能力があると思って練習させていたりするんだけど、実は、そんなに能力のある子ではなかったとしても、親がさせていた訓練で、卓越した能力を発揮するようになるというような内容を(朝、メモもとらずに頭に残っている記憶なので、きっちり正確に書いている自信はないけど、だいたいの意味はこんな感じでいいと思う)聞きました。
Noneは、子はのびのびと教育を受けた方がいいと思いたがるタイプなので、親が訓練した子が能力を発揮するんだということを聞いて、ちょっと黙りこくっていましたが、ある意味自分が受けていた訓練が、自分の役にたっているかもと思ったりしたんじゃないかなと推測したりします。
まあ、運よく(?)子どもを訓練する親に育てられている子を、「かわいそうだ」とか「親にやらされて」とか一般的に言うひとがいなくなればいいのに、と思いました。Noneの場合、私が教育しているのを、子どもは自由に、みたいに思う人から「かわいそうね」と言われて、Noneは自分がかわいそうなんだと思ったりしたところがありますから。
今日はNoneは登校の日。そのあと社会活動に行きました。
今日、私は仕事で、けっこう残業とかして帰ってきたのですが、社会的活動をして帰ってきたNoneが、自分が今やっている社会活動がやっぱり性に合っていると思うし、今の社会活動のようなことを職業にしたいと言っています。
親としては、全面的に応援する方向で。
VHS-Cに撮っていたNoneの幼稚園ぐらいのときのビデオがDVDに焼かれて帰ってきました。後日パソコンで動画になおすつもりです。
幼稚園の時のNone、カワイかったなーと、ビデオみてつくづく思っていました。(ホント今、小憎たらしくなってしまっていて)
まあ、ディズニーランドのパレードで、バズライトイヤーが来たとか、グーフィーだとかで、あんなキャイキャイ言える時期に、そうさせてあげれたのはよかったのかなと思う。(本人がたとえ覚えてなくても)
社会活動をするようになったことも、私がなぜ幼かったNoneに
を見せ、
ぼくんち<全>オールカラー版 (ビッグコミックス)
を見せ、(さすがにこれは、ある程度の年齢になってから見せたんだけど。絵柄が絵本みたいだったので早くに興味を持ちましたが、「読んだらアカン」と止めてました。)
あと、アマゾンに在庫はないみたいなんだけど、Noneに永野のり子は必ず見て欲しかったので、それも読んでもらっててよかったなと思います。
そういう思想的柱があって、この淀川区に住んでいての、そういう社会活動でやりがいを感じる性格になっていると思うので、
そういう育てられ方と育ち方を合わせた、自分自身と親とか環境とかを合わせたところに人生が流れていくといいなと思っています。
まあ私もそうだけど、Noneの父親も複雑な家庭の育ちのひとだし、そういうのを見てきて理解できる子が
、教育を受けて、そういう人たちをよりよい生活に導けるような存在になれたらと思います。
とはいえ、朝、5時間訓練するより、8時間訓練する方が優れてるって聞いたんだから、もっと勉強しろよとか思うんですが、(とはいえ、ひとつのことができるひとが、それを他にいつも応用できるかというと、そうとは言い切れないらしいので、受験勉強がそのまま、社会に出て仕事などに活かせる能力といいきれるかは疑問なのですが)もうちょっと勉強の時間増やせよ、とか思うんですが。
まあ、生活ができそうな方に向かって言ってるんですけど、蜘蛛の糸をたどるような感じです。
神様や仏様に見捨てられないように、善い行いみたいなのを続けていければと思っています。
とりあえずこんな感じです。
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