AIで仕事がどうなるかの本を見てきました

昨日は感情的になっていたので、いつもより文の乱れがひどかったね(^^;)

昨日の続きをジュンク堂に読みに午前中行ったんだけど、こっちのほうが面白そうかなと思いました。

今までに書いたかもしれないけど、BIはベーシックインカムの略で、AIと絡めて言う時、ベーシックインカムのことをBIと略されることが多いです。

前書きは、人間は今、スマホが生活を変えた以上にもっと生き方が根本的に変わるすごい転換期にいるのかもしれないとか、そんな大きいとりあげかたで、(読んでだいたいで覚えてきてるから、引用でも
なんでもないんだけど。)

午前中、前半に書いてあるAIのところだけを読みました。

って、AIの歴史と、今のAIにできることと苦手なことが書いてあって、

オックスフォードと野村総研の共同研究によれば、日本の49%の仕事がなくなるという結論になっている話が書いてありました。

日本の労働人口の49%が人工知能やロボット等で代替可能に

まあ、前に英語の翻訳の仕事の多くが機械翻訳に変わられる話をしたときもそうだけど、決して今英語を頑張っている人の仕事がなくなればいいのにと思って書いたわけじゃなくて、現状を知って、それでもこの先に可能なことを考えてもらえたらと思って書いていたんだけど(だって、その人の状況が悪くなればいいと思っていたのならら、たぶん、その仕事なくなるのに、と思いながら傍観していたほうがそういう結果に近づいてたかもしれないんだし)で、そのときと同じようなことをまた書くんだけど、この本によれば、まあ今高学歴な人が高い給料でついているような仕事で、AIが代わることができることは、そこを企業はAIでコストダウンしてくるだろうと予測していて。私的には、受験戦争の勝ち組路線でいくなら、着地点には気をつけた方がいいんじゃないかという提案で。

ただ、この本が頭脳労働はなくなっていくだろうけど、こちらは大丈夫とか書いている、レジなどの仕事は、商品によって丁寧に持ったりとかが難しいので代わられないだろうと書いてあるけど、コンビニの無人レジとかもう始まっているし、あと、AIができないから、人間しかできないからって、高い収入をもらえるわけじゃなくて、人間でも非熟練労働者でできる職種は、いつだって低賃金なんだろうと思う。

介護とか保育とか、それなりの訓練が必要で人間がしないといけない仕事ですら低賃金なのに。

頭脳労働で、儲かる仕事のうち、AIで代わることができる仕事は、募集そのものがなくなるが、儲からない仕事で低賃金でも、AIやロボットで代われない仕事は消えることはない、という意味だととらえるとしても。

まあ、昨日の記事に関連するけど、今高い給料がもらえているような職業を希望して受験勉強がんばっていて、それがAIの仕事になって募集がなくなったからという理由で、そんなに勉強しなくてもつける仕事に就かなければならないことになると、ものすごい攻撃うけるようになるんじゃないのかとか、その辺は不安になったりする。

実際、今AIが何が苦手でとか、読んでて、今現在できないことでも、もうちょっと先にはできるようになるんじゃないかとか思って、だって、機械翻訳はつかいものにならないとか、つい最近まで言われていたことだったのにということがあるから、今できてないからって、それを今から目指すのは若干大丈夫かと思う。

AIとかBIについての情報は玉石混交ってこの本に書いてあった。(って、自分のこの記事なんかイシコロのほうなんだろうけど)

できるだけ広くアンテナを張って、よりよい結果をえられるようにしなきゃと思う。

まあ、もううちはNoneがある程度まで成長してしまっていて、私がこの職業が無事そうだからそれを目指しなさいとか言えないし、本人がやりたいことが決まってきているから、それを踏まえての情報提供ができたらという行動しかできないけど。

Noneが社会活動とかしてるのが、AI社会に耐えられる進路に結びつくのかわからないけど、ここまで来ると、受験勉強を頑張って学歴を上げるのとどちらがいい結果になるかわからないから、やりたいほうのことをさせてあげようという方針で。

この本の近くに、また面白そうな本が

まあ、さっきのAIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)にも書いてあったけど、AIが発達することで、人間のスキルが落ちてきているんじゃないかと言う指摘があって、確かに昨日、ブログ書いてて「欠点」の反義語が出てこなくて、うわあ、自分の語彙力落ちてるわぁ、思って、年のせいかも知れないけど、ちょっと前ならすっとアタマに出てきたものが、でてこなくなってる。

AI vs. 教科書が読めない子どもたちの第3章の、第3章 教科書が読めない――全国読解力調査、人間は「AIにできない仕事」ができるか?とか面白そう。

AIでできることを任していたり、BIで生活がある程度保障されたりしたら、生きるための努力とかしなくなるんじゃないかとは思ったりするんだけど。

そのへんは、きっと自分は生活が保障されてAIで学習とかの道具がよくなるんだったら、なにか学ぼうとするだろうな、と思うんだけど、依存的なゲームで日々過ごすような人が増えるのかもしれないは、相変わらず思ったりして。

実際、今、社会保障の概念とその歴史について考えてみようという気になったのも、自分が窮地におかれたからだったりしますからね。

それでも、私が生まれた時代は、普通にしていれば、なにがしかの職業につけて、生活ができる、という状態でしたが、のんべんくらりと生きよう、というよりも、科学者になりたいとか宇宙飛行士になりたいとか、夢見がちな希望を持つ子どもたちが多くて、生きないといけないからとかじゃなくて、やればできそうな気がするといった、希望が持てるか持てないかで、勉強とかその他の生産的活動を選ぶかどうかが違うんじゃないかなとは思います。
(まあ、本当、時代変わっちゃったから、AIの到来でBIとか言ったら、保障された最低限の賃金で宇宙飛行士になったバーチャルライフをみんなが送るとか言ったシュールみたいな。そういうの予測すると、人間が人間らしく生きる意味とか問いたくなったりもするんですが。私は人間らしさを追求することが有意義だと多くの人がみなす社会を期待するのですが。)

4月に発売予定の、

も、私的には要チェックかなと。(こんな本また出してホリエモンはお金儲けが得意だなあと思いますが)

明日からNoneは予備校の春期講習です。

無事受講できるのか、効果はあるのかみたいな感じですが。

今日武田製薬権利落ち日、今日1日でびっくりするぐらい値段下げてますね。AIが株を売り買いするのだとしたら、ローソクの上下とかで売り買いするのではなく、その企業の業績を正確に計算して売買するようになってくれたらいいのになあと思います。それだったら、人間の投資家も投資をあきらめることはないし。
追記:株の売り買いを人間でなくほぼAIがするものになったら、バブルは起こらないのかもしれないし、予測不能な暴落(実際の企業価値から著しく株価がさがること)もないのかなと今思いました。

とりあえずこんな感じです。

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強気を挫き弱きを助くってのは正しいのか?

昨日、Noneと話していたことがあって、

オズの魔法使いのブックワームが学校指定の読み物だったんだけど、

自分の趣味で、オリジナルの翻訳版を読んでいたNoneにとっては、案山子がネズミには深い愛情を見せるのに、猫には残酷な仕打ちをした話がブックワームでは抜けていたことを残念に思っていた話をしていて。

まあ、この場合、今調べたらネズミは猫に追われていた被害にあっていた身の上だったみたいだから何とも言えないけど。

強気を挫き弱きを助くとか言うけど
(タケちゃんマンの強気を助け弱きを憎むじゃなくて)

学校の成績が良さそうだったからとか、経済的に余裕がありそうだったからという理由だけで攻撃を受けることってあるよな、って思って。

もう、前の牧師さんとは会うことがないことを期待しているけど、Noneが中3で受験勉強に追い詰められていて、それでも塾とか家の中だけで相談していて、教会は相談する場所じゃなかったから言えなかったんだけど、牧師さんは勝手にうちが余裕のあるおうちだと(経済的に余裕はないのは知っているけど、学校の成績はいいんだろうと勝手に思われていて)牧師さんが

「Noneちゃんは、お勉強ができるから、わからないことなんかないんでしょうね。」
って言われて

内申が、模試がって、追い詰められている時期だったのに。味方までいないのか、みたいな感じで追い詰められて。(某高ぐらい志望している話はしてたけど、それはうちが公立でしか進学できない事情も説明して窮状にある話もしていた話だったのに)

そのことを思い出してNoneに言って、

「弱い人を大事にするのはいいことかもしれないけど、お勉強を頑張っているとか、経済的に余裕があるとか、その対極にいる人を、なにも悪いことしてないのに攻撃してくる人っているよね。」

みたいな話をして、

Noneも牧師さんのその件は深く傷ついたと言っていて、

「推測するに、お勉強ができると、精神的になにか強くてきついこと言っても傷つかないと思って言ってるんじゃないかと思う時があるんだけど。」

と、私が言うと、

「公立の中で傷つけられて私立に逃げる子がいるぐらいなのにね。」

と答えました。

まあ、ホモエコノミクスみたいな守銭奴の金持ちとか、人間なら普通挫けてしまうような努力ができる勉強家とか、うちみたいな軟弱者から見たら、鋼の魂持ってるように見えたりもするけど。

うちが教会で傷ついたのは、勉強ができない相談ができる場所であってほしかった教会で、人間的な心とか持たずに勉強してる子で構う必要とかないみたいに言われたのが傷ついたのですが。それも、ほかの教会員とかじゃなく、牧師さんに。

まあ、あと、Noneが通っていた幼稚園で、Noneが私立幼稚園就園奨励補助を所得制限で受けれない家庭の子だということで、幼稚園の先生のうちの長の役職がつく先生に目をつけられて、ある日Noneを幼稚園に迎えに行ったら、Noneが他の子の集まりからのけものにされていて、
「わたしら、西松屋やからねー。」
みたいに、まるでうちの子が高級服を着せている家の子(だったとしても、それの何が悪いだけど)みたいにのけ者にされていたのを見たことがあります。(父親は所得があったがケチだった、今もケチだが、なので、私服は西松屋とかそのレベルのチープファッションで、なにひとつのけ者になる理由はなかったし、だいたい制服だからNoneの普段着、その幼稚園の先生の長、知らないはずだし、言葉の遅れてたNoneがなにか生意気なことを言っていたとは思えないし)

公立小学校でアルマーニとかは、無駄に反感買ってる気しかしないんだけど。

神戸線の中で、比較的経済的余裕のある人たちの住む地域に住んでいたから思うんだけど、(べつに、その地域で自分たちが金持ちだったんではないけど、)

(うちの家の立ち位置は微妙。父親が飲んだくれだったので、隔離されてはいたけど、母親は可哀そうにということで、一部の親切な人たちの子にピアノを教えることで生活はできていた。私の記憶する限りで思い出すには、親切ではあったけど、そういう上流家庭を気取る人たちの中でも事情のある人たちだったように思えるんだけど。)

同じように聞こえる、高いなにかを買ったとか経験したとか言う話でも、

ただ自分が欲しかったからとかしたかったからで話す人と、相手がそれが買えない、できないと知って、自分がそれができることを誇示しようとして話す人とは自然に区別がつく

前者は、その高級品のいいところの話を素直に聞ける。後者は、できるだけ聞きたくない。だけど、後者の自慢の人に、なんか言い返すとかはあんまりしない。(前者にしても後者にしても、自分にできて、相手のできない話をすることは普通にある。たいてい前者は普通に聞いてくれるけど、後者はなんかムキになったり、平常でない態度が返ってくることが多い。)

自分自身、相手が普通の家族の中で、自分にとって羨ましいような平和な日常を聞くのに、いちいちひっかからないようにするように生きてきたから、ほんとうにそれが高級品でも同じなんだけど、「あなたには買えないでしょう」という、その人の優越感を満たすための相手に選ばれたときは、その役目を放棄したいと思う。

確かに、強い人とかで、無駄にマウントしようとする人とかいるよな、みたいには思うんだけど

Noneも私も、マウントしようとするタイプは苦手ではあるんだけど。

だから、基本的に自分たちができることを話すときは、できないことも話して、いいとこも悪いとこもある普通の人であるように話しているつもりではあるんだけど。

実際、Noneが見つけて来る友達は、長所も短所もあるタイプと付き合っているのが楽しそうだ。

でも、いいところを認めて欲しいときはそういう攻撃をくらうことが多くて、短所を告白するとなんか勝ち取ったりみたいなイキオイでそれ繰り返し言ってくる人とかいたりで、加減が難しい。

自分自身は、それなりに考えたことを言ったときに、賢い人には、自分の言い分の通っているところと、間違っているところを、納得する形で認めてもらえることが多かったと思うんだけど、そうでない人は、どこの大学出た人が言ってるんや、みたいな、肩書で判断されてしまう経験もしてて、

Noneには現役でネームバリューのある大学に行って欲しいなと思って育てていたところはあります。決してマウントするためじゃなく、そういう肩書で判断される場をスルーできるようにと思って。

私もNoneもね、なんとなく思っているんじゃないかな、人に馬鹿にされない肩書を身につけることより、なんか、感じ攻撃したくなったから攻撃するとかいう人たちから回避できるような安息所を求めるんじゃなくて、そういう人を説得できるような場を持つこと、(まあ、それが自分でつくる安息所なんじゃと言われたらそうなのかもしれないけど)のほうがいいような気がする、という。

エリートの世界の、選ばれた人たちだけの安息所とかありそうではあるし、それを目指す人を止めようというわけでもないんだけど、(まあ、搾取したり独占したり、その力を使って弱いものをさらに弱くしようというのでなければ、あとやっぱり、たくさん儲けてタックスヘイブン逃げるとかもやめてほしいあと、やっぱり、選民意識みたいなのは話聞いてて感じると壁ができるよね。)

まあ、やっぱり、怖いのかな、なんか、お勉強してたから仲間外れにしてやるとか、

困っていた時に、本当に関わり合いになるとうちのトラブルに巻き込まれるんじゃないかと距離をおきながらも付き合ってくれていた人たち、それを縮めようとすると逃げられてしまうから、距離はそのままに交流は続けて、完全な解決はしてくれなかったけど、ときどき自分たちの生活を改善できる知恵はくれた。

それを逆にできるようになりたいだけなんだけど。

今、何か困っている人を、普通以上の生活ができるようにとかはする力はないんだけど、たとえそれが、お得な参考書1冊の話であっても、受ける立場の人にとっては人生が大きく改善する場合もあるだろうと。

実際、今現在、私が昔見た、上流家庭ぶる事情のある家庭の状況にすらなれてないんだけど。

なんか、まとまらないや、

明日起きれる自信もなくなってきたけど、とりあえず頑張ってみます。

今の社会、予測できる範囲の社会の中で、世の中をどうすればいいのかを。

若干、いまのところ現実にできたとしてもベーシックインカムはパンとサーカスなんだろうかと思わなくもないので、考えていこうと思います。

って、中国語教室の予習とかあるので、思想の方はゆっくり進んでいくと思います。

とりあえずこんな感じです。

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