特別な知識層に頼るより大切だと思うこと

今朝も、認知心理学の講義。記憶についての話。専門用語とか、さらっと流れてるけど、こういうのきちんと覚えないといけないことは知っている。(まあ、予備知識程度でいいと思っているから朝ごはんん食べながらだし、ノートとかメモとかとってないんだけど。)

まあ、Noneには、臨床心理士の試験とか、人間の記憶の限界ぐらい覚えなあかんことあるらしいし、公認心理師とか、それかそれ以上かもしれへんで、みたいな話をしていて。

そのうえで、型にはまった、こんなときこう返事するみたいなカウンセラーやったら、AIで十分なんやで、みたいな話もしていて。

ただ、Noneは、昨日の講義でやっていた黄色い日傘をさした女性に気づかない8割(気づいた2割が決して余裕があって気づいたとは言えず、そもそも集中できてなかったので気づいてしまったうちに入っているのかもしれないけど)が人並みに生活できる世の中を目指したいんだというような話をしていて、

まあ、でも、実際世の中を変えたいと思っても、現状受験戦争とかで勝った側が有利な社会ではあるんやで、みたいに答えて、

ただ、AIで世の中の9割のひとが職を失うとか予測されてる世の中で、寿命伸ばそうとか言って医療技術を上げようとしているのとかなんか、微妙に受験の勝者って頼れる味方ではないんだろうなと。

確かに、厳しい受験戦争を勝ち抜いた人に、その受験の敗者を助けようとかいうのはあんまり期待しないほうがいいのかなと思ったりはする。

自分ら大阪の市民とか、貧困とかあっても、チャンスができるだけ来るようにとかいう精神が市政や府政に感じられるから、貧困の人にチャンスをあげたら、貧困を解決しようとする味方になってくれるかもしれないと思って行動できるんだけど。

実際、ITのトップの世界にいるひとでも、人間の多くが仕事を失う結果になったらどうしようとか考えずに技術の向上を考えているらしいから、そうなったらどうなるかを、素人が考えていてもいいんじゃないあかとは思う。

Noneには、世の中が進んでいっても大丈夫なように、ITの世界のこととか、経済のこととか、できるだけたくさんの知識と考えを持った方がいいとは言っているけど、

もっと草の根の、いまこうしている普通の人が、どうなって欲しいのかをもっと声をあげていくべきなんじゃないかと思っています。

技術の向上を止めればいいとかは思ってない。

今日、急に言われて仕事に行って、クリーニング屋の仕事をしてたけど、洗濯物を手で洗い、鉄製の器具に熱湯を入れてアイロンをかけるような昔とは違う状態になっていて、それよりいい暮らしが現在できている。

問題は技術の向上した社会をどうするかにあるんじゃないかと。

まあ、社会学の専門の人もいるでしょうけどね。

私自身は、そういう専門の人が書いたものを読んでみて、人間が働かなくても生活できる社会が可能ならそれを希望しているんですが。

その社会学者も、現実の社会の人がどのような暮らしを望んでいるのかわからないと意見の出しようもないんだろうと思ったりするんですが。

激しい受験勉強を勝ち抜いた人たちとか、そうでない人が働かずにゆとりのある生活をしたいなんて受け入れないだろうなと思ったりはするんですが。

昔、必要だった労働量をそのまま現在の人に働かせようとするのが問題なんだと思うんですけどね、実際、そういう名残りとかいろんなところにあって、体育の授業とか、軍隊に出ることを想定して考えられたものなんじゃないかと思うようなものが残っていたり、(まあそれはそれで、日本の国防とかどうなるかとかの問題も関係するんだろうけど)私としては、人間の健康を維持向上するために考えた体育なら、もっと違ったものになるんじゃないかと思ったりするところあるし、繰り返しになるけど、公立の教育のほとんどは、かつて支配者層のためにあったものをそのまま民間人に教えているものが多いと思うっています。

Noneは社会運動に忙しいです。国公立に行けなかったら、私立の推薦組に笑われるんだろうなと思っているんだけど、None本人は、社会運動に参加している私立大学生から、「うちにくればいいのに」みたいに言われて、悪い気はしていないみたいです。

まあ、その関関同立のひとつ、Noneが心理学の資格をとるのにいるんじゃないかと思うような分野に、性格の悪いらしい教授とかいるらしいという噂を聞いているので、私としては避けて欲しい大学なのですが。

ただ、この社会運動をしているほうが、長くつきあえる人脈ができるような気がして、応援はしています。

今見ている放送大学の認知心理学の講義とか、東大の先生が客員教授になっているものだし、(もちろん中身は15歳以上の誰もが受けれるようになっているから、それを踏まえた内容になっているんだろうけど)Noneも、いわゆる偏差値の高い大学の方が、優秀な教員が多くて、設備もよくて、というのは分かってはいるみたいです。(まあ、性格までいいかどうかは別としても、ただ、認知心理学の講義の放送大学客員教授の東大の先生は見るからにジェントルで受けたい授業をしそう)

基本、最初からこの淀川区の自宅から通学可能な大学しか選択肢はないんだけど。

マイナー国公立と、関関同立がどちらがいいかは悩むところ。

院まで行く予定なら、マイナーでも国公立にしてほしいけど。

どちらにしても、私もNoneも、数の多いそれほど優秀でもない人がどうやって中ぐらいの生活ができるか、(基本的に善良な市民であれば、健全に生きていけるようにと思って)考えていきたいし、たぶんそれは、特別な誰かがやることではなくて、普通の一介の市民が、自分だけ得するような特別な話を探すより大切なことなのではないかと思っています。(必要ないとかではなくて、そういうのに興味を持ちつつ、共生できる社会を模索するという意味で)

とりあえずこんな感じです。

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