余裕があることについて

ちょっとね、仕事でもう一人の人に、わが淀川区の民度の低さを指摘されて考えているんだけど。

まあ、自分も、兵庫県の比較的上品な土地に住んでて、この土地に来たときは、「なんてとこだ。」みたいには思ったわけなんだけど。

自分自身は、そこそこのお金持ちが上品さを求めて生きているのもキライではないし、庶民的なこの土地も好き。

ただ、私が淀川区が好きなのは、知識は平等に得られるべきものだ、みたいな考えが大阪市にあることをこの淀川区で知ったからで、

貧乏なら向学心を持っていても勉強できないんだ、みたいな土地だったら、そんなに好きではないと思う。

だから、同じ淀川区に住んでいても、勉強を頑張る、みたいな姿勢で生きている人たちに否定的な考えを持っている人は同胞とは思っていなくて。

もう一人の人に、似たような庶民的な町でも、淀川区より庄内とかのほうが民度が高いとか言われたのにはイラっとして、

「そうか?」(怒)

と思うんだけど。

実際高校宝塚線で、庄内の同級生とかもいたけど、そんな差があるようには思えないけど。

まあ、確かに大阪市民の方があつかましい人多いかもしれへんけど。大阪市内のほうが、安くていいサービスとか得られる場所が多いんじゃないかと思うから。

仕事で嫌なこととかあったときに、目の前にいる人たちの欠点をみつけて、それを精神的に攻撃することで、不満をはらすとかになってるんじゃないかと思ったりします。

収入の高い方がいい人が多い、とか言われると、

私も、成績のいい人の方が、ものわかりのいい人が多いと思っているよ、と、内心思ってしまったりすると思います。

まあ、これは、この言い方だと語弊があるけど、ものわかりのいい人は、学校の成績もいいことが多い、と主語と述語を入れ替えるだけで、ずいぶん穏やかな表現になると思います。

私も、嫌な人に合うと、この人はものわかりが良くない、と偏見で片づけてしまうことはよくあります。勉強をするのが無駄に好きなのは、じぶんがものわかりがいい部類にはいりたいからなんだろうなと思います。

もう一人の人が、金持ちの方が、余裕のある対応ができるというのは、確かに納得はしています。

ケチな金持ちとか。そうでない人も少なくはないことも知っているけど、

やっぱり、タイトル忘れたけど、外国の昔話とかで、水瓶を割った我が子をめちゃくちゃ殴るとか、あった話だと聞くし、それは水瓶があるかないかで、家族全員の生死にかかわることだと思うから、余裕のない親とかそうなったんだろうなとか思う。それがある程度納得できるので、商品の破損とか、その金額の出費が家計に負担であるかないかで対応が違うのが自然だとは思う。

逆に、それが生活を脅かす出費であるのに、落ち着いていられないのは、仕方がないのかもしれないという意味で。

ただ、この淀川区のひとだって、余裕のあるひといっぱいいる中で、確かに多少キバツだなあ、みたいな応答する人いることもいるけど、そんなの言ったら、たとえ芦屋とかの高級住宅地だったとしても、お金は出すけど、むやみに要求が高いとか、キバツな人はそれなりにいるやろうと思う。

大富豪とか、超高学歴とかをめざすつもりはないんだけど、人間ならおかす間違いとかをあたたかく受け流せるような経済力と理解力はめざしたい。

なんか、学校で勉強をした人に対して、いいイメージを持っていない今の職場で、その人たちが庶民のまち淀川区を否定しているということで、かなり気に病んでいたんだけど、

自分の住んでる町が否定されたことと、勉強が好きとか頑張ったんがなんでアカンねやと思うところがあって、

牧師さんが言ってた、そういう一度頑張った人は大衆の輪の中には入れないのだと。

勉強をしたことが勉強をしない人への攻撃でもなんでもないのに、勉強しない人の中に、勉強した人に対してものすごい敵意を持つ人がいるよね。

そういうひとは、努力しないでできました的な人は称賛するけど、努力した人はあんまり評価しなくて、ましてや努力したけど今一つでした的な人には残酷さを感じるぐらい攻撃的に批判するときがあって、

こういうとき、自分に言い聞かせる。大事なのは、そういう相手を言い負かして気を晴らすのではない、ましてそういう人の不幸を願うのでもない。

大衆は、勉強とかをせずに、難なく手に入る生活で生きていくものだという概念から覆すべきなんだと思う。

自分たちの向上心が、そんなに否定されるものではないことを明らかにするべきなんだと。

私は、庶民から這い出たかったわけではない。今いる自分の場所をそのままに、庶民の生活レベルを全体的に上げて、快適な環境にしたいだけなんだ。

高所得者しか食べれないようなものが食べたかったわけではなく、自分がおいしいと思うもので、隣の人に勧めても買えるようなもの、作れるようなものを食べられるようになりたかったんだ。

それには、賢くなることが必要だと思ったんだ。だって、バーゲンセールやってる小さなスーパーの特売を宣伝していたら、それは無理してやっているバーゲンだったらしくて、そのあと潰れるとか、本当にみんなに勧めても大丈夫なものか見分ける能力とか必要だとわかっていたから。

低賃金労働者に無理をさせることで、可能な低価格とか、そういうのを避けて、

多くの人が真似したかったら真似しても成り立つもので構成される生活を目指しているだけなのに。

どうして、それで、攻撃されるんだろう。

まあ、単純に、少ない労働時間でも生活できる人を目の前にして、たくさん働かないと生活できない状況の人が、目の前にいるそんな悠長なひとが不満の種だっただけだと思いたいけど。

ほんとうにいま、「それ、わかるよ。」と言ってくれる「ものわかりのいい人」がいればいいなと思ったりするんですが。

都合がよすぎますかね。

とりあえずこんな感じです。

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